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新札幌市史 第1巻 通史1
(調役の政務)
調役
の政務
調役
の政務事項は、安政三年一月に制定された「場所在勤心得方」(幕末外国関係文書 一三)に,をみてみると、先にひいた「石狩場所改革方取計之儀申上候書付」には、漁業中のこととして、御用所(役所)には
調役
,・下役が各一人、改役所には下役が一人、海岸五里・河通三里の所に
調役
・下役が各一人、それぞれ日々、出勤・,このような
調役
(二人)、下役(三人)の政務分担は、他項目にわたり種々おこなわれていたであろう。 ,
調役
の重要な任務としては、「場所在勤心得方」にあるように、持場内の廻浦(巡回)があった。 /
調役
の政務
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリの詰役)
安政二年(一八五五)に蝦夷地の第二次直轄が実施されるに及び、箱館奉行では松前藩の在勤制度にならい、各場所に
調役
以下,その際、蝦夷地及びクナシリ・カラフトなど一〇カ所を持場割に定め、そこに
調役
(
調役
、
調役
並、
調役
並出役),フルビラ、ヨイチ、オショロ、タカシマ、オタルナイ、イシカリ、アツタ、以上の九場所を管轄し、イシカリが
調役
,
調役
並出役 水野一郎左(右)衛門 下役出役 立石元三郎 同心 広田八十五郎 足軽 ,吉沢佐一郎 久保欣吾
調役
並出役となった水野一(市)郎右衛門は、もと西ノ丸定介御賄吟味役であった。
新札幌市史 第1巻 通史1
(役人の増員)
六郎の任命により、イシカリ詰の
調役
は、
調役
並の金助とあわせ二人になり、今後のイシカリ場所・役所は、金助,
調役
が二人おかれたのは、イシカリ詰のみである。,五郎一は御普請方役所門番人出役から、安政二年十月十六日に
調役
下役となる。,野崎河内右衛門は、安政五年四月十七日に同心から
調役
下役となる。,先の
調役
下役に昇進した頃に、イシカリ詰となったようである。
新札幌市史 第1巻 通史1
(幕末の役人たち)
源兵衛は安政元年(一八五四)閏七月二十一日に
調役
下役となり、それ以降、箱館にて御蔵方・沖ノ口掛などを歴任,し、文久三年一月二十日に
調役
並となり、イシカリ詰に任命された。,永らくマシケ詰を勤めた後、七年三月二十三日に
調役
並出役、北地詰に任じられ、文久三年(一八六三)九月九日,に
調役
並でイシカリ詰となった。,源兵衛の転任以降は、イシカリ詰の
調役
は一人となり、恵助は明治以後、箱館裁判所の成立までイシカリ役所の首班
新札幌市史 第1巻 通史1
(蝦夷地警備と「在住」の任用)
結局、原半左衛門がたまたま文化元年(一八〇四)、箱館奉行支配
調役
に組み入れられた後、手付の者も地役御雇,西蝦夷地直轄後は、
調役
下役に昇進、イシカリ場所詰合も兼ね、イシカリ着任目前に病没している(土人由来記、,閏4 八王子千人同心組頭 山越内 文化4.
調役
下役へ 6 河西祐助 寛政12.,文化元9.16.
調役
下役へ 8 石坂武兵衛 寛政12.,その一方で、河西祐助のように「在住」から
調役
下役へ昇進したものもいた(休明光記)。
新札幌市史 第1巻 通史1
(水野一郎右衛門の在住への降格)
水野一郎右衛門の在住への降格 人事交替が実施されなかったかわりに、
調役
並でスッツ詰の長谷川儀三郎が、,儀三郎はもと表火番で、安政二年十月十七日に箱館奉行所の支配
調役
並出役となり、三年三月にスッツ詰となった,一方、一郎右衛門の処置に対して場所交替はおろか、
調役
並出役の差免、蝦夷地在住への降格という、非常にきびしい
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリ役所の創設)
御用所の移転・普請費は一六五両、役宅は
調役
・
調役
下役・同心・足軽が各二軒、文武稽古所ならび教授方住居が,図-2
調役
下役の住宅 この図版・写真等は、著作権の保護期間中であるか、 著作権の確認が済んでいないため
新札幌市史 第1巻 通史1
(詰役の更迭)
それによると、イシカリ詰の
調役
並出役水野一郎右衛門はルルモッヘ(留萌)詰となり、ルルモッヘ詰の
調役
並須藤甚之助,たとえばこの年(安政三年)の三月二十九日には、「箱館
調役
下役以下無精者は、無役にいたし蝦夷在住申付、離島遣
新札幌市史 第1巻 通史1
(郡目付の到来)
、御含の末御国産の事を鎮台え申聞置候処、九日朝堀鎮台より懇なる沙汰之末、三段仕組之箱菓子抔持参して、
調役
村上愛助,可申由被申聞…… これによると、十月十七日に郡目付以下が訪れ、産物のことを箱館奉行(鎮台)堀利熙、
調役
村上愛助
新札幌市史 第1巻 通史1
(第二次直轄とイシカリ)
第二次直轄とイシカリ 第二次直轄となり、イシカリには
調役
以下の詰合役人が派遣されるようになるが、特に,イシカリ詰の
調役
は、シャコタン(積丹)からアツタ(厚田)までをイシカリ持場として担当することになった。
新札幌市史 第1巻 通史1
(生活の困難と在住の立場)
たとえば安政三年三月、すなわち一般の在住任命に先立って、箱館奉行は「箱館
調役
下役以下不精者ハ、無役ニいたし,ニ付」として蝦夷地在住を申し渡されており、さらに「此度初て之事」(同前)と注記されているが、八月にも
調役
下役人一人,このほか病気と届け出て出函したイシカリ在住について、出函を認めた現地
調役
の処置を心得違いとした上、箱館
新札幌市史 第1巻 通史1
(荒井金助の事蹟)
荒井金助の事蹟 荒井金助は安政四年六月に、イシカリ詰の
調役
に就任以降、種々様々な事蹟を残してきた。,されており、金助の施策活動もその一環としてみる必要があるものの、困難なイシカリ改革の前夜に、イシカリ詰の
調役
新札幌市史 第1巻 通史1
(蝦夷地見回りとイシカリ場所)
一方、松前奉行も、幕吏を西蝦夷地の場合、ウスベツよりイワナイ間に
調役
以下一一人、フルウよりアツタの間
調役
並以下九人,、ハママシケよりフレベツの間
調役
以下一二人、テシオよりソウヤの間
調役
以下一三人、モンベツよりシャリの間
調役
以下一
新札幌市史 第1巻 通史1
(城六郎の北地出張)
このために、万延元年(一八六〇)三月二十五日に、
調役
並梨本弥五郎がイシカリ詰となり、四月二十四日に着任,これによりイシカリ役所の
調役
は、兼任の六郎を含め三人となった。
新札幌市史 第1巻 通史1
(生活)
このほか、イシカリ役所
調役
の荒井金助は、安政四年十一月にオタルナイ川付近で波にさらわれて死亡した永田久蔵,書状として「サッポロ之儀ハ人家モ無之、大ニ歎居リ候処、同所ハ蝦夷地中央四方平面之地ニテ地之利宜処……
調役
新札幌市史 第1巻 通史1
(改革にむけての動向)
これは箱館の
調役
鈴木尚太郎がイシカリ、村上愛助が北地(カラフト)の改革の担当者となり、現地詰の役人が作成,した調査書を審議し、また不備・不明な点などの点検をおこなう増掛(ましかかり)に、組頭から両
調役
に下命されたとみられる
新札幌市史 第1巻 通史1
(騒動とシノロ村浪人の参加)
一揆勢は御用所を襲ったりしたが、漁民の多くは解散し、六日にイシカリ役所の
調役
樋野恵助らがオタルナイに到着
新札幌市史 第1巻 通史1
(安政五年当時の方針)
人家モ無之、大ニ歎居リ候処、同地ハ蝦夷地中央四方平面之地ニテ、地之利宜処、亀田同様城下ニ可被致由ニテ、
調役
新札幌市史 第1巻 通史1
(荒井好太郎・鎗次郎)
村並仕法替書類 木村家文書)、あるいは慶応二年(一八六六)四月の、役人に対する進物控中に、肩書はないが
調役
樋野恵助,書物御用出役は、幕吏の部屋住みの処遇という面が強いから、少なくとも金助が
調役
のまま死去した慶応二年暮までは
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリは「不宜場所」)
さらに、利熙がこの後六日にマシケにて出した、場所詰
調役
への申渡しによると(石狩土人申渡)、次のようなものであった
新札幌市史 第1巻 通史1
(旧幕軍の蝦夷島占拠)
かくして明治元年十二月晦日に小樽内では、旧幕軍衝鉾隊頭取役酒井兼三郎が一小隊、また開拓奉行
調役
西村賢八郎
新札幌市史 第1巻 通史1
(支配人、役人への申渡し)
て老人病人幷極貧窮ニテ漁事働も出来兼て致し(ママ)者ハ、別テ心得遣ス様致セ 巳五月 場所詰
調役
新札幌市史 第1巻 通史1
(シノロ村との関係)
すなわちイシカリ役所
調役
荒井金助は「剱客下國雪之進、鎗(ママ)術士荒谷兵三郎をして農村(荒井村―シノロ
新札幌市史 第1巻 通史1
(事務の引継)
イシカリ役所においても、七月に箱館裁判所より参事井上弥吉ほか附属三人がイシカリへ派遣され、旧イシカリ詰
調役
樋野恵助
新札幌市史 第6巻 史料編1
(目次)
石狩御手作場農夫御扶持米塩噌諸道具渡方書上帳 慶応二年十月…397 9 開墾御入用筋之儀ニ付
調役
樋野恵助殿添書写, 14 石狩御手作場開発田畑取調書上帳 慶応三年十二月…448 15 開墾御入用之儀ニ付
調役
樋野恵助殿添書写
新札幌市史 第2巻 通史2
(説教所の設立)
説教所の設立 以上二つの寺院のうち、龍雲寺は開村者で石狩役所在勤の
調役
であった荒井金助長男の未亡人の
新札幌市史 第1巻 通史1
(旧幕吏の再任)
旧イシカリ役所
調役
樋野恵助は、裁判所への引渡しを済ませた後に江戸へさったという。
新札幌市史 第1巻 通史1
(荒井金助のイシカリ到着)
その後、京都御取締方・小普請方などをつとめ、安政四年三月十六日に箱館奉行支配
調役
並となる。
新札幌市史 第1巻 通史1
(トシキランの死)
そこで武四郎は義弟アイクシテを、
調役
並荒井金助のもとに遣わし、モニヲマの帰郷をとりはからったのである。
新札幌市史 第1巻 通史1
(コモンタ)
このことを武四郎は聞き気の毒に思い、ハッサム在住の件につきコモンタは尽力したので、当時イシカリ兼務の
調役
並長谷川儀三郎
新札幌市史 第1巻 通史1
(足軽)
すなわち、
調役
は一人から二人、定役は一人から二人、同心は一人から三、四人、足軽は二人から四、五人へと増加
新札幌市史 第1巻 通史1
(温泉の利用と新道)
イシカリでは早速、温泉のことを
調役
並荒井金助へ報告し、金助は検分のために同心広田八十五郎を派遣する。
新札幌市史 第6巻 史料編1
(解題)
三 入用勘定取調書 「開墾御入用筋之儀ニ付
調役
樋野恵助殿添書写」(慶応三年正月)(9)、「開墾御入用之儀,ニ付
調役
樋野恵助殿添書写」(慶応四年三月)(15)の二文書で、前記の『二 開墾入用請払書上帳』のうち、,慶応二年分と慶応三年分の施行事業ならびに収支決算を、箱館奉行所石狩詰
調役
樋野恵助が監査した結果の添書文書
新札幌市史 第1巻 通史1
(新道の必要性)
しかし冬季のこともあり、それが可能かどうかをイシカリ詰の
調役
並水野一郎右衛門を通じ、二十四日に場所支配人
新札幌市史 第1巻 通史1
(玉虫左太夫の建言)
賄賂についてもイシカリ場所がもっとも横行しており、そのために
調役
水野一郎右衛門が、在住に降格されるほどであった
新札幌市史 第1巻 通史1
(経営指針の提示)
そしてこれらに対する指示・回答が、小出箱館奉行に伺い済みの上、箱館奉行所
調役
最上徳内を通じて一括して達
新札幌市史 第1巻 通史1
(直場所の経営費)
小嶋源兵衛
調役
の時にして、文久二年十一月廿一日箱館奉行所へ納めたり(註 文久二年は荒井、尚石狩在勤)。
新札幌市史 第1巻 通史1
(西本願寺)
ハ人家モ無之大ニ歎居リ候処、同処ハ蝦夷地中央四方平面之地ニテ地之利宜敷、亀田同様城下ニ可被致由ニテ、
調役
同下役同心等追々在住引越
新札幌市史 第1巻 通史1
(鈴木尚太郎と山県璣)
名は重尚、茶渓と号し、旅の翌年箱館奉行支配
調役
として箱館に在勤する人である。
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリへの情報伝達)
にあって、明治元年四月十二日に蝦夷地統轄の箱館裁判所が設置され、その達書が閏四月二十二日にイシカリ詰
調役
樋野恵助
新札幌市史 第1巻 通史1
(後年の聞取り等によるもの)
箱館奉行堀織部正およびイシカリ役所
調役
荒井金助の意見については、直接の史料は見出してはいないが、数種の
新札幌市史 第1巻 通史1
(改革まで)
この間、二月二十二日、奉行所の
調役
下役元締山口顕之進が奉行の指示を受けてイシカリに到着、荒井金助ら現地
新札幌市史 第6巻 史料編1
(〔大友亀太郎文書〕)
石狩御手作場農夫御扶持米塩噌諸道具渡方書上帳 大友亀太郎 9 慶応三丁卯年正月 開墾御入用筋之儀ニ付
調役
樋野恵助殿添書写,石狩御手作場開発田畑取調書上帳 大友亀太郎 15 (朱書)「慶応三丁卯年分」 慶応四戊辰年三月 開墾御入用之儀ニ付
調役
樋野恵助殿添書写
新札幌市史 第1巻 通史1
(大内清右衛門の偵察)
大内の福山滞在中の調査内容は、御用
調役
白石重隆(又衛門)が問答体に記した『蝦夷情実』(函図)に詳しい。
新札幌市史 第2巻 通史2
(篠路村と早山清太郎)
第一の村には、在住ではないがイシカリ役所
調役
並荒井金助が万延元年(一八六〇)頃に開いた荒井村、その南隣
新札幌市史 第1巻 通史1
(安政三年の調査)
このイシカリ勤番所には、箱館奉行所の
調役
並、下役、雇医師、同心、足軽の各一人の計五人の幕吏が勤番している
新札幌市史 第1巻 通史1
(検分の成果と影響)
となると「会所抔は名主早朝ニ詰合、夜ノ四ツ時九ツ頃ニ退出の体ニて甚心配」(同前)したが、箱館奉行所の
調役
並
新札幌市史 第6巻 史料編1
(件名目次)
一四 霊場参詣往来一札(同年三月) 一五 文久改元の触(同年二月二八日) 一六 城六郎
調役
並
新札幌市史 第1巻 通史1
(新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)
イシカリ役所の創設 役人の増員 同心 足軽 番所の設置 ハッサム番所 シノロ番所
調役
新札幌市史 第1巻 通史1
(図版・写真・表組一覧)
の改革とサッポロ 第1章 図-1 イシカリ持場所(○印)札幌市教育委員会作成 (564頁) 図-2
調役
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