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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第1巻 通史1 (西野層)

西野層 藻南公園の対岸には大きな崖が続いている。,こうしたハイアロクラスタイトを主体とし、安山岩溶岩や凝灰岩、泥岩などからなる地層が広く分布しており、これを西野層,三角山の基盤や大倉山なども西野層の安山岩溶岩からなっている。,丘陵性台地(滝野丘陵)に点々と連なる小高い丘(焼山、白旗山、島松山など)も安山岩溶岩や凝灰岩などからなる西野層,西野層の堆積時期は、新第三紀鮮新世(五〇〇万~一八〇万年前)である。 / 西野層
新札幌市史 第2巻 通史2 (上手稲村と西野の開拓)

上手稲村と西野の開拓 この時期上手稲村は、西部地域の現在の西野、福井、平和の諸地域の開拓が進展していった,三地域は当時、総称して西野と呼ばれていたが、主に十八年以降に移住者が入地し、西野は広島県出身者(一部は,右股では、二十八年四月には上手稲小学校西野分教場もおかれ(三十一年五月に廃止)、この年は札幌鉱山(西野銀鉱,西野では三十四年に用水路が開かれ、西野米が札幌周辺では清田米とならぶ特産米となっていく。,写真-2 昭和3年の西野学田地の水田風景(『上田善七翁記』より)  西野は三十二年に戸数は四〇戸 / 上手稲村と西野の開拓
新札幌市史 第1巻 通史1 (◇N一九九遺跡(西区西野五条一〇丁目))

◇N一九九遺跡(西区西野五条一〇丁目) 「後北C2・D式土器」の土壙墓が、一九個検出されている。,この他N一八遺跡(西区発寒一〇条四丁目)、N四五三遺跡(西区西野二条七丁目)、N一七八遺跡(西区西野二条二丁目,)、N一七九遺跡(西区西野二条三丁目)にて恵山式土器・後北式土器が、試掘調査、分布調査において発見されている / ◇N一九九遺跡(西区西野五条一〇丁目)
新札幌市史 第1巻 通史1 (◇N一九九遺跡(西区西野二条八丁目))

◇N一九九遺跡(西区西野二条八丁目) 手稲山腹に源流を持ち扇状地の西側を流れる中の川右岸に位置する。 / ◇N一九九遺跡(西区西野二条八丁目)
新札幌市史 第3巻 通史3 (上手稲と分村運動)

上手稲と分村運動 大字上手稲村はもと仙台藩の片倉家臣団により開かれたが、明治二十年以降は西野地区を中心,三十一年に広島用水路が開削された後、左又の琴似学田、西野の円山学田でも用水路がつくられ、米どころとなっていった,ここで収穫された米は米質・収量ともに良好な西野米と呼ばれて世評が高く、西野は札幌周辺では有数の米産地となっていった,「西野水田地ト云ハヽ価格モ不廉ニシテ望者先ヲ競フニ至レリ」(手稲村史原稿)といわれ、水田農家が多い西野地区,このように西野地区を中心に発展をしていた上手稲村であったが、明治四十三年に地域を二分する分村問題が発生
新札幌市史 第2巻 通史2 (学田)

また円山学校は上手稲村西野に払下げをうけ、小作人を入れて開墾させたが、小作料収入が教育施設の充実、村民,年) 学 校 面 積 位 置 藻岩学校 60万坪 月寒村厚別(あしりべつ) 琴似学校 50 上手稲村西野,山鼻学校 65 砥石山官林 上手稲学校 20 上手稲村西野 円山学校 20.3148 上手稲村西野
新札幌市史 第1巻 通史1 (発寒川扇状地)

メートル)および盤の沢出口付近(同一六〇メートル)を扇頂点とする発寒川扇状地は、北東に向かって広がり西野,傾斜は札幌扇状地よりも急で、現在でも西野付近を歩くとかなりの登り坂を意識するほどである。
新札幌市史 第4巻 通史4 (学田地の経営)

学田地の経営 ところで、この西野学田地の小作経営はどのようにしてなされていたのであろうか。,昭和二年十一月八日、藻岩村長が佐藤正三郎から古瀬猛二に交代した際の事務引継書には、「未決事項」として 一四 、西野学田地小作料減免,一五 、本年更新シタル西野学田地賃貸料(一反歩十二円)ニ対シ十円ト低額セラレ度旨、小作人一同ヨリ陳情アリ,三六 、西野学田小作料調定(ママ)ニ関スル件  西野学田小作料ハ最初米納ノ契約ナリシガ、小作人側ノ願
新札幌市史 第4巻 通史4 (争議の経過)

とする地域、昭13町制施行円山町と改称、16・3札幌市に編入)の円山小学校が同郡手稲村大字上手稲村字西野,(現・西区西野)に所有する学田地において、昭和初期に起きた小作争議である。,この争議に関しては、旧小作人の立場からまとめられた、西野用水共有地組合編『円山学田地小史』がある。,なお、この学田地は通称「円山学田地」と称されているが、後掲史料では「西野学田地」または「手稲村学田地」,円山小学校に手稲村西野の学田地三〇万坪が付与されたのは、明治十七年五月のことであった(三関武治 藻岩村概史
新札幌市史 第1巻 通史1 (藻岩山)

藻岩山 鮮新世の西野層を基盤として、その上に、鮮新世末から更新世初期に噴出した溶岩(藻岩溶岩)で形成
新札幌市史 第5巻 通史5上 (『札幌市建設五年計画』の策定)

豊平川幹線 南6条~藻岩,改良・舗装 国土開発幹線自動車道 大曲~千歳,改良・舗装 北海道施行道路 西野月寒線,西野~真駒内駅,拡幅・舗装・橋梁新設 東札幌停車場線 南一条大橋~東札幌線,拡幅・舗装・橋梁架換,札幌夕張線の延長 現札夕線~1条橋,道道昇格要望 札夕線~東札幌停車場線改良・舗装・橋梁新設 西野月寒線,篠路駅,道道昇格要望 札幌留萌線~篠路駅改良・舗装 月寒停車場線 36号線~月寒駅,道道昇格要望 西野藻岩線,北の沢~西野,道道昇格要望 白石停車場線の路線変更 12号線~白石駅,道道昇格要望 樽川新琴似線
新札幌市史 第1巻 通史1 (三角山)

三角山 鮮新世末か更新世初期に、西野層を貫いた安山岩の岩脈が核となり、文字通り三角形の山となっている
新札幌市史 第1巻 通史1 (◇白石神社遺跡(S九四遺跡、白石区本通一四丁目))

◇白石神社遺跡(S九四遺跡、白石区本通一四丁目) 白石神社の旧境内にあった遺跡で、現在は道々西野―白石線
新札幌市史 第2巻 通史2 (分校・分教場等)

このほか月寒村厚別、上手稲村西野などにも同様の学校が設置された。
新札幌市史 第2巻 通史2 (公認神社の急増と住民)

大谷地神社、信濃神社、江南神社の七社、三十一年には諏訪神社、稲荷神社(琴似村のち山鼻村)の二社、三十二年には西野神社,さらに西野神社は、三つの出身地の異なる集落の小祠を合して創建されたが、大正に入ってそのうちの一集落が同社遙拝所
新札幌市史 第1巻 通史1 (鮮新世―更新世の火山活動)

鮮新世―更新世の火山活動 西野層を堆積させた海底火山活動に引き続き、陸上でも、鮮新世末から第四紀更新世
新札幌市史 第1巻 通史1 (扇状地堆積物)

扇頂部では、真駒内付近に鮮新世の西野層が露出しているので、扇状地の基盤には西野層が潜在しているのであろう
新札幌市史 第5巻 通史5上 (火葬場と墓地)

4,354 M37.2.8 滝野3191 25 手稲 13,719 M28.10.3 手稲本町575 26 西野,7,921 T12.8.7 手稲西野74 27 山口 9,917 不詳 手稲山口347 計 1,312,149
新札幌市史 第5巻 通史5下 (郵便局の増設)

札幌西野南(西区手稲西野)。山鼻(中央区南14西15、普通、平12中央区南16西15へ移転)。,札幌西野八条(西区西野8-8)。札幌平岸三条(木の花を改称)。,札幌西野中(西区3-7へ移転、西野中を改称) 平 1 北海道大学前(北区北17西4)。
新札幌市史 第1巻 通史1 (◇T一五一遺跡(豊平区月寒東五条一三丁目、同区月寒東三条一一丁目))

五条一三丁目側は、道々西野―白石線より北側の部分で昭和五十六年に宅地造成に伴い調査が実施された。
新札幌市史 第2巻 通史2 (山口・広島県からの移住)

植産会社に関係をもつ山本章、玉井利之助、柏村桃作などが上手稲村のいまの西区西野に、五〇戸分五〇万坪の地所割渡,これ以降、西野に山口・広島県の移民の入地をみるようになる。,十七年に移住した前鼻林七・理寛寺栄蔵など八人は、十八年四月に今度は上手稲村の今の西野へ再移住し、広島開墾
新札幌市史 第5巻 通史5下 (神社の記念事業)

すでに上記でもふれた神社の他、三吉神社では五十二年に社殿・社務所の新築、西野神社では五十八年から社殿の,増改築、玉垣の建設、百年記念塔の建立、『西野神社の百年』の発刊を行い、手稲神社は平成十一年に社務所・演舞場
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌神社の活動)

時期札幌神社の神職が社掌を兼務したのは丘珠神社、大谷地神社、諏訪神社、白石神社、江南神社、稲荷神社(琴似村)、西野神社
新札幌市史 第5巻 通史5下 (演奏の場の広がり)

五十六年から平成元年までの「ふれあいコンサート」(南区真駒内)、昭和五十七年からの西野コンサート(西区
新札幌市史 第1巻 通史1 (市域の分布調査)

市域の分布調査 昭和三十八年、岩崎隆人、宇田川洋、河野本道、西野彰子による札幌市域の遺跡分布調査の成果
新札幌市史 第2巻 通史2 (移民の編成)

福玉仙吉は明治元年にベツカウス(現西野)に入地した人物で、当時杣工として伐木を営んでいた。,このことで、平八郎は発寒村といっても西野付近であることがわかる。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (諸社の動向)

『札幌祖霊神社創立百周年記念誌』(昭46)、『西野神社小史』(昭50)、『西野神社の百年』(昭60)、
新札幌市史 第3巻 通史3 (手稲村の概況)

行政区域は七部に分かれていたが、大字上手稲村は上手稲・西野、大字下手稲村は軽川・三樽別・下手稲星置、大字山口村
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌鉱山)

札幌鉱山 『手稲町史』(昭43)によると、現在の西野の奥発寒川の右股の平和地区にある宮城の沢に、中島商事株式会社
新札幌市史 第5巻 通史5下 (単立の施設)

本尊とし、五十四年六月に中宮孝子が創始して活動を開始し、平成二年七月十日に手稲区稲穂二条七丁目から西区西野二条三丁目
新札幌市史 第5巻 通史5上 (郵便局の増設)

白石平和通(白石町平和通2)手稲稲穂中(簡易 手稲稲穂),札幌北四十一条(北41東8),東月寒(東月寒),西野中,(手稲西野) 昭46 札幌北二十四条西(北24西14),篠路(普通に改定,篠路町篠路33),札幌平岸六条,(平岸6-9),札幌西野東(手稲西野),円山西町(簡易 円山西町) 昭47 豊羽本山(簡易 定山渓国有地
新札幌市史 第1巻 通史1 (発寒川扇状地)

発寒川扇状地 西区西野の市街地をのせる発寒川扇状地は、福井・平和付近を扇頂として、次第に高度を下げ、
新札幌市史 第5巻 通史5上 (近郊の観光―手稲町、その他)

手稲温泉をまわる観光コースを売出したところ、観光資源と生産物を結びつけた企画が人気を呼んだため、続いて西野
新札幌市史 第4巻 通史4 (北海道型の争議)

)で大規模な争議が発生し(市史第三巻参照)、その余波として、昭和初期には同じ篠路村の学田地や藻岩村の西野学田地
新札幌市史 第2巻 通史2 (幌内鉄道の完成)

その他白石と西野幌に休泊所があった。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (特認校の教育)

発寒川の上流左股川に沿った谷あいの西野・北の沢・宮の森へ通じる三路の交点にある。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (宅地開発と札幌市宅地開発要綱)

一方崖崩れや土砂の流出などによる災害を防止するため、四十年五月に宅地造成等規制法により、西野、円山、北
新札幌市史 第1巻 通史1 (三ベッドの特性)

山口ベッドは山口観測所のボーリングにおいて、深度約一四〇メートルで鮮新世の西野層(第二章参照)を不整合
新札幌市史 第4巻 通史4 (区から部へ)

上手稲東、上手稲西、西野、南西野、軽川第一、軽川第二、三樽別(さんたるべつ)、新川、下手稲、山口、星置
新札幌市史 第5巻 通史5下 (水道網の拡張と水道の安定供給)

一日一二万立方メートルから三一万立方メートルに拡張、平岸配水池の容量を倍の六万立方メートルとし、白川、西野,、十二年四月通水開始の藻岩浄水場は、豊平川表流水、一五万五〇〇〇立方メートル、四十六年四月通水開始の西野浄水場
新札幌市史 第4巻 通史4 (町村部の商業)

手稲村では、大正期の当座帳によると軽川に国領商店など一一軒、手稲東に久守商店など二軒、西野二股、星置に
新札幌市史 第4巻 通史4 (昭和十~十一年の争議)

第四条第二項で、「水田目的ノ土地ハ毎年十二月十五日限リ」賃貸料を徴収すると改め、後者は「札幌郡手稲村字西野
新札幌市史 第2巻 通史2 (戸数と人口の増加)

琴似は新川地区、上手稲は西野地区、平岸は澄川・簾舞地区、白石は厚別地区などに開拓前線が広がり、移住者の
新札幌市史 第3巻 通史3 (大正四年大正大礼と国家神道)

手稲村の西野神社は幣殿拝殿を新築し地域の大嘗祭を執行し、諏訪神社でも境内拡張、社殿修繕、大嘗祭執行がなされた
新札幌市史 第4巻 通史4 (町村常会)

町内会部落会、手稲村常会の設置規程制定の件が協議されており、十八日には鉱山聯合会、上手稲西、右股、左股、西野
新札幌市史 第5巻 通史5上 (招致まで)

しかし三十四年になり、六月に全日本スキー連盟西野陸夫副会長が来札し、三十七年の世界スキー選手権、四十三年
新札幌市史 第5巻 通史5下 (大規模工場の市外移転)

北広島市北の里 北海三共(株)ホームページ 金属製品 巴組鉄工所札幌支店 西、手稲西野
新札幌市史 第5巻 通史5下 (教会設立の動向)

日本キリスト教会が白石、発寒に教会を開設し、また札幌バプテスト教会も所属教会員を株分け(分離独立)し、西野
新札幌市史 第2巻 通史2 (農場の設置)

また上手稲村の西野に所在した円山村の学田は大正末期で約七〇町、小作は約三〇戸といわれ(西野用水地組合 
新札幌市史 第5巻 通史5下 (広域交通網の整備・拡充)

バイパスでは、札幌新道に国道三三七号を加え、環状通も北広島から江別を通り東区、北区の北辺を抜けて西区西野
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