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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第2巻 通史2 (豊平橋の架換え)

豊平橋の架換え また十一年の架換え工事以降なんとか大破を免れていた豊平橋は、建築後一〇年を経過し、ついに,その後三十年に豊平橋を鉄製の永久橋とすることになり、架換え工事が行われた。 / 豊平橋の架換え
新札幌市史 第4巻 通史4 (豊平橋橋面舗装)

豊平橋橋面舗装 一方、豊平橋橋面舗装は、延長一五四・〇メートル、幅九・五メートルで面積一四六三・〇平方 / 豊平橋橋面舗装
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌の橋)

札幌の橋で代表的なのは豊平橋であろう。,二本あるのは、当時豊平川は現豊平橋を中心に上下数百メートルにわたって分流が数本あったからである。,これは、後の豊平橋にあたるものが毎年のように流されたという昔話を裏付けるものであろう。,写真-10 ホイーラー設計の豊平橋(北大図)  札幌市中の橋としては創成橋がある。,その時の公文書によると、それまでに名前のついていた橋は、豊平橋と創成橋だけといっている。
新札幌市史 第2巻 通史2 (豊平川の治水)

豊平川の治水 札幌市街に与える影響の大きい豊平橋付近の堤防は、札幌県時代に整備され、札幌市街が大きな,そのため二十一年度から二十三年度にかけて、豊平橋と雁来村鉄橋(鉄道橋)の間の堤防新設工事、あわせて既設
新札幌市史 第3巻 通史3 (橋の整備)

豊平橋は、四十二年四月の出水で、中央の橋台の下の地盤の土砂が流失して傾斜したため、人以外の通行が禁止された,ところが四十三年六月再度の出水で、復旧工事中の豊平橋は「墜落し流出」し、さらに前年架設された仮橋も傾斜,道庁では、豊平橋設計のために、以前の本橋設計者である岡崎文吉、今回の修繕工事設計主任技師土井良太郎、工事,豊平橋の架設は最終的に大正十年から始められ、それまで仮橋で充用することになる。  ,また札幌区では四十四年東宮行啓の時に、豊平橋が仮橋では不体裁であるとして、南一条通から一直線に白石へ通
新札幌市史 第5巻 通史5下 (都市再開発方針の策定)

、琴似中心、苗穂中央、中央東、中央東創成川右岸沿、国鉄桑園駅周辺、鉄東地暖プラント周辺、菊水一・一、豊平橋南,札幌北口、北四西五、苗穂中央第二、旧永山邸周辺、国鉄桑園駅周辺、豊平橋南の六地区が指定された。,琴似駅北口、手稲駅周辺、二号再開発促進地区には、札幌駅北口、都心中心、中央東、苗穂中央、桑園駅周辺、豊平橋南
新札幌市史 第3巻 通史3 (豊平月寒馬鉄計画)

豊平月寒馬鉄計画 明治四十四年一月、札幌区安達力三郎他六人より、豊平橋を起点とし、月寒坂下に至る馬車鉄道敷設
新札幌市史 第2巻 通史2 (市外との連絡路の整備)

開削.豊平橋架換え(準備). 21年度 平岸村真駒内間道路改築.豊平橋改造.江別月寒間(道道江別恵庭線,当時まで札幌市街から白石村・上白石村への道路は豊平橋をまわっていくものであった。
新札幌市史 第3巻 通史3 (暴風と水の被害)

豊平橋傾斜。,六月六日豊平川増水のため豊平橋脚流失。白石村二戸流失。水田一〇〇町歩埋没。,〔大正二年〕八月二十七~二十八日、暴風雨により札幌区出水、浸水家屋五八五八戸、一一八万坪、二人死亡、豊平橋脚流失
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌市街の軌道敷設)

南四条西三丁目より豊平橋に至る。
新札幌市史 第2巻 通史2 (市街化する豊平村)

市街化する豊平村 豊平村は豊平橋をはさみ札幌区の市街に接し、室蘭街道(国道三六号)から札幌区に入る玄関口
新札幌市史 第4巻 通史4 (道庁正門前通の舗装)

されるのは、模範道路として行われた「道庁の正門前より停車場通行電車通まで六〇間」(北タイ 大13・3・9)と豊平橋橋面
新札幌市史 第2巻 通史2 (雪中行軍の遭難)

一行は午前八時に豊平橋畔を出発し、山鼻村西端藻岩登山道より登りはじめ、西国三三番観音を目印に頂上を目ざし
新札幌市史 第3巻 通史3 (凱旋軍隊歓迎会)

豊平橋で豊平、白石村の歓迎会に受け渡されたが、沿道は「歓声の湧く事百鯨の一時に吼ゆるが如く、打振ふ小旗
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌石材馬鉄会社の設立と軌道計画)

さらに停車場より鉄道管理局を左に見て東二丁目に至り、右折して区役所裏を通って南五条東三丁目で左折して豊平橋
新札幌市史 第1巻 通史1 (通行屋番人の役割)

明治に入り通行守は停止となるが、明治四年(一八七一)四月に、豊平橋が架設されるに及び、鉄一は六月に橋守
新札幌市史 第5巻 通史5上 (疎開跡地の整理)

1,429 南六条線 1,258 横道沿線 4,065 富貴堂周辺 216 中山鉄工場周辺 1,085 豊平橋右岸,その中で月寒街道南四条西一〇丁目~豊平橋間の街路拡築工事は、当初計画の幅員は二五メートル(既存幅員二〇
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌乗合自動車株式会社)

運賃は豊平橋から札幌駅まで一五銭、月寒聯隊まで二五銭であった(北タイ 大13・10・12)。
新札幌市史 第3巻 通史3 (職業構成の変化)

明治三十年代から札幌の豊平橋下流の堤防地内には、前述の日傭労働者でも、さらに都市下層に位置する貧困者が
新札幌市史 第2巻 通史2 (豊平川の堤防)

古市の計画では、堤防・護岸・水門・創成橋等の建築、豊平橋台・創成川筋・胆振川筋修繕など、予算額一〇万六四一八円余
新札幌市史 第2巻 通史2 (開拓地から都市へ)

また二十年代には豊平川の豊平橋近辺に「非人窟」(北海道毎日新聞)が形成されていた。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (不用品交換会と露店街)

その後、市内各地区(丸井百貨店横、南四条のカバ市(樺太引揚者の運営)、豊平橋南橋詰、新善光寺横など)に
新札幌市史 第4巻 通史4 (都市の条件)

前期における札幌市政の最大の課題は都市基盤の整備で、大正十三年若槻内務大臣を迎え、はなばなしく豊平橋の,写真-2 豊平橋渡橋式(大13.8.26)  しかし、この間の経済不況は深刻であった。
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌区の仏事暦)

灯篭流しは、経王寺の檀徒及び和睦講が川施餓鬼(せがき)として豊平橋上流にて行っていた(北タイ 明32・
新札幌市史 第5巻 通史5下 (市街地再開発)

写真-3 豊平橋南地区の再開発事業で出来たホテル  五十年代になると既成市街地の再整備が量的にも
新札幌市史 第5巻 通史5上 (『札幌市建設五年計画』の策定)

舗装 国道12号線 改良 拡幅及び東橋の架換 東橋~釣橋,拡幅・舗装・橋梁架換 国道36号線 改良(豊平橋,の架換を含む) 拡幅及び豊平橋架換 月寒~大曲,拡幅・舗装 札幌虻田線(国道230号線) 石山通,改良
新札幌市史 第2巻 通史2 (細民の創出)

やがて三十年代に入ると、そういった中から豊平橋下流の堤防地内に藁小屋を作って居住する者もあらわれ、小聚落
新札幌市史 第3巻 通史3 (戦死者の葬儀)

二 、当区在住遺族にして遺骨の下付を受け当区へ到着の場合には会員一同豊平橋迄出迎ひ、又道庁を経て下付せらるゝものあるときは
新札幌市史 第3巻 通史3 (貧困者の群)

すでにこの頃、「貧民窟」と呼ばれるのは三カ所に増え、東小学校前、豊平橋の袂、豊平郵便局の後方となっていた
新札幌市史 第4巻 通史4 (日中戦争下の美術)

昭和十一年九月三十日、今上陛下拓北農場御巡覧ノ図」、本間莞彩「明治四十四年八月二十八日、皇太子殿下、豊平橋御通過,本間莞彩は、宮内省主馬寮や近衛騎兵隊に取材して、明治四十四年の皇太子嘉仁の馬車が豊平橋を渡る絵を再現する,写真-8 本間莞彩 皇太子殿下豊平橋御通過の図(昭14)  昭和十五年八月二十日から二十五日まで
新札幌市史 第1巻 通史1 (目賀田帯刀の『延叙歴検真図』)

『新道日誌』によると、ここは丸木舟で渡河しており、豊平橋が架橋されるのは明治四年(一八七一)である。
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌近傍の林相)

二等官林 円山、藻岩、本庁ヨリ西北官園外琴似川迄  鴨々水門ヨリ上、本八垂別、下豊平橋辺迄  平岸村
新札幌市史 第4巻 通史4 (豊平町)

これにより中の島が住宅地として発展することになったが、それとともに当時、豊平橋より上流には橋がなかったので
新札幌市史 第4巻 通史4 (入営)

歩兵第二十五聯隊の所在地札幌市では、この日(注・一月十日)午前七時市役所前と豊平橋の二ヶ所に集合した八十七名
新札幌市史 第2巻 通史2 (豊平村の成立)

豊平村の成立 豊平村は、「豊平橋ヨリ月寒村下迄新道左右」の地域に設定され、新白石村とともに七年三月十七日
新札幌市史 第5巻 通史5上 (河原居住者移転問題)

第一次移転終了後、今度は豊平橋上流の両岸及び幌平橋上流地域にかけて次々に仮小屋を建て居住する者が出現した
新札幌市史 第4巻 通史4 (ガス需要の増加)

範囲は、内口径一五〇~二〇〇ミリメートルの高圧管を札幌工場~北四条東三丁目角~西四丁目間、南四条角~豊平橋間
新札幌市史 第2巻 通史2 (日の丸・天長節)

やがて九月二日、巡幸は豊平橋をあとに豊平村に入り、島松の中山久蔵宅で休息し、中山久蔵に金三〇〇円と銀盃一個
新札幌市史 第3巻 通史3 (貧民救済施設)

やがて豊平郵便局後方、すなわち豊平町二~一〇番地の裏に居住する人びと、さらに南三、四条東五丁目にあたる豊平橋
新札幌市史 第4巻 通史4 (戦時下の警察)

〔巡査部長派出所〕 定山渓(一) 〔巡査派出所〕 札幌駅前、南一条、豊平橋、薄野、南三条、北一条西、
新札幌市史 第2巻 通史2 (三十一年大洪水)

豊平橋仮橋流失。南一、二条東四丁目の十数戸床上浸水。 〈豊平村〉 浸水家屋数戸。
新札幌市史 第2巻 通史2 (代表的な総代人たち)

四年に札幌に来て七年から豊平橋のたもとで商業を営みながら開墾にも精を出し、地所を集積して三十五年には一四七町歩
新札幌市史 第5巻 通史5下 (電話の増加と通信事業の展開)

五十五年末には、豊平川の豊平橋と一条橋の間に斜張橋のでんでん大橋が完成した。
新札幌市史 第3巻 通史3 (興業としてのイオマンテの挙行)

① 札幌の熊祭り 今十一日正午十二時当区片岡栄吉氏の発起にて、豊平橋手前北側に於て熊祭を執行する由、珍
新札幌市史 第5巻 通史5上 (除雪事業の拡大)

しかし二十六年度の除雪計画では、北海道開発局も加わったが、豊平橋から定鉄豊平駅までの区間がどこも除雪されないなど
新札幌市史 第5巻 通史5上 (郵便局の増設)

,菊水東町7),東札幌(東札幌5-4),白石本通(白石町本通),札幌北五条(北5西14へ移転改称),豊平橋
新札幌市史 第4巻 通史4 (余暇・娯楽)

最多時間帯の通行人 諸車一日の交通量 狸小路2~4丁目(南1・2西2~4) 午後6~7時 1,790人 台 豊平橋
新札幌市史 第4巻 通史4 (図版・写真・表組一覧)

12頁) 写真-1 昭和11年頃の札幌市街(大通と駅前通 札幌市写真帖) (4頁) 写真-2 豊平橋渡橋式,三岸好太郎「オーケストラ」(昭8 北海道立三岸好太郎美術館蔵) (973頁) 写真-8 本間莞彩 皇太子殿下豊平橋御通過
新札幌市史 第5巻 通史5上 (生活物資の窮乏と進むインフレ)

(3)住宅 札幌市では、敗戦間際に南四条西三丁目から豊平橋にかけての道路拡幅による強制建物疎開などで住宅
新札幌市史 第5巻 通史5下 (図版・写真・表組一覧)

年頃のあいの里(札幌市建築局区画整理部管理課 札幌の区画整理 昭60所収) (169頁) 写真-3 豊平橋南地区,の再開発事業で出来たホテル(札幌市 豊平橋南コミュニティ住環境整備事業 平3所収) (172頁) 写真
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