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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第4巻 通史4 (混乱の藻岩村政)

混乱の藻岩村政 藻岩村は札幌市との合併問題、都市基盤事業の整備と村財政の悪化、古くからの村民と急増する,新住民との軋轢などの問題を多く抱えていたが、佐藤正三郎の村長就任をめぐって亀裂の入った藻岩村議会はその,翌八年九月には学校地均し工事の入札問題より、藻岩村革政会が結成され、村理事者の辞任を求める村議の辞職者,も出ていた(藻岩村革政会パンフレット 藻岩村学校敷地地均らし工事にからまる真相)。,総数二三票でうち棄権は四であったが、無給の名誉職村長を求める議員が棄権に回っていた(昭和十年度藻岩村村会 / 混乱の藻岩村政
新札幌市史 第3巻 通史3 (藻岩村の成立)

藻岩村の成立 円山村と山鼻村を合わせて、明治三十九年四月一日に二級町村の藻岩村が設置された。,えていたが、会社員・官公吏・教員一〇七戸、商業一〇一戸、製造業一一二戸、雑業・馬車追業一六一戸となっており(藻岩村一班,もと養樹園の建物を移設したものであったが、これにより円山が藻岩村の中心となっていく。,写真-3 都市化により札幌区に編入された山鼻町東屯田通(大正初期)  境界変更後の藻岩村には以下 / 藻岩村の成立
新札幌市史 第3巻 通史3 (藻岩村の農業と朝市)

藻岩村の農業と朝市 藻岩村の農地面積は大正十二年の場合、約一五三四町歩(このうち水田は四一町歩)であったが,、藻岩村は札幌区への野菜供給地であるだけに、蔬菜栽培地は二三四町歩に及び、馬鈴薯、茄子、南瓜、胡瓜、葱,大正七年に円山と伏見・山鼻の生産者を糾合した藻岩村蔬菜組合が創設されたが、十二年の組合員は四二〇人に達,していた(藻岩村勢一班)。,これは藻岩村の農家戸数三六四戸を上まわる数であるが、ほとんどの農家ではなんらかの蔬菜栽培に従事していたといえよう / 藻岩村の農業と朝市
新札幌市史 第4巻 通史4 (藻岩村・円山町)

藻岩村・円山町 藻岩村は当初は二級町村で、桜井秀夫(大12・10~15・12)、佐藤正三郎(大15・,写真-11 〝ボロ庁舎〟と酷評された(北タイ 昭13.2.22)藻岩村(円山町)の庁舎(現・中央区南1 / 藻岩村・円山町
新札幌市史 第3巻 通史3 (諸村の宗派割合)

諸村の宗派割合 東北移民と曹洞宗の関係は、藻岩村の宗派別割合によくあらわれている(表6)。,藻岩村の中心区域は円山であったが、ここは山形県出身者が圧倒的に多いところである。,『札幌郡藻岩村大字円山部落状況』(明44)によって本籍者二〇九人の元籍をみると、山形県が一〇八人と半数以上,また大正十一年の人口出生地府県別表(藻岩村勢一班 大12)によれば、北海道の二五七八人を除けば山形県が,藻岩村ではこのことが明瞭に反映されているのである。
新札幌市史 第3巻 通史3 (「円山村独立陳情書」)

「円山村独立陳情書」 藻岩村の山鼻地区の札幌区編入後の問題となるのは、藻岩村の存立及び円山村の帰属問題,この問題の詳細は不明であるが、山鼻村の枢要部分が抜けたあとの藻岩村は戸数・人口の激減が予測されていた。,そのために藻岩村の自治的な存立が成り立ち得るのか、また藻岩村が廃村となった場合、どの村に帰属させるのかという,これに対して円山村では、四十二年十月に上田善七、土田金次郎を総代として「藻岩村境界変更に付大字円山村独立村,一方、ともに藻岩村を形成していた山鼻村では兵村部が編入されることになっている。
新札幌市史 第4巻 通史4 (昭和六、八年の争議)

嘆願書  去ル昭和四年小作契約ヲナセル藻岩村有学田地ノ小作料ハ、田ハ一反歩金拾円、畑其他ハ一反歩、金一円,、小作契約ヲ御変更相成度、此段嘆願ニ及候也  昭和八年十一月二十四日              藻岩村学田地小作人代表,                   前鼻松次郎 印                    斎藤銀蔵  印    藻岩村長, 佐藤正三郎殿(藻岩村 村会関係書類 昭8) 写真-13 小作料減免の嘆願書(昭8.11.24), このような嘆願を受けた藻岩村では、結局昭和八年度の小作料を、本来一〇円の契約のところ七円に減額
新札幌市史 第4巻 通史4 (円山町の誕生)

円山町の誕生 藻岩村では、昭和十三年二月二十六日に飯田誠一村長から村議会に対して、藻岩村を円山町と改称,藻岩村では昭和六年十一月にすでに一万人の人口を超え、市街を形成する連担戸数も一七〇〇戸、人口九〇〇〇人,(藻岩村は)昭和十二年末現在ニ於ケル戸数三千六十三戸、人口一万五千七百二十六人ニ達ス。,(円山町 許可認可関係書類綴)  藻岩村では三〇〇〇戸の戸数、一万五〇〇〇人の人口が突破したこと、また,写真-8 藻岩村・円山町の町村長
新札幌市史 第4巻 通史4 (争議の経過)

争議の経過 札幌郡藻岩村(現・中央区を中心とする地域、昭13町制施行円山町と改称、16・3札幌市に編入,一方地主である藻岩村(円山町)の役場史料も若干ではあるが残されている。,円山小学校に手稲村西野の学田地三〇万坪が付与されたのは、明治十七年五月のことであった(三関武治 藻岩村概史,明治三十九年四月、円山村と山鼻村が合併し、二級町村藻岩村が設置された。,同年度の藻岩村の戸数は、大字円山村五五〇戸、同山鼻村二二九戸の計七七九戸であるから、一戸当りの教育費は
新札幌市史 第4巻 通史4 (稲荷神社)

稲荷神社 藻岩村(円山町、昭和十六年四月より札幌市)の稲荷神社は、微妙な性格の変化をみせてきた神社であった,藻岩村にはすでに官幣大社である札幌神社があり、村内の円山地区は札幌神社の氏子という意識が強く稲荷神社とは,昭和十年の「藻岩村勢一班」より稲荷神社の氏子数を「藻岩村全部及札幌市ノ一部」と記すようになるので、この,昭和十一年の昭和天皇行幸に際して藻岩村では、 九月九日午前十一時三十分、村社稲荷神社ニ於テ行幸奉告祭,昇格運動は昭和九年から開始されるが、これは藻岩村の発展とも関係をもち、昇格は「国民精神作興のために必要
新札幌市史 第4巻 通史4 (負債の増大)

財政逼迫を抱えた藻岩村の場合、昭和七年の「事務報告」によると、藻岩村は六年四月の一級町村の施行及び住民増加,この藻岩村の財政逼迫については、報道でも以下のように伝えられている。,札幌市外藻岩村の財政は極度に窮迫を告げて来た。,今後は最早財源を捻出するの途は起債か村有財産処分による外ない……(北タイ 昭11・11・20)  藻岩村,こうした藻岩村の財政窮乏問題が、やがて札幌市へ合併となる遠因となるのである。
新札幌市史 第4巻 通史4 (諸町村の道路)

諸町村の道路 諸町村の道路については、詳細を記述するのは難しいが、特徴的なことが判明するのは藻岩村である,札幌市に隣接して早い時期に都市化の波が押し寄せた藻岩村は、明治末に山鼻地区が札幌区へ編入されるが、大正十二年,図-7 札幌郡藻岩村大字円山道路網図(大12)三関武治資料より 表-14 諸町村の道路 町村名,地方費道 準地方費道 市町村道 その他 資料 円山町 大12 17町 12町27間 5里23町59間 藻岩村村勢一班,12月末 昭10 1,892.89m 818.56m 45,561.45m 市道 565.45m 藻岩村村勢一班
新札幌市史 第3巻 通史3 (【主要参考文献・史料】)

大正十年札幌支庁管内統計書』、『北海道農場調査』、『東区拓殖史』、「町村誌資料」『札幌の歴史』第四~七号、『藻岩村一班,』(明42)、『札幌郡藻岩村大字円山村部落』(明44)、『藻岩村勢一班』(大12)、『円山百年史』、『
新札幌市史 第4巻 通史4 (諸町村の幼稚園)

諸町村の幼稚園 札幌市に隣接する諸町村のなかで、昭和戦前期における唯一の幼稚園は、昭和九年四月に藻岩村大字円山村,同幼稚園の園児数は『北海道札幌郡藻岩村勢一班』によれば、十年には二二人、十一年には二七人がそれぞれ在籍
新札幌市史 第3巻 通史3 (大正四年全道青年会連合大会)

における青年会数は、札幌村六団体三一九人、琴似村三団体一八八人、篠路村三団体九五人、手稲村五団体二四四人、藻岩村四団体一,篠路村学田青年会 琴似村 琴似村青年会 琴似第三帝国同志会 新琴似青年会 琴似村新川青年会 藻岩村,円山青年会 藻岩村伏見青年会 藻岩村白川青年会 山鼻青年会 藻岩村上山鼻青年会 藻岩村八垂別青年会
新札幌市史 第4巻 通史4 (都市計画事業の反響)

もう一つは、都市計画区域内の隣村藻岩村から起こった。,十一年十月、藻岩村村会議員高田金之助ら一〇人が村会招集を請求した。,この問題に関連して、札幌市による意見書の拒否や、藻岩村反対者らの民事訴訟を起こすことの表明、補助金の配分問題,、さらに藻岩村の財政問題による負担金の不払い、藻岩村合併の促進などまで話題となった(北タイ 昭11・11
新札幌市史 第4巻 通史4 (【主要参考文献・史料】)

札幌村札幌市境界変更関係書類』『白石村事務引継書』『昭和十六年白石村村会議決書及会議録』『昭和十年度藻岩村村会,町会関係書類』『昭和十五年町会関係書類』『昭和十五年円山町町会議録』『札幌市円山町合併関係書類綴』、『昭和十年藻岩村議決書,』『昭和十一年藻岩村議決書』『隣接町村合併関係〔参考〕』(以上札幌市蔵)、『橋本正治史料』『白石村是』,『藻岩村学校敷地地均らし工事にからまる真相』(藻岩村革政会パンフレット)、清水凉「在職中の感想」『内館泰三筆記史料
新札幌市史 第4巻 通史4 (町村議会の役割)

などを通じて行財政をチェックする権能を有していたが、諸町村の中でそれらのチェック機能が顕在化した事例を藻岩村,村でもその誤りを認め、「将来再ヒ斯ル事ナキ様注意スル処アルヘシ」と陳謝した(藻岩村 昭和十年議決書)。,したのに対して、議会で全員が増額に反対して二割に減額するなどして一〇万二七三七円に修正をはかっていた(藻岩村
新札幌市史 第4巻 通史4 (円山町の札幌市合併)

円山町の札幌市合併 藻岩村(昭13・4より円山町)は、札幌市に近接しているだけに大字円山村を中心にして,藻岩村では住宅の増加に対応し、さらには新たな宅地の造成をめざし、大正十一年から円山地区の道路網整備事業,写真-4 札幌市と〝地続き〟となった藻岩村の円山市街地(大正15年頃)  また、旭ヶ丘では大正十二年,新住民の増加は藻岩村の社会構成も大きく変えていく。,特に藻岩村、円山町は財政不足で都市基盤事業が停滞していただけに、〝札幌市並み〟を求める新住民は積極的に
新札幌市史 第4巻 通史4 (昭和十~十一年の争議)

すなわちそれは「水田年貢ハ隣境地琴似学田地ハ畦畔ヲ控除シテ参斗五升、手稲学田地ハ参斗六升ナレバ、当藻岩村学田地,この要望に対し、藻岩村は全面的な拒否の態度で臨んだため、以後、翌十一年三月までに小作側は六通の嘆願書を,これを受けて十一年五月二十一日の第三回藻岩村会では「土地賃貸規則」の改正と村有地賃貸料の改定がなされた,一反歩当リ平均十五歩ノ畦畔ヲ控除シテ算定スルモノトス 四 、新ニ造田シタル場合ノ畦畔控除率ハ、前項ニ依ル(藻岩村
新札幌市史 第4巻 通史4 (学田地の解放問題)

意志表示ナシ」と村側が回答した直後の十二月、学田地の小作人一同は「自作農維持(ママ)創設法ニ依リテ、何卒藻岩村学田地,ヲ、低価ニ特売分割解放相成度斎藤銀蔵外二十九名連署シテ嘆願ニ及候也」との「藻岩村学田地特売嘆願書」を佐藤村長,翌十二年一月十四日、星野毅手稲村長にも「藻岩村有地自作農創設請願書」を提出し、「何卒自作農創設維持法ニヨリテ
新札幌市史 第4巻 通史4 (住宅の問題)

16,700 大礼記念 豊平10-7   4.2 8,400 鉄友 藻岩村字円山,1405  10.11 15,000 昭和逓信 藻岩村字円山436   3.3,札幌光星 南10西17  11. 3 12,000 北斗 藻岩村字円山,まず藻岩村大字円山村の場合、大正十三年札幌電気軌道(昭2札幌市営電車となる)が円山公園まで全通したことを,写真-3  軽川造林会社住宅地分譲の新聞広告(北タイ 昭3・6・2) 図-2 藻岩村大字円山村
新札幌市史 第4巻 通史4 (橋梁の整備)

  4 架換 北10条橋,豊平5条橋(4号用水),新川橋(農事試験場前)   5 架換 創成川豊水橋,藻岩村界橋,町村道 認定村道 資料 円山町 3個5間 2個 3個4間 2個 13個 44間 13個 53間 藻岩村村勢一班, 大12.12 藻岩村村勢一班 昭10.7 豊平町 11個 17個 41個 57個 豊平町勢一班
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌市域の小作率)

に示したものであるが、小作農家の比率が最も高いのは篠路村(七二・〇パーセント)であり、以下、札幌市、藻岩村,57.8 100.0 手稲村 113 107 323 543 20.8 19.7 59.5 100.0 藻岩村
新札幌市史 第4巻 通史4 (養鶏)

養鶏組合についてみると、①藻岩村家畜家禽奨励会(大12・1設立)、所在地は藻岩村、組合員数三五〇人、飼養羽数三五
新札幌市史 第4巻 通史4 (学田地の経営)

昭和二年十一月八日、藻岩村長が佐藤正三郎から古瀬猛二に交代した際の事務引継書には、「未決事項」として,(藻岩村 事務引継書 三年十一月八日以降) とあって、地主たる藻岩村の内部にも、村会の一部に小作料減免
新札幌市史 第4巻 通史4 (「郊外繁昌記」)

たとえば、当時藻岩村であった円山については、以下のように住宅ラッシュの様子を述べている(昭2・8・29,薮合名会社が大通西一五、一六丁目に建設した一二〇戸の住宅団地をはじめとした宅地化が進み、それがやがて西進して藻岩村
新札幌市史 第4巻 通史4 (諸町村の人口)

これが五年後の昭和二年には豊平町、札幌村に続くのが藻岩村となり、藻岩村の人口急増が著しくなっている。,藻岩村は毎年一〇〇〇人規模で増加を続け、四年には一万人を突破し、七年には豊平町を抜いて人口数では第一位,表-16 町村の戸数・人口 年 札幌村 篠路村 琴似村 手稲村 藻岩村 豊平町 白石村 札幌市 戸数,昭和十年でみると藻岩村が一万六七五〇人、豊平町が一万三八〇七人と一万人を超え、続く琴似村、白石村も一万人,十五年には一万七〇〇〇人に達した円山町(昭13・4藻岩村が改称)が札幌市に合併するが、手稲鉱山の発展によって
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌市の発展と電気需要家の増加)

札幌水力電気株式会社の供給範囲 ①電灯需要家数 (単位;戸) 年月 札幌市 豊平町 石狩町 札幌村 藻岩村,782 670 119 402 32,957 ②電力需要家数   年月 札幌市 豊平町 石狩町 札幌村 藻岩村,それに対して札幌市に隣接する札幌村、藻岩村、琴似村、白石村が急増していることがわかる。
新札幌市史 第4巻 通史4 (青果市場問題)

これに対処すべく札幌市勧業課では、豊平町、札幌村、白石村、琴似村、藻岩村各農会と提携し、臨時的な青物市場,スローガンとし、生産者の参加を目玉にしたわけだが、実際は仲買にも参加を促し、商人の地域別内訳は市内一三八人、藻岩村一六人,88,704 有限責任山鼻蔬菜販売購買組合 5月1日~11月30日 27,850 500 - 28,350 藻岩村蔬菜組合円山販売場,30,000 - - 30,000 合計 318,350 18,241 70,963 407,554 1.藻岩村蔬菜組合円山販売場
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌都市計画区域)

南部、大字苗穂村の西半分、大字雁来村は西部、琴似村は大字琴似村の大部分と大字新琴似村の南東部であり、藻岩村,136,463  3,595  札幌村 171,901  6,765  琴似村 196,231  3,634  藻岩村
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌市の町村合併計画)

藻岩村では六月五日の村会議員選挙にも、合併につき急進論と漸進論が選挙争点となっており、村民の関心も高くなっていた,豊平町、藻岩村、白石村を対象とした併合計画はその後進展をみせ、札幌市では十一月に最後の臨時市域変更調査委員会,財政窮乏が続き、都市施設の整備が遅れていた藻岩村の村民には、「何等特別の恩典なき処に居住するより此際、
新札幌市史 第4巻 通史4 (凶作)

この年の作柄をみてみると、畑作は最高が琴似村の八割二分五厘、最低が藻岩村の六割五分であり、大体七、八割,227 57 琴似村 742 27 4 239 32 手稲村 480 337 70 176 37 藻岩村
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌敬神講社の設立)

これに続いて藻岩村でも、円山敬神講社が同年五月九日に発会式を挙げて設立されている。,藻岩村の円山地区では明治二十九年に札幌神社崇敬講をつくっていたが、円山敬神講社はこれをもとに成立したものである
新札幌市史 第3巻 通史3 (戊申詔書)

小樽新聞』(明43・5・21)に掲載された「戊申詔書と本道の施設」によると、札幌支庁では札幌村の勤倹会、藻岩村,藻岩村では明治四十五年二月に盛徳会が創設されている。
新札幌市史 第4巻 通史4 (諸町村の生産額)

生産額のうち農産額がいずれも最も多くを占めており、十四年の場合でみると篠路、藻岩村では八割に達しており,みがひどく、大正十四年と比較すると手稲村は二五パーセント、白石村は三四パーセントにしか達しておらず、篠路村、藻岩村,これが昭和十四年になると鉱工産が飛躍的に伸びるようになり、琴似、手稲村は七三パーセントというように、藻岩村,琴似、藻岩村は工場の進出により工産が増大し、手稲村、豊平町は手稲鉱山、豊羽鉱山の発展による鉱産の増大に
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌区の仏事暦)

    玉宝寺豊川稲荷初午祭 5月27・28日 成田山新栄寺 大祭 6月1日     藻岩山開き 藻岩村観音堂,    玉宝寺豊川稲荷例祭 9月27・28日 成田山新栄寺 秋季祭 10月1日   藻岩観音の山納め 藻岩村観音堂
新札幌市史 第3巻 通史3 (境界変更)

札幌村の南西部の区と接続する地域、白石村字上白石村の区に接続する地域、豊平町字豊平村の区に接続する地域、藻岩村大字山鼻村
新札幌市史 第3巻 通史3 (生産額と産業形態)

123,810 47,419 1,097,185 1,580 70.2 13.4 0.7 11.3 4.3 藻岩村,割合をみると、九年の場合、農産が九〇パーセントをこえているのは札幌・篠路・藻岩村であり、これらは純農村,などがバランスのとれた産業の進展がみうけられ、札幌・琴似村も工業・畜産の興隆がうかがわれる一方、篠路・藻岩村,ただし、藻岩村は次期になると円山を中心に都市隣接住宅地として大きな変貌を迎えていく。  
新札幌市史 第4巻 通史4 (一級町村制の施行)

藻岩村も人口五〇〇〇人を目前とした大正十三年度よりの施行が検討されたことがあったが、 今一級町村制ノ,その後、藻岩村は昭和六年(一九三一)度からの施行が石狩支庁に道庁より諮問された。,これに対して藻岩村は、役場庁舎改築、円山小学校増築、貯水池、国道筋の側溝建設など村内施設の整備をかかえており
新札幌市史 第3巻 通史3 (農家構成の変化)

一町)、札幌村(四・六町)、中位が琴似村(四・二町)と豊平村(三・三町)であり、白石村(二・八町)と藻岩村,1,066 3.3 白石村 1,856.1 652 2.8 手稲村 3,056.1 498 6.1 藻岩村,もっとも小作率が高いのが篠路村で七四パーセント、続いて藻岩村と白石村が五五パーセント、札幌村と手稲村が
新札幌市史 第4巻 通史4 (大正期の札幌)

大正期の札幌 大正期の札幌は、明治末に隣接する札幌村、琴似村、藻岩村、豊平町、白石村との間で境界変更,このとき含み込んだ地域は、当時住宅地化が進みつつあるといわれていた地域(豊平町、藻岩村、札幌村から編入
新札幌市史 第4巻 通史4 (依法調停期)

この調停の間、三年十一月五日には横岳村長が辞任し、藻岩村長の佐藤正三郎がその後任に任命された。
新札幌市史 第4巻 通史4 (婦人会活動)

また市外藻岩村の場合では、十一年九月二十五日藻岩村公会堂で会員三〇〇余人で藻岩村分会が発会し、札幌聯隊区司令官
新札幌市史 第4巻 通史4 (市街地の拡大)

2,401 3,595 札幌村の一部 5,532 6,765 琴似村の一部 3,185 3,634 藻岩村,人口の変遷 地域名 大正9年調査人口 大正14年調査人口 旧札幌村 7,534人 12,352人 旧藻岩村,旧藻岩村の地域は,西11丁目道路以西-南14条道路以北-南3条道路以南,西4丁目道路及び鴨々川以西-西
新札幌市史 第3巻 通史3 (庁立感化院)

庁立感化院 明治四十一年十二月、札幌郡藻岩村に創立(新築落成は四十二年八月)の庁立感化院は、不良少年
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌市の都市計画区域)

の都市計画区域は、図3にあるように、札幌市、豊平町の一部、白石村の一部、札幌村の一部、琴似村の一部、藻岩村,大通及停車場通ノ交叉点ヲ基点トセル半径約四哩ノ円圏内、即チ市ノ区域ノ外豊平町、白石村、札幌村、琴似村、藻岩村
新札幌市史 第4巻 通史4 (普通選挙)

藻岩村では三〇〇余人から一挙に一二二二人となり、定員もこの選挙より一〇人から一八人に大幅な増員となったが,藻岩村には円山を中心として新居住者が増加していたのであり、「新居住者の方からも続々候補の名乗りを挙げて
新札幌市史 第3巻 通史3 (在郷軍人会の成立)

帝国在郷軍人分会の札幌支庁管内連合分会の旗揚げ時には、札幌区の他に豊平町、札幌村、篠路村、琴似村、手稲村、白石村、藻岩村,全国的な動きに連動して四十三年の天長節の同じ日に、札幌区だけでなく、いまだ在郷軍人会の組織がなかった藻岩村
新札幌市史 第4巻 通史4 (中央卸売市場設立問題)

昭和八年に中央卸売市場調査委員会を設け、橋本市長は、「札幌の中央卸売市場は、札幌市及豊平町、白石、札幌村、藻岩村
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