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新札幌市史 第5巻 通史5上
(製麻)
製麻
麻糸紡績、麻織物業は、原料である亜麻が全国の九九・九パーセントを北海道で産することから、北海道,戦前の帝国
製麻
(株)は、昭和十六年に太陽レーヨン(株)と合併し、帝国繊維(株)となり麻、人絹、スフを製造,その後の検討で①
製麻
部門、②スフ部門の二社分割案となり、GHQに提出された。,株式会社(資本金一二〇万円)の三社が設立され、札幌工場、琴似製線工場はともに帝国
製麻
に所属した(帝国
製麻
株式会社五十年史,終戦直後の帝国
製麻
(以下の記述では社名を帝国
製麻
に統一する)は、原料亜麻の確保に苦しんだ。 /
製麻
新札幌市史 第2巻 通史2
(製麻製網)
製麻
製網 養蚕とともに屯田兵自活のための授産事業として奨励されたのは大麻栽培による
製麻
である(表8),がもたらされ、明治になると開拓使の麻苧製造策によって、農地への栽培が広まりつつあり、市中住人を募って
製麻
製網場,表-8 兵村の
製麻
製網事業 事業
製麻
製網 年 兵村 鰊網 差網 小舌網 前操網 袋網 鮭網,翌年以後さらに麻温所新築、
製麻
所改築等をすすめ、本州から栽培
製麻
の技術者を招聘して指導を受け品質の向上,こうした中から屯田方式ともいえる寒地向
製麻
法が考案された。 /
製麻
製網
新札幌市史 第3巻 通史3
(製麻女工)
製麻
女工 日清戦争後大幅な事業拡張を行った北海道
製麻
会社は、札幌区内で最も多くの女工を抱える工場であった,しかし、女工の労働条件は明治四十年、会社が日本
製麻
会社と合併して帝国
製麻
会社札幌支店となるまでは、けっして,日露戦争後の四十年七月、会社は日本
製麻
と合併して帝国
製麻
会社札幌支店となった。,
製麻
会社が福利厚生面で女工の獲得をねらっても工場内の労働環境は劣悪であった。,写真-12 札幌帝国
製麻
女工募集広告(北タイ 大7.9.4) 表-20 札幌帝国
製麻
工場男女別職工数 /
製麻
女工
新札幌市史 第2巻 通史2
(製麻会社)
製麻
会社 札幌の明治二十年代のおもな工場に札幌製糸場、北海道
製麻
会社、札幌製網所、札幌麦酒会社等があり,なかでも二十年五月創立の北海道
製麻
会社(資本金八〇万円、委員小室信夫以下五人)では、二十二年はじめて一五歳,こうして、
製麻
会社は二十二年府県からの男女職工をもって操業開始し、二十三年二月の時点では職工数一五〇人,表からもわかるとおり、
製麻
会社は二十七・八年の日清戦争後事業をますます拡張し、三十年には職工数一三〇〇,表-18 北海道
製麻
会社男女職工数 年月 総数 男工 女工 備 考 明治23・ 2 /
製麻
会社
新札幌市史 第3巻 通史3
(帝国製麻の成立)
帝国
製麻
の成立 札幌区において行われた繊維工業の代表的なものは
製麻
工業(麻糸紡績と麻織物)である。,さて、表1は北海道
製麻
・帝国
製麻
札幌工場の亜麻製品生産価額である。,北海道
製麻
は平時において軍需品と民需品はほぼ半々だといわれている。,の構想が持ち上がり、北海道
製麻
を除く三社が明治三十六年七月合併し、日本
製麻
株式会社となった。,その後、日露戦後の需要減退期には再び合同機運が高まり、明治四十年七月に北海道
製麻
と日本
製麻
が合併し帝国
製麻
株式会社 / 帝国
製麻
の成立
新札幌市史 第2巻 通史2
(養蚕・製麻の奨励)
養蚕・
製麻
の奨励 養蚕奨励策の大略は前章第二節において述べたが、桑苗の移植によって札幌とその周辺は一大桑園,に主なる移民の代表者を集め、其風土地質に適せる農産物にて産業を興さんことを以てし、白石村に於ては養蚕
製麻
,白石村(上白石・白石両村)の養蚕
製麻
の比重は、開拓使時代の最高値では十四年の収繭高四一石余、価格一二八八円余,養蚕、
製麻
ともに移民の出身地での農事体験に適合していたはずである。 / 養蚕・
製麻
の奨励
新札幌市史 第3巻 通史3
(帝国製麻の営業と札幌工場)
帝国
製麻
の営業と札幌工場 表1には示さなかったが、明治四十一年以降の帝国
製麻
全体の生産にしめる札幌工場,写真-1 帝国
製麻
株式会社 亜麻製線作業風景 帝国
製麻
設立初期の札幌工場はどのような状態だったのだろうか,帝国
製麻
の営業状況を表2に掲げた。,この時期には日本
製麻
(大3・2)、日本麻紡織(大8・7)などの
製麻
会社が続々設立され、帝国
製麻
の独占は,崩れた(帝国
製麻
株式会社三十年史)。 / 帝国
製麻
の営業と札幌工場
新札幌市史 第3巻 通史3
(北海道製麻会社の増産と職工)
北海道
製麻
会社の増産と職工 「陸海軍御用ハ織物生産高ノ大凡九分ヲ占ム」(帝国
製麻
株式会社一覧)といわれた,北海道
製麻
会社は、ズック・テントなどの原材を供給する〝軍需会社〟であった。,
製麻
会社では単独で三十八年一月四日に、北七条東一丁目と中島遊園地の間を往復して旅順陥落祝捷行列を挙行した / 北海道
製麻
会社の増産と職工
新札幌市史 第2巻 通史2
(北海道製麻(株))
北海道
製麻
(株) 北海道が大麻の栽培に適しており、漁業が主な産業であったことから、開拓使は農民に大麻,永山盛繁らを創立委員に、吉田健作を官命事業監督として、二十年五月資本金八〇万円、株主一九〇人の北海道
製麻
株式会社 / 北海道
製麻
(株)
新札幌市史 第3巻 通史3
(製麻会社の共済会と「掖済事業」)
製麻
会社の共済会と「掖済事業」
製麻
会社ではすでに明治二十九年頃に、「社内職工及事務員一般の疾病其他不時,写真-7 明治44年に行われた
製麻
会社の観桜運動会の仮装行列 /
製麻
会社の共済会と「掖済事業」
新札幌市史 第4巻 通史4
(亜麻工業)
第一次世界大戦の好況期に道内で乱立した
製麻
会社は、大戦後の大正九年(一九二〇)には帝国
製麻
、日本
製麻
、,日本麻糸は十二年八月に、日本
製麻
は昭和二年六月に、北海道亜麻工業は五年十二月に帝国
製麻
と合併した。,第一次大戦後の軍縮と不況は
製麻
業を不振の底に突き落とした。表46は帝国
製麻
札幌工場の製造高である。,このような状況下で日本
製麻
、日本麻糸との合併がなされ、市価はようやく安定を取り戻したという(帝国
製麻
株式会社,こうした事情から十六年八月、帝国
製麻
は太陽レーヨンと合併し、名称を帝国繊維と改めた(帝国
製麻
五十年史)
新札幌市史 第2巻 通史2
(亜麻等特約農家)
亜麻等特約農家 養蚕業が減少していったのとは逆に、二十年北海道
製麻
会社(資本金八〇万円)が、また二十一年札幌製糖会社,北海道
製麻
会社が二十二年操業開始すると、豊平村外四カ村においても
製麻
会社と特別契約を結ぶ農家が相次いで,日清戦争を境に
製麻
会社はにわかに需要が急増し、特約農家を増やさなければならなかった。,このため、二十八年六月段階で全道で
製麻
会社の亜麻の特約耕作地は二一〇〇町歩、大麻のそれは一二三一町歩にも,二十九年八月段階で
製麻
会社と契約した札幌区・村のいわゆる特約農家の反別は、表21のようであった。
新札幌市史 第2巻 通史2
(職業斡旋業の出現)
職業斡旋業の出現
製麻
会社や製糸場等では、必要な労働力を得る方法として新聞に募集広告を掲載して公募した,特に
製麻
会社の場合、募集のために専任社員が府県へ出向いて男女職工を集めてくる場合が多かった。,写真-5
製麻
会社の募集広告(北海道毎日新聞 明治22年7月27日付) 日清戦争後の事業拡張にともなって,斡旋業者のなかには
製麻
会社や製糸場の女工を逃亡させたり、転業させるような悪徳業者もいたため、警察では業者一同
新札幌市史 第3巻 通史3
(その他の女工)
その他の女工
製麻
女工、製糸女工、麦酒工場の女工以外にも、当時の札幌の工場で働く多くの女工がいた。,表22は、明治四十二年から大正九年にかけての
製麻
・製網・綱・縄、製糸、活版・印刷・製本といった業種別女子工場労働者数,すでに述べた業種においても、たとえば
製麻
・製網関係は、大正三年の第一次大戦勃発と同時にぐんと増加し、七年,表-22 札幌区業種別女子工場労働者数 業種 明42 大3 大7 大9
製麻
・製網・製綱・縄 743人
新札幌市史 第3巻 通史3
(職工の待遇問題と労働状況)
職工の待遇問題と労働状況 北海道
製麻
会社は、少ない時で八〇〇人、多い時には一二〇〇人の職工を擁しており,札幌でも
製麻
会社の女工を中心に様々な〝女工哀史〟が展開されていた。 ,新聞には
製麻
会社における職工(男工・女工)の待遇問題と労働状況についてしばしば報道されている。
新札幌市史 第3巻 通史3
(支部の活動)
これによると
製麻
会社だけではなく、深野鉄工場の職工も参加し、支部の運動に広がりをもっていったようである,「
製麻
会社の職工激昂」と題した報道(道毎日 明33・7・27)では、 札幌
製麻
会社の職工虐待は此頃に,なお、
製麻
会社における同盟罷工の動きは、すでに二十九年九月にも、賃金値上げの要求を拒否された上で物価上昇
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌製糸場等)
札幌製糸場等 三十二年三月段階で北海道
製麻
会社をはじめ札幌区内では、表19の工場が操業していた。,この表によっても
製麻
会社が最大の職工数を抱えているのがわかる。,屋根瓦、土管、その他土類焼物 門谷煉瓦場 白石村76 門谷吉太郎 23・ 1 14 9 煉瓦石 北海道
製麻
,(株) 北7東1 北海道
製麻
(株) 20・ 5 281 526 亜麻大麻製織物及糸類各種 雁来製線所,日給は三十二年中で三〇銭より二〇銭で、
製麻
女工の最低賃金一六銭よりはまだ上である。
新札幌市史 第3巻 通史3
(職工の募集)
北海道
製麻
会社では少ないときでも約五〇〇人、多いときには一〇〇〇人にも達する女工を雇用していた。,ただし常に順調な応募があったわけではなく、北海道
製麻
会社の悪評も災いして不調なことも多かったようである,帝国
製麻
会社(明40・7)となってからは、山形市と宮城県松島村に募集事務所が置かれ、各地に募集特約員を
新札幌市史 第3巻 通史3
(製綿・メリヤス・製綱の勃興)
これは、日本
製麻
の上田市治郎経理部長、川島勝治支店長、大瀧甚太郎、久保兵太郎らを発起人とし設立準備を行,資本金は、島口福蔵二〇〇〇株、札幌商業会議所関係者一五〇〇株、日本
製麻
関係者一三〇〇株、一般公募五〇〇,日本
製麻
の資本に一部依存したものの、札幌区内の資本蓄積がここまで成長していたことは注目に値する。,このように、札幌区の繊維産業は、生糸・絹織物・綿織物を中心として産地化する内地のそれとは異なり、
製麻
を
新札幌市史 第3巻 通史3
(北海道庁赤レンガ庁舎)
道庁赤レンガ庁舎に続いて、北海道
製麻
会社工場が二十三年六月に完工する。,なお北海道
製麻
会社工場の建築設計は、工部大学校造家学科辰野金吾の査閲を受けたと記録されている。 ,道庁赤レンガ庁舎のレンガの組積法はフランス積み、北海道
製麻
工場と札幌製糖工場のそれはイギリス積みである
新札幌市史 第3巻 通史3
(賃金問題と労働時間)
賃金問題と労働時間
製麻
会社の労働賃金問題についてみると、例えば「
製麻
会社の職工虐待」(道毎日 明30,写真-6 大正7年頃の帝国
製麻
札幌工場の内部と女工 労働時間についてみると、昼業と夜業の二種あり、
新札幌市史 第3巻 通史3
(【主要参考文献・史料】)
【主要参考文献・史料】 帝国
製麻
株式会社『帝国
製麻
株式会社三十年史』、同『帝国
製麻
株式会社五十年史』
新札幌市史 第3巻 通史3
(鉄工組合第三十五支部の結成)
札幌には、三十二年五月に北海道
製麻
会社の職工たちにより、第三十五支部が設置された。,『労働世界』第三〇号(明32・2)によると、「札幌
製麻
会社修繕部に在勤せらるゝ岩本憲英外数氏には組合の
新札幌市史 第4巻 通史4
(亜麻・燕麦・小麦・ビール麦)
亜麻・燕麦・小麦・ビール麦 ここにあげた作物は、亜麻は帝国
製麻
(株)との、燕麦は陸軍糧秣廠札幌出張所,(昭和11年頃) 表-29 北海道における亜麻作付面積・反当収量・生産量 年度 全道分 帝国
製麻
関係分,全道に対する帝国
製麻
分の比率 作付面積 反当収量 生産量 反別 反収 生産量 反別 生産量 大12,135,450,977 39,552.09 341 135,047,728 99.5 99.7 帝国
製麻
,そこで北海道庁や各
製麻
会社は品種の改良と価格体系の整備に努力し、大正九年八月には
製麻
業者と生産町村会を
新札幌市史 第2巻 通史2
(製網所)
八年十一月製網所を南一条西三丁目旧女学校跡に設け、製網
製麻
教師として水沢県より男女四人を招き、修業者数人,その後
製麻
事業は二十年四月、永山盛繁らによって企図された北海道
製麻
会社に引き継がれていく。
新札幌市史 第4巻 通史4
(社会運動の中へ)
同年二月、労農党札幌支部主催の札幌労働者大会では、印刷会社、市電、鉄鋼場、鉄道、帝国
製麻
等従業員約三〇〇,それを受けて、同年三月帝国
製麻
の男女職工は、八時間労働の即時実施を要求した(北海道社会運動史)。 ,、全協札幌地区協議会第一回拡大会議を開催、相沢良、坂場(のちの柄沢)とし子、佐藤千代の三女性は、帝国
製麻
新札幌市史 第2巻 通史2
(紀元節・天長節)
札幌農学校、敬業館(私塾)、北海道学友会、札幌仏教青年会、北海道
製麻
会社といった単位でも祝賀会が持たれた,一方の北海道
製麻
会社では、当日社員工男工女等五〇〇人を会場に集め、万歳三唱ののち酒肴を分かち、餠を配って
新札幌市史 第4巻 通史4
(失業者あふれる)
女 三人 市内木工場へ転職 三月二十四日 北海道亜麻工業 一三 六五 帝国
製麻
,に転職 五月十七日 帝国
製麻
札幌工場 一〇 全協が反対運動 九月十一日
新札幌市史 第3巻 通史3
(札北馬鉄と沿線住民)
き充分の監督を官庁へ請願する事 三 、雪中軌道内の降雪は掘り上ぐると同時に他へ運搬放棄する事 四 、
製麻
会社前,停留所を設けたるため馬鉄会社の車体の置場なく自然車両を線路に放置し通行の妨害となり危険砂利を以て(ママ)
製麻
会社前
新札幌市史 第2巻 通史2
(火災)
25・ 3・ 北海道
製麻
会社出火。,
製麻
会社職工の宿舎。 この年 市街失火八八件、放火七件、焼失一九九戸。,11・18
製麻
会社雁来製綿所亜麻貯蔵小屋全焼。死者一人。豊平村四二番地阿部文吉細工小屋より出火。
新札幌市史 第4巻 通史4
(細民調査)
豊平 83世帯 白石 2 白石 1 苗穂 4 苗穂 24 東小学校附近 12 東小学校附近 21
製麻
会社附近,13 麦酒会社附近 6 豊水小学校附近 2
製麻
会社附近 8 鉄北 4 鉄北 3 市立病院附近 1
新札幌市史 第4巻 通史4
(職人から労働者へ)
工場幹部でさえ「職工は全く私用はできません」と公言していた)ことで知られていた帝国
製麻
では、女工の病気,
製麻
の女工定年は三五歳であったから、犠牲者の大半は若い女性であった。
新札幌市史 第2巻 通史2
(農産加工用原料の生産状況)
これら換金作物は市場動向に激しく左右されたが、麻、亜麻は北海道
製麻
会社で、大麦、小麦は官営事業の民間払下工場,ところが、二十年に北海道
製麻
会社が創立され、道庁の奨励に基づいて作付面積は再び増加しはじめた。,設立当初
製麻
業は、原料の大半を苧麻や大麻にあおいでいたからである。,こうして亜麻生産は二十三年からぐんぐん増加し、日清戦争後の
製麻
会社の事業拡張にともない、二十八年の収穫高,このため札幌区および村々の亜麻生産農家では
製麻
会社と特別契約を結び、二十九年には札幌区内だけでも作付面積
新札幌市史 第3巻 通史3
(【主要参考文献・史料】)
『琴似兵村史』、渡辺惣蔵『北海道社会運動史』、青木虹二『日本労働運動史年表』第一巻明治・大正編、帝国
製麻
株式会社札幌支店編,『帝国
製麻
株式会社一覧』、同札幌製品工場編『工場要覧』、『帝国
製麻
株式会社綜覧』、『北海道農場調査』、
新札幌市史 第3巻 通史3
(日本海海戦の戦勝祝賀会)
にまたゝく星の光は戦捷国民の頭を飾りて其栄光を祝するかと思はれ、地には戸毎に掲げし軒提灯、拓殖銀行・
製麻
会社
新札幌市史 第5巻 通史5上
(【主要参考文献・史料】)
、株式会社福山倉庫・福山醸造株式会社『百年の歩み』(平3)、『経済トピック』(プランゲ文庫)、『帝国
製麻
株式会社五十年史,』(昭34)、北海道拓殖銀行調査部(清水健二郎執筆)『全国ならびに道内繊維事情』(昭28)、『帝国
製麻
札幌工場関係資料
新札幌市史 第8巻1 統計編
(【産業】)
234表 繊維工業の生産額(札幌区・市) 第235表 繊維工業の生産額(札幌市) 第236表 帝国
製麻
札幌工場生産高,第237表 帝国
製麻
札幌工場生産高 第238表 食品工業の生産額(札幌区・市) 第239表 大日本麦酒札幌工場生産額
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌の職工数)
このうち、大規模工場である帝国
製麻
札幌工場(七九一人)、大日本麦酒醸造工場(九五人)、同製壜所(一一五人
新札幌市史 第2巻 通史2
(処分後の諸工場の動向)
21年) 名称 営業種別 所在地 創立 資本金 株主 役員 職工 雇人 営業収入金 営業支出金 北海道
製麻
会社,年製造額 年就業日 就業時間 従業員 職工賃銭(1日) 名称 職工 徒弟 14歳以上 14歳以下 北海道
製麻
,(株) 亜麻、麻織物及び糸類 北7東1 北海道
製麻
(株) 20年5月 1,334,745円 *外3工場含
新札幌市史 第3巻 通史3
(職業紹介所)
そのおもな職業は、料理店の番頭、看護婦、
製麻
女工、ミシン徒弟、タイピスト、行商、小使、事務員といった類
新札幌市史 第5巻 通史5上
(警備警察の活動)
同年の北警察署警備係の概況では、帝国
製麻
ストや伊藤組鉄工支部の労働争議、北大のイールズ事件などが取り上
新札幌市史 第3巻 通史3
(困窮する出征軍人家族)
父と妻が
製麻
会社の職工となり、わずかにその日暮らしの生計をたてていたが、不幸にも妻、男子(一〇歳、三歳
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌近郊のレンガ製造)
十九年から三年間、北海道庁本庁舎と北有社鉄道用レンガを供給、続いて北海道
製麻
会社の建築レンガを供給したと
新札幌市史 第4巻 通史4
(女性労働者の増加)
工場で女工を使用するのは、昭和初年まで
製麻
、製綱、古谷など数少なかった。
新札幌市史 第3巻 通史3
(戦争の翳りと暮らしへの影響)
せしがため仲買商は何れも多くの損害を蒙らざるものなし △諸工業 重要工業の内木材挽割は火災の為め小樽より
製麻
会社織物等陸海軍,輸出品目であるリンゴが航海途絶のために京阪地方へ捨値同然で取引され、損害をこうむったり、あるいはまた
製麻
会社以外
新札幌市史 第2巻 通史2
(管理共用施設)
「一宇ヲ毎中隊ニ支給シ、之ニ所用ノ器具ヲ属ス」とし、授産所は事業場の名で「養蚕製糸ノ器具及麻蒸場並ニ
製麻
器具,属ス」ことになったが、後者は二十三年改正給与規則により各兵村四棟の建築となり、さらに翌年の改正で養蚕
製麻
新札幌市史 第3巻 通史3
(新札幌市史 第三巻 通史三/総目次)
産業化の模索と進展…210 第一節 工業…210 一 繊維工業 帝国
製麻
,の成立 帝国
製麻
の営業と札幌工場 製糸・織物業の挫折 製綿・メリヤス・製綱の勃興 ,新琴似兵村からの出兵 北海道尚武会 奉公義会 神社・寺院の支援活動 北海道
製麻
会社,道民大会 凱旋軍隊歓迎会 第二節 近代過程化の労働問題…423 一
製麻
会社,衛生問題と工場医療 寄宿舎の食事 職工の取締り 職工の居宅と勤続年数
製麻
会社
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌基督教会の沈滞)
この年、
製麻
会社の職工や職員に熱心な求道者があって、伝道集会が一時盛んであったが、持続せず廃止した。
新札幌市史 第2巻 通史2
(煉瓦の生産数)
これは当時北海道
製麻
工場、札幌麦酒会社麦芽工場など煉瓦づくりの工場が建設中であり、煉瓦需要の急増によるものとみられる
新札幌市史 第4巻 通史4
(「少年職業戦士」の職場体験談)
駅構内の清掃と先輩の人達へのお茶を出す」こと、丸善書店の少年は「お客さんの所へ注文品を届ける」こと、帝国
製麻
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