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新札幌市史 第2巻 通史2
(非常時の出兵)
最初の参戦は九州地方が戦闘の場となった
西南戦争
で、当初入地の屯田兵の大部分が現役兵として出陣した。,このうち
西南戦争
は入地後まもなくの出来事で、札幌のまちづくりに大きな影響を与えた。,写真-9
西南戦争
に出兵した屯田兵一行(北大図) 十年二月、
西南戦争
勃発の報が届くと、開拓使は市中,
西南戦争
は社会の多方面に影響を及ぼしたが、直接の影響として三つあげておく。,屯田兵制発足時に懸案となった北海道在住者の内、居所に留まったまま屯田兵に編成される殖民兵型が、
西南戦争
新札幌市史 第2巻 通史2
(コレラの流行)
コレラの流行 明治十年、清国よりコレラが伝播し、
西南戦争
帰還兵に媒介されて東京、大阪、長崎などで流行,北海道へは同年九月、函館港で
西南戦争
に従軍して帰還してきた屯田兵二人がコレラにかかっているのが発見され
新札幌市史 第3巻 通史3
(招魂祭・忠魂祭)
北海道では、
西南戦争
後の明治十一年に創りだされた「伝統」である招魂祭(市史 第二巻)も、日清戦後に札幌区,この中島公園の「忠魂碑の英霊」としては、明治十年
西南戦争
戦病死者準陸軍軍曹の佐藤一蔵ほか三六人、日清戦争戦死者屯田陸軍歩兵中尉
新札幌市史 第2巻 通史2
(日本赤十字社)
日本赤十字社 日本赤十字社(以下日赤と略す)は、前身博愛社(明治十年
西南戦争
に際し結社、社長佐野常民
新札幌市史 第2巻 通史2
(移住の新展開)
西南戦争
のため政府は紙幣を濫発し、戦後はインフレーションを惹起し、そのあと大蔵卿となった松方正義が財政再建
新札幌市史 第2巻 通史2
(軍事的評価)
屯田兵は
西南戦争
、日露戦争で多くの戦病死者を出し、兵村内の対立、手当金遅配上訴、積穀返還要求、警察との
新札幌市史 第2巻 通史2
(製麻製網)
製麻の一部は養蚕所に集め、屯田兵の家族によって麻糸を製造し漁網や綱を試作したが、十年に
西南戦争
から帰った
新札幌市史 第2巻 通史2
(開拓使官有物払下の出願)
開拓使官有物払下の出願 明治十年の
西南戦争
以後、不換紙幣の流通高は激増し、また逆に正貨準備高は激減して
新札幌市史 第2巻 通史2
(兵員と家族)
西南戦争
を経て両兵村の補充が一応完了した十一年の様子をみると、男子が女子を一三〇人(一二パーセント)上回,入地後まもなく除隊した者、
西南戦争
で死亡した者、事故により追放された者等、それに替えて補充された者との
新札幌市史 第2巻 通史2
(装備・施設)
ところが
西南戦争
に出兵してみると、応急支給した屯田兵の服装の不揃いが際立ったようだ。
新札幌市史 第2巻 通史2
(食用作物)
西南戦争
の翌年の状況を見ると、三大作物は麦、豆、馬鈴薯である。
新札幌市史 第2巻 通史2
(困窮する移民たち)
西南戦争
後の西南諸県の事情が北海道移民の創出となったのであるが、福岡県の場合を例にみてみよう。
新札幌市史 第3巻 通史3
(地域の諸相)
山田貞介は、明治七年に最初の屯田兵として会津から琴似兵村に移住し、
西南戦争
、日清日露戦争に従軍した。
新札幌市史 第2巻 通史2
(開墾)
十年の大幅減少は
西南戦争
出兵による荒地化が影響している。
新札幌市史 第2巻 通史2
(殖民的評価)
札幌四兵村に江別野幌兵村を加え、屯田兵が開墾した耕地と札幌郡全耕地面積の比率は、
西南戦争
直後の十一年で
新札幌市史 第2巻 通史2
(病院と学校)
兵村周辺の子供も入学することができ、建物の完工とともに仮開校したが、
西南戦争
に出役中の兵員が帰村するのを
新札幌市史 第3巻 通史3
(区長)
加藤寛六郎(一八四九―一九三五)は会津藩の出身、戊辰の役で敗戦し一時幽囚の身となったが、のち佐賀の乱、
西南戦争
新札幌市史 第2巻 通史2
(図版・写真・表組一覧)
宮城県亘理町 (361頁) 写真-8 屯田兵と巡査の衝突を伝える函館新聞 (364頁) 写真-9
西南戦争
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