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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第1巻 通史1 (寛政十年蝦夷地調査)

寛政十年蝦夷地調査 寛政八年(一七九六)と翌年にかけて、イギリス船が内浦湾へ碇泊した事件は、幕府をして,西蝦夷地調査隊は、三橋藤右衛門等上下二七人であった。,結局幕府は、寛政十年の蝦夷地調査により、蝦夷地経営を松前藩に任せておくわけにいかないという結論にいたり / 寛政十年蝦夷地調査
新札幌市史 第1巻 通史1 (武四郎の蝦夷地調査の主目的)

武四郎の蝦夷地調査の主目的 武四郎の蝦夷地全域にかかわる調査は六回におよぶとさきに述べたが、このうち,以上の文言を見てみると、松浦武四郎の蝦夷地調査行においては、その山川地理の取調べと共に、蝦夷地の新開道路 / 武四郎の蝦夷地調査の主目的
新札幌市史 第1巻 通史1 (開拓論・国防論)

天明五年三月、福山に到着した山口鉄五郎以下三二人の蝦夷地調査隊は、東西蝦夷地の二手に分かれ、松前藩からも,この時、普請役庵原弥六、同佐藤玄六郎等西蝦夷地調査隊は、イシカリを通ってソウヤへ行き、それより庵原は、,一方、東蝦夷地調査隊に加わっていた最上徳内は、クナシリ島にまでいたっている。  ,さらに、蝦夷地調査の具体案や諸経費等の調査が必要とされ、佐藤玄六郎等が再び調査を命じられた。,しかし、幕府の最初の蝦夷地調査は、国内に大きな波紋を残した。
新札幌市史 第1巻 通史1 (佐賀藩と開拓使)

そして島義勇の蝦夷地調査も、いったん無駄となるかにみえたが、その後一二年を経て、再び生かされることになった,かつての蝦夷地調査の成果が、ここにきて再び生かされている。
新札幌市史 第1巻 通史1 (第二次調査)

第二次調査 佐倉藩の第二次蝦夷地調査は翌安政四年二つの班によって行われた。,(のち二二俵)三人扶持と身分は低かったが、才ある者を優遇する藩主の意向で藩黌温故堂の附教に抜擢され、蝦夷地調査
新札幌市史 第1巻 通史1 (武藤勘蔵)

(一七九八)、幕府は連年異国船が蝦夷地に来舶するようになり、北辺の不安が高まってきたため、その対策に蝦夷地調査
新札幌市史 第1巻 通史1 (義勇の日記)

八月二十九日ヒロヲ~九月二十七日箱館  (四)「函嶴日記幷東洋記」 十月箱館~十二月八日江戸  (一)は蝦夷地調査
新札幌市史 第1巻 通史1 (大内清右衛門の偵察)

寛政五年(一七九三)の水戸藩の医師木村謙次、武石民蔵の蝦夷地調査、同十年の幕吏近藤重蔵等の蝦夷地調査に
新札幌市史 第1巻 通史1 (武四郎その後の去就)

武四郎その後の去就 以上のような、六回におよぶ強靭な精神と肉体に支えられた蝦夷地調査は、想像を絶するものであった
新札幌市史 第1巻 通史1 (蝦夷地用向勉勤)

安政三年四月晦日、正弘は自ら護身用の短銃を手渡し、石川和介(主任)、寺地強平、山本橘次郎に蝦夷地調査を
新札幌市史 第1巻 通史1 (調査の影響)

さて、安政五年以後、大老家、老中家は蝦夷地調査をつづけたのだろうか。
新札幌市史 第1巻 通史1 (西南からの目)

蝦夷地調査をいち早く始めたのは萩藩(長州、毛利家)で、犬塚らが箱館に渡った時にはすでに調査を終えていたらしい
新札幌市史 第1巻 通史1 (入北記)

島義勇の蝦夷地調査は、以上四点の日記類で判明する。
新札幌市史 第1巻 通史1 (玉虫左太夫)

安政期、仙台藩がすすめた蝦夷地調査には対外関係の急迫という前提条件があったが、一方、藩内の財政問題とのからみを,仙台藩の蝦夷地調査はあくまでも幕政を維持しおしすすめようとする一環でこそあれ、体制をつき崩す意図を持つものではなかったのである
新札幌市史 第1巻 通史1 (北溟の旅)

それによると、一行は安政四年(一八五七)三月二十二日蝦夷地調査の命を受け、四月十三日城下を出発、久保田
新札幌市史 第1巻 通史1 (ウライの没収と出漁禁止)

さらに、文化三年(一八〇六)、西蝦夷地直轄を決定する幕府目付遠山金四郎と勘定吟味役村垣左太夫の西蝦夷地調査
新札幌市史 第1巻 通史1 (北地調査の必要)

可有御座哉」(幕末外国関係文書 三)を老中に伺い出、大目付格西丸留守居筒井政憲、勘定奉行川路聖謨と荒尾が松前蝦夷地調査方針
新札幌市史 第1巻 通史1 (第一次調査)

正睦が家臣に蝦夷地調査を命じるのは、老中首座にあって対外応接の緊迫していた安政三年五月九日、江戸で窪田官兵衛
新札幌市史 第1巻 通史1 (鷹羽の徽号)

この藩の蝦夷地調査は、安政四年五人の藩士等によって行われる。
新札幌市史 第1巻 通史1 (武四郎の新道構想)

そしてこの度の松浦の蝦夷地調査に対して、箱館奉行が特に指示した新開道路の見立てなるものも、これら一連の
新札幌市史 第1巻 通史1 (四望開豁)

大筒役にあって藩の兵制軍事調方を勤め、蝦夷地調査後は藩主の京都使行に供をし、さらに近習頭となる人。
新札幌市史 第1巻 通史1 (夷境の一都会)

才ある学者を優遇する藩主の意向で許されて蝦夷地調査の主任となり、この命に大望を託したのだが、一次調査のあと
新札幌市史 第1巻 通史1 (サッポロ調査)

サッポロ調査 松浦武四郎の蝦夷地調査についてはすでに述べられているが(第二章第三節)、それは、彼が調査行
新札幌市史 第1巻 通史1 (箱館開港と箱館奉行の設置)

するために、翌七年一月には村垣範正・堀利熙を松前蝦夷地の御用掛となし交渉に当たらせ、つづいて二月八日に蝦夷地調査
新札幌市史 第1巻 通史1 (『野作東部日誌』)

『野作東部日誌』 安政三年の蝦夷地調査の道程は、榊原銈蔵、市川十郎により記された『野作東部日誌(えぞとうぶにっし
新札幌市史 第1巻 通史1 (十二場所論)

嘉永六年から、蝦夷地警衛の準備にとりかかる安政二年前半にいたる仙台藩蝦夷地調査をみると、実査地域は箱館松前江差付近
新札幌市史 第1巻 通史1 (新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)

       ロシアの南下 開拓論・国防論 御救交易     二 東蝦夷地の直轄        寛政十年蝦夷地調査,蝦夷地警備と「在住」の任用   第二節 西蝦夷地の直轄とイシカリ…427     一 文化三年の西蝦夷地調査,       第一回訴願 第二回訴願 上原熊次郎の斡旋 第三回訴願と収拾   第七章 幕府の蝦夷地調査,はじめ        『北海随筆』 飛驒屋伐木図 豊平川の誕生 イシカリ川の地図   第二節 幕府の蝦夷地調査,要害論…507     一 蝦夷地絵図        近藤重蔵 蝦夷地絵図 擁護の地     二 蝦夷地調査
新札幌市史 第1巻 通史1 (徳川斉昭の内願)

幕府は蝦夷地の警衛と開墾のため有力藩を参入させるかもしれないという噂が広まると、蝦夷地調査熱はとみに高
新札幌市史 第1巻 通史1 (御救交易)

御救交易 天明五、六年の蝦夷地調査は、ロシア人が蝦夷地の北辺に迫っている状況を明らかにし、幕府もそれを
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリ・サッポロの検分)

安政三年以来急増する諸藩の蝦夷地調査の大半は春から夏にかけてで、生田目のように八月から十一月という人はまれだった
新札幌市史 第1巻 通史1 (弘化三年の調査)

弘化三年の調査 武四郎は上記六回の蝦夷地調査のうち、イシカリに立ち寄り、そこを拠点にサッポロの地域を
新札幌市史 第1巻 通史1 (目的としくみ)

目的としくみ 幕府は安政元年(一八五四)以来、大規模な蝦夷地調査を行ったが、安政三、四年幕閣にあった
新札幌市史 第1巻 通史1 (現地調査団の構成)

蝦夷地調査で彼を支えたのは河津三郎太郎ら三人の徒目付で、それに小人目付七人が加わり一〇人の幕吏が従った
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリ・サッポロと水戸藩)

イシカリ・サッポロと水戸藩 諸藩が一斉に蝦夷地調査を始める安政三年、斉昭は逆に内願はもとより警衛開拓
新札幌市史 第1巻 通史1 (弘前藩の関心)

安政元年堀・村垣一行が蝦夷地調査を行う際(第二章一節)、先発で弘前藩に着いた幕吏鈴木尚太郎は、蝦夷地の
新札幌市史 第1巻 通史1 (井上貫流一行)

それとともに、幕府の蝦夷地調査や警備等には道案内はもとより、食糧や物資の運搬、船の提供、宿泊施設の賄いといった
新札幌市史 第1巻 通史1 (平山謙二郎と一瀬紀一郎)

蝦夷地調査をおえて安政元年十一月江戸にもどってからも外交用務に従事するが、安政の大獄で閉門にあい、ゆるされて
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