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新札幌市史 第2巻 通史2
(豊平村の成立)
豊平村
の成立
豊平村
は、「豊平橋ヨリ月寒村下迄新道左右」の地域に設定され、新白石村とともに七年三月十七日,
豊平村
の設置の理由は、「庁下より東方月寒村迄新道筋左右耕地払下ケ、追々人家取建候ニ付」(市史 第七巻二二三頁,「移民履歴調」には
豊平村
の創成につき、以下のように記述している。,『北海道毎日新聞』(明治二十九年十月三十日付)には
豊平村
の沿革について、 六年石川県士族林顕三、今の,『地価創定請書』には、
豊平村
の一四―一、三八―一、四〇、四一番地の四カ所に石川県農民地、総計で約二〇町五反歩 /
豊平村
の成立
新札幌市史 第2巻 通史2
(市街化する豊平村)
市街化する
豊平村
豊平村
は豊平橋をはさみ札幌区の市街に接し、室蘭街道(国道三六号)から札幌区に入る玄関口,二十四年一月の状況を『北海道毎日新聞』(以下道毎日と略)の「
豊平村
の近況」(二十四年一月十八・十九日付,)からうかがうと、
豊平村
には雑貨商四九戸、旅人宿八軒、飲食店二三戸、煙草小売五軒、湯店三店があったという,
豊平村
には豊平、平岸、月寒、上白石、白石の五カ村戸長役場がおかれ、豊平川以東の行政の中心に位置していた / 市街化する
豊平村
新札幌市史 第3巻 通史3
(豊平村、豊平町の概況)
豊平村
、豊平町の概況
豊平村
は豊平・平岸・月寒村の三村をもって明治三十五年四月一日に二級町村制が施行,
豊平村
は東西九里二二町(約三八キロメートル)、南北八里三二町(約三五キロメートル)、面積五二方里(約八,しかしながら
豊平村
は全域が純農村とはいえず、大字
豊平村
が商業地域、大字平岸・月寒村は農業地域という具合,
豊平村
は四十年には戸数一八八一戸、人口一万三九七人を数え人口も一万人を超えたので、四十一年四月一日から,そして大字
豊平村
の商業地域は四十三年四月一日に札幌区に編入され、〝難治村〟が解消されることになった。 /
豊平村
、豊平町の概況
新札幌市史 第3巻 通史3
(市街化の大字豊平村)
市街化の大字
豊平村
大字
豊平村
は、三十三年の戸数五〇五戸、人口は二三七七人であり、農地も三五八町二反,(水田一一町五反、畑三四六町七反)を数えていた(戸数・人口は「北海道戸口表」、農地は「
豊平村
平岸村月寒村沿革大略,しかしながら
豊平村
は二十九年に、「現今戸数三百五十余戸、一の小市街を為し商七分、農三分の割合なるも数年,おそらくこれらの商工数は、ほとんどが
豊平村
のものとみてよいと思われるが、古着や古道具を扱う物品販売業が / 市街化の大字
豊平村
新札幌市史 第2巻 通史2
(豊平村ほか五カ村の状況)
豊平村
ほか五カ村の状況 この時期の移住者の出身府県は、道内全体でみると二十年代(明治十九~二十九年) /
豊平村
ほか五カ村の状況
新札幌市史 第3巻 通史3
(独立村問題と豊平市街の札幌区編入)
民情風俗業体ノ異ナルニ従ヒ各利害関係ノ斉シカラザルニ基因スル儀ト相信ジ候、翻テ本村ノ状況ヲ観ルニ大字
豊平村
,
豊平村
の商業地区、月寒・平岸村の純農村的性格からくる「利害関係」「人情風俗」及び「民度発達上ノ遅速生計,このような背景があって、札幌区の区域拡大に当たり、豊平町では大字
豊平村
の札幌区編入を積極的に推し進めていった,四十一年十二月の豊平町議会では満場一致をもって編入を決議したが、その理由は商業地域の
豊平村
が農業地域の,、「人文発達ノ点ニ於テ生活及経済ノ状態ニ於テ全然基本拠ヲ異ニシ合同自治ノ目的ニ適ハザル事」、あるいは
豊平村
新札幌市史 第2巻 通史2
(村落部寺院の創立)
これに大谷派別院(山鼻村)・経王寺(
豊平村
)など基幹的寺院を除く既設の日登寺(琴似村)・本龍寺(札幌村,法国寺 20. 3. 8 苗穂村 真宗大谷派 慧林寺 24. 12
豊平村
,真宗大谷派 長専寺 29. 9. 8 平岸村 浄土宗 順正寺 29. 9
豊平村
,浄土宗 松龍寺 30. 4. 10
豊平村
曹洞宗 祥龍寺 30.
新札幌市史 第7巻 史料編2
(三 移住民情況調査報告)
山鼻村 円山村 琴似村 発寒村 琴似発寒屯田兵村 上手稲村 下手稲村
豊平村
,五八 移住民情況調(明治一九年調) 札幌村 雁来村 苗穂村 丘珠村 篠路村
豊平村
新札幌市史 第2巻 通史2
(村規約と自治)
第三項は
豊平村
組合規約より補訂)。,林顕三は二十九年三月に
豊平村
を視察し、二十九日に開かれた豊平ほか四カ村の歓迎会でも、町村組合法につき演説,をおこなったが(道毎日 二十九年三月三十一日付)、
豊平村
では四月六日に
豊平村
組合規約を締結した。,しかし
豊平村
の場合、地区組織の組合をつくったのはこれが初めてではない。
新札幌市史 第2巻 通史2
(豊平開墾)
しかし
豊平村
が設置されるのは六年である。,したがってこの「豊平」は後の行政村としての
豊平村
のことではない。,うの開墾掛長石山」といっていることと、島判官の本府建設計画図である「石狩大府指図」に、札幌川東岸に「
豊平村
新札幌市史 第7巻 史料編2
(三 地租創定事業)
東創成町 雨龍通 札幌通 雁来村 下手稲村 白石村 上白石村
豊平村
,山鼻村 (2)耕地の部 雁来村 下手稲村 白石村 上白石村
豊平村
新札幌市史 第3巻 通史3
(【主要参考文献・史料】)
札幌郡藻岩村大字円山村部落』(明44)、『藻岩村勢一班』(大12)、『円山百年史』、『豊平町勢一般』(明44)、「
豊平村
平岸村月寒村沿革大略,」『札幌の歴史』第二一号、『
豊平村
治留』(北大図)、『豊平町史資料』(札幌市)、北海道帝国大学農学部附属農場
新札幌市史 第2巻 通史2
(火災)
22・ 8・11 八月十一日より九月十四日頃まで札幌市街及び
豊平村
にかけて放火事件相次ぐ。,28・ 3・ 4
豊平村
一一番地飲食店魚口サト方より出火。全焼二戸、半焼一戸。,7・21
豊平村
荒物商及川栄八方より出火。全焼一五戸、半焼四戸、半潰二戸、焼失面積四八〇坪余。,10・15
豊平村
五、六戸焼失。 11・18 製麻会社雁来製綿所亜麻貯蔵小屋全焼。死者一人。,
豊平村
四二番地阿部文吉細工小屋より出火。八戸全焼。
新札幌市史 第2巻 通史2
(上白石村の成立)
七年三月十七日に「白石村ヨリ豊平川端へ移住ノ者二十六戸」の居住地を新白石村と命名し、分村設置のことが
豊平村
設置,また
豊平村
のほかに山鼻村の設置もあわせて伺に記された。,上白石、
豊平村
は六月に許可となり、九月二十三日には三村の設置が全国の府県へ布達された。
新札幌市史 第3巻 通史3
(第二五聯隊の出動)
第二五聯隊の出動
豊平村
大字月寒村の歩兵第二五聯隊は、当時聯隊本部、三大隊、一二中隊の編成であったが,獅子谷 四四 六一 以上のうち、札幌では原籍地別にみると札幌区一七人、琴似村一一人、
豊平村
七人
新札幌市史 第2巻 通史2
(周辺村落との連絡路)
間 5 対雁街道,銭函道札幌神社追分間,市街白石村間,
豊平村
島松村間,本願寺脇石山間 6 篠路村花畔村間,円山小樽間道路修繕,雨竜通篠路駅逓間道路修繕,石山新道開削(国道230号),山鼻村真駒内間,真駒内穴の沢間 12
豊平村
平岸村間
新札幌市史 第7巻 史料編2
(二 総代人制度)
丘珠村規約(明治二一年) 一四六 山口村総代人の改選の報道記事(明治二二年一二月一四日) 一四七
豊平村
総代人,(明治二四年八月二三日) 一六二 選挙権、被選挙権者の報道記事(明治二五年三月二〇日) 一六三
豊平村
第四区組長嘱托,(明治二五年九月一日) 一六四 総代人の名簿(明治二五年一一月) 一六五
豊平村
の組長当選者(明治二六年八月三一日,総代人会の報道記事(明治二八年一一月二八日) 一七五 町村の組合法(明治二九年三月三日) 一七六
豊平村
組合規約
新札幌市史 第3巻 通史3
(北海道石材の馬鉄)
北海道石材の馬鉄 明治三十九年七月、宮城昌章前
豊平村
長他数名が、札幌郡平岸村字石山から
豊平村
を経て札幌区北五条西四丁目
新札幌市史 第2巻 通史2
(経王寺)
ヒ不申、実ハ銘々共迚モ寤寐の思不安当惑至極仕候」(開拓使公文録 道文五八一八)と心情を訴え、ついては
豊平村
,これによれば土地は前回どおり
豊平村
大岡助右衛門私有地八二五八坪を寄付、山号寺号を妙法華山経王寺とし、檀家数一八
新札幌市史 第7巻 史料編2
(二 払下手続・地券発行等)
) 二三 耕宅地等地券発行に付庁下市街調査境界の件(明治九年一一月二八日) 二四 第一大区五小区
豊平村
耕宅地明細帳,明治二十七年中区画地貸下の件(明治二七年一月二三日) 三五 土地払下・貸下願書類(明治一三~二一年) (1)
豊平村
寄留一条仲之輔地所払下願書
新札幌市史 第3巻 通史3
(施行地)
人口四二五八人 手稲村(旧来の下手稲村、上手稲村、山口村の区域) 人口三三九〇人
豊平村
,(旧来の
豊平村
、平岸村、月寒村の区域) 人口七三七四人 白石村(旧来の白石村、上白石村の,その後、
豊平村
が次のような変遷をたどった。
新札幌市史 第8巻1 統計編
(【人口】)
第30表 戸数・人口 (月寒村) 第31表 戸数・人口 (平岸村) 第32表 戸数・人口 (
豊平村
,) 第33表 戸数・人口 (
豊平村
・町) 第34表 戸数・人口 (上手稲村) 第35表 戸数・人口
新札幌市史 第2巻 通史2
(明治二十年代の公認神社)
豊平村
の総代人をつとめた阿部仁太郎が、郷里青森県猿賀神社の祭神上毛野君田道命をまつり、さらに山の神である
新札幌市史 第7巻 史料編2
(二 札幌市街並に周辺村落の誕生)
の件伺(明治六年八月一九日) 三二 元対雁村を雁来村に改称に付布告(明治六年九月二九日) 三三
豊平村
,、新白石村二ケ村分村に付達(明治七年三月一七日) 三四
豊平村
、新白石村二村名称の儀に付申進(明治七年三月三
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌・発寒・琴似村)
十一月頃に作成されたと思われるが、この図には志野呂(篠路)村、開墾村(札幌村のこと)、琴二村、発三村、
豊平村
,当時いずれも実在した村名とみられるが、ただ
豊平村
に問題が残る。
新札幌市史 第2巻 通史2
(副戸長の兼務)
雁来村は市中の戸長が代行しており、諸村に副戸長の配置・兼務がみられるようになったが、
豊平村
は当初副総代
新札幌市史 第2巻 通史2
(副戸長の設置)
新しく成立した村をみると、山鼻、
豊平村
の設置は七年九月二十三日に開拓使から全国へ布達されたが、まだ戸数,
豊平村
は戸数が多かったにもかかわらず市街地とみなされて、村務は札幌市街の町戸長が担当し、最後まで副戸長
新札幌市史 第3巻 通史3
(境界変更)
札幌区に編入された地域は、札幌村の南西部の区と接続する地域、白石村字上白石村の区に接続する地域、豊平町字
豊平村
新札幌市史 第3巻 通史3
(会議所設立の不認可)
三十三年九月六日、すなわち申請書が提出されるまでひと月とない直前になって、会議所設立発起人会では
豊平村
,したがって
豊平村
の一部を会議所区域に編入することは、何ら差し障りのあることではない。,
豊平村
の〝一部〟とはどこを指すのか、あるいは営業税の納税者がどの程度いたのか等、検討の余地はあるものの
新札幌市史 第3巻 通史3
(農家構成の変化)
篠路村が最も大きく六・五町、続いて手稲村(六・一町)、札幌村(四・六町)、中位が琴似村(四・二町)と
豊平村
,の耕地と農家(大2) 耕地面積 農家戸数 一戸当り 札幌村 3,056.3町 671戸 4.6町
豊平村
,篠路村で七四パーセント、続いて藻岩村と白石村が五五パーセント、札幌村と手稲村が四〇パーセントで、琴似村と
豊平村
新札幌市史 第3巻 通史3
(遼陽戦勝祝賀会)
第二五聯隊のある
豊平村
でも「開村以来の盛会」というさかんな祝賀会が挙行された(北タイ 明37・9・7)
新札幌市史 第2巻 通史2
(白石村と大谷地・厚別の発展)
彼は
豊平村
の総代人、消防組組頭、郵便局長をつとめた
豊平村
の草分けであるが、ここに農場を開いて以来、厚別
新札幌市史 第3巻 通史3
(手稲村の概況)
約一四・四キロメートル)、面積約七・九方里(約一二一・七平方キロメートル)あり、札幌区の周辺村の中では
豊平村
新札幌市史 第2巻 通史2
(基幹的寺院の改築と移転)
中央寺はまず小教院として南二条西九丁目にあったが、布教の不便および区民共同墓地の
豊平村
移転のための不便
新札幌市史 第2巻 通史2
(代表的な総代人たち)
写真-7 上田万平 写真-8 上田善七
豊平村
の阿部与之助は、天保十三年(一八四二),十二年から
豊平村
に居住し、商業のかたわら開墾に励み、厚別や厚別器械場(現滝野)に農場を開いている。,三十二年七月に功労碑が
豊平村
に(豊平神社境内に所在)、大正二年七月に厚別器械場に建碑された。
新札幌市史 第2巻 通史2
(市街地の拡大)
豊平川方面である南東方向は、豊平川を越えて
豊平村
と市街を接するようになる。
新札幌市史 第2巻 通史2
(副業)
二十二、三年の
豊平村
外四カ村の場合、農業従事者三七七八人のうち、日雇四三五人、養蚕七人、炭焼一四二人がいることも
新札幌市史 第3巻 通史3
(大字平岸村)
、平岸村では本村、中嶋、東裏、山ノ上、真駒内、石山、簾舞、農学地、盤ノ沢の各地区から選出されており(
豊平村
治留
新札幌市史 第2巻 通史2
(北海道教育会札幌支会)
同会はその後規則に沿った活動を展開したが、発会後一年間の例会を例にとれば、開催地は区内が四回、
豊平村
、
新札幌市史 第2巻 通史2
(小作戸数と小作移住の増大)
表-5 自作・小作数(明治24年) 村 名 自作専業 自作兼業 小作専業 小作兼業 計
豊平村
491,これによると小作専業、兼業者の割合は
豊平村
が約三〇パーセント、月寒村が約三九パーセント、白石村が約三四,2748 9730 29.5 札幌・雁来・苗穂・丘珠村は『札幌郡調』(北大図)、豊平・平岸・月寒村は『
豊平村
新札幌市史 第2巻 通史2
(月寒村の軍都への歩み)
月寒村には、これにともない商工業者も店を開くようになり、
豊平村
にも影響が波及していった。
新札幌市史 第2巻 通史2
(【主要参考文献・史料】)
【主要参考文献・史料】 『札幌郡調』(北大図)、『
豊平村
平岸村月寒村沿革大略』(札幌市中央図書館)、
新札幌市史 第8巻1 統計編
(総説)
北海道区制」「北海道一級町村制」「北海道二級町村制」が公布され,札幌区が99年に区制の,札幌村・手稲村・
豊平村
,藻岩村・琴似村が1906年に二級町村制のそれぞれ適用を受けた(その後,札幌区は1921年に市制施行され,
豊平村
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌都市計画東札幌土地区画整理)
その設計書によると、区域と地積は、札幌市字豊平町、白石町、札幌郡豊平町大字
豊平村
、白石村大字上白石村、
新札幌市史 第2巻 通史2
(戦勝祈願と追弔)
豊平村
の慧林寺では、陸海軍戦死者の追弔法要を営み、同村の経王寺でも「清征公勝」の守札を有志に配布した。
新札幌市史 第2巻 通史2
(山鼻村の成立と伏見の開拓)
山鼻村の成立と伏見の開拓 山鼻村は
豊平村
と並び、七年五月十日に村設置の伺が松本十郎大判官から黒田清隆次官
新札幌市史 第3巻 通史3
(献金と軍人家族救護)
豊平村
の日蓮宗和合講では講費の節約をなし、毎月の積立金の中から三円を同村出征軍人家族救護会へ寄付(明38
新札幌市史 第2巻 通史2
(亜麻等特約農家)
北海道製麻会社が二十二年操業開始すると、
豊平村
外四カ村においても製麻会社と特別契約を結ぶ農家が相次いで
新札幌市史 第2巻 通史2
(戸長役場と戸長)
しかし豊平、平岸、月寒三村との距離がありすぎ、不便ということで、十七年四月十九日に
豊平村
四番地の借家へ
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌神社崇敬講の結成)
があり、講中として円山村九〇人、琴似村三七人、山鼻村二六人、桑園内一一人、上手稲村一二人、札幌区二〇人、
豊平村
一
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