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新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
坂倉源次郎「北海随筆」『北門叢書』第二冊、『飛驒屋伐木図』(武川家文書 岐阜県下呂町教委)、「遠山村垣西
蝦夷日記
,」『犀川会資料』第一三号、串原正峯「夷諺俗話」『日本庶民生活史料集成』第四巻、武藤勘蔵『
蝦夷日記
』(前同
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
イシカリ場所人別帳』(新札幌市史 第六巻)、玉虫左太夫『入北記』、「石狩土人申渡」(道文)、後藤蔵吉「
蝦夷日記
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
同書』、串原正峯「夷諺俗話」『日本庶民生活史料集成』第四巻、『蝦夷地見取絵図』(国公文)、武藤勘蔵「
蝦夷日記
新札幌市史 第1巻 通史1
(武藤勘蔵)
この一行中に、三橋藤右衛門に従って西蝦夷地を宗谷まで巡回して往返した用人武藤勘蔵は、その著『
蝦夷日記
』
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
同『丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌』、同『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌』、同『竹四郎廻浦日記』、同『西
蝦夷日記
新札幌市史 第1巻 通史1
(慶応三年の人別帳)
この他、人別帳は残ってはいないが、後藤蔵吉『
蝦夷日記
』には、安政五年のアイヌの人別を五四三人、軒数を一四四軒
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
以上道文)、林家文書「御賄留」・「村並仕法替書類」、村山家史料「北地内状留」、『菊池重賢文書』、高橋種芳『
蝦夷日記
新札幌市史 第1巻 通史1
(人口の減少)
場所人別帳 4 166 ― ― 640 罕有日記・蝦夷紀行 5 144 ― ― 543
蝦夷日記
新札幌市史 第1巻 通史1
(学問教授所)
大熊四郎に関し、万延元年(一八六〇)四月十八日にイシカリを通行した、庄内藩士高橋種芳の『
蝦夷日記
』には,『
蝦夷日記
』には、生徒二人であったと述べられているが、『北地内状留』によると、翌文久元年(一八六一)五月
新札幌市史 第1巻 通史1
(寛政十年蝦夷地調査)
イシカリの印象については、三橋藤右衛門の部下武藤勘蔵が『
蝦夷日記
』に次のように記している。
新札幌市史 第1巻 通史1
(第二次調査)
今村は調査記録『
蝦夷日記
』を残したが、北海道大学附属図書館にある『東蝦夷図巻』が、もし一行にかかわるものならば
新札幌市史 第1巻 通史1
(四望開豁)
前年の『協和私役』、二次の今村『
蝦夷日記
』と対照し読むと、この時イシカリ・サッポロが転換期にさしかかっており
新札幌市史 第1巻 通史1
(鍬取り上げ事件)
和人風に改めた「帰俗」調査によると、安政五年の段階でイシカリ場所は、五四三人中わずか二〇人で(後藤蔵吉
蝦夷日記
新札幌市史 第1巻 通史1
(在住の住宅)
なお、佐倉藩士今村治郎橘の『
蝦夷日記
』によれば、安政四年八月に、在住が一一人いてハッサムには在住宅が五軒
新札幌市史 第1巻 通史1
(遠山・村垣一行)
アイヌに商品を売るところと分ける方式を導入したことや、アイヌへの「法三章」を申し渡したこと、『遠山村垣西
蝦夷日記
新札幌市史 第1巻 通史1
(目的としくみ)
四日 五日 八月 二日 三日 唐太紀行 北蝦夷画帳 北遊随草
蝦夷日記
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(出典一覧(明治以前))
続徳川実紀』) 82 クルウゼンシュテルン日本紀行(羽仁五郎訳註『異国叢書』) 83 遠山村垣西
蝦夷日記
,谷澤尚一『札幌の歴史』第12号) 171 蝦夷地見聞之次第奉申上候(宮城県図書館蔵) 172
蝦夷日記
,(函館市中央図書館蔵) 207 大友亀太郎文書(『新札幌市史』第6巻史料編1所収) 208
蝦夷日記
新札幌市史 第1巻 通史1
(蝦夷紀行等)
二 『
蝦夷日記
全』 北海道大学附属図書館所蔵、北大本と略称する。
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