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新札幌市史 第2巻 通史2
(【主要参考文献・史料】)
学校教育の実態と問題」『札幌の歴史』第三号及び一八~一九号、『学校教員関係』(札幌村郷土記念館)、『
豊平町史
資料
新札幌市史 第2巻 通史2
(豊平村ほか五カ村の状況)
二十二年は道毎日(二十三年二月二十八日付)に掲載されたもので、以下は『
豊平町史
資料』に収録されている。,902 120 523 明治22年は『北海道毎日新聞』23年2月28日付、24・25・28年は『
豊平町史
資料
新札幌市史 第3巻 通史3
(独立村問題と豊平市街の札幌区編入)
・平岸の三大字村を「独立村」とする組合村設置の申請が、村会議長宮城昌章(村長)より道庁宛に出された(
豊平町史
,ナキノミナラズ、経済関係並ニ生業関係ニ於テ寸時モ離ル可ラザル重大ニシテ且ツ密接ナル利害ヲ共有スル……」と述べ(
豊平町史
新札幌市史 第3巻 通史3
(市街化の大字豊平村)
農三分という割合は変わらなかったが、「生活ノ度タル至テ低ク上九十六戸、中百四十三戸、下二百三十九戸」(
豊平町史
資料三,豊平・月寒・平岸の三村の業種別にみた商工数の統計によれば(
豊平町史
資料二二)、以下のようになっている。
新札幌市史 第2巻 通史2
(第七師団の設置と入営)
しかし当時の懐古談等によれば独立工兵隊は兵舎も未完成で、壁さえ塗られていないありさまであったという(
豊平町史
資料,うち道外の各師団から徴集した兵員は一〇八一人にのぼったという(
豊平町史
)。
新札幌市史 第4巻 通史4
(【主要参考文献・史料】)
工事にからまる真相』(藻岩村革政会パンフレット)、清水凉「在職中の感想」『内館泰三筆記史料』一〇、『
豊平町史
資料,、『白石村誌』、『北海道拓殖功労者旌彰録』(昭11)、『篠路村史』、『手稲町誌』、『円山百年史』、『
豊平町史
新札幌市史 第1巻 通史1
(市域の分布調査)
これはすでに述べた後藤寿一による調査、『琴似町史』、『
豊平町史
』等に記載された遺跡を集成し、さらに新しく
新札幌市史 第2巻 通史2
(民営牧場)
二十年に上白石村の山崎清躬が島松村で牧場建設に着手したり、島松村の中山久蔵も牧牛畜馬をはじめたという(
豊平町史
資料
新札幌市史 第3巻 通史3
(【主要参考文献・史料】)
豊平町勢一般』(明44)、「豊平村平岸村月寒村沿革大略」『札幌の歴史』第二一号、『豊平村治留』(北大図)、『
豊平町史
資料
新札幌市史 第2巻 通史2
(学校の経費)
960 105 . 000 158 . 110 237 . 470 1401 . 02 . 0 『
豊平町史
資料,0.6 0.5 95.9 100.0 月寒尋小 11.4 15.3 0.8 72.5 100.0 『
豊平町史
資料
新札幌市史 第2巻 通史2
(説教所)
このほか、『
豊平町史
』には、三十五年寺号公称の真宗本願寺派の福住寺について十一年頃から説教所のあったことが
新札幌市史 第4巻 通史4
(鉱山街の形成)
会館、診療所、物品配給所、食料品市場、寺院、火葬場などの設備まで整って、やはり鉱山街が形成されていた(
豊平町史
新札幌市史 第2巻 通史2
(副業)
のうち、日雇四三五人、養蚕七人、炭焼一四二人がいることも、副業は農家にとって欠かせないものであった(
豊平町史
資料
新札幌市史 第3巻 通史3
(大字平岸村)
三十三年当時は、「字石山に軟石採掘業ヲ営ナムノ十数戸、字真駒内ニ種畜場牧夫タルモノ十数戸ヲ除ク外農専業者」(
豊平町史
資料三
新札幌市史 第3巻 通史3
(町村役場)
豊平村役場では村長のもとに一~三科の業務分担を定め、書記四、附属員一人で執務し、収入役は翌年の任用である(
豊平町史
,平岸地区住民は、明治三十八年来抱いてきた三大字の独立構想を再燃させ、分村運動を展開するが実現しなかった(
豊平町史
新札幌市史 第3巻 通史3
(大字月寒村)
「兵営附近僅少ノ商家ヲ除ク外農専業者」(
豊平町史
資料三)とされ、第二五聯隊の付近に商店があるほかは純然
新札幌市史 第4巻 通史4
(豊羽鉱山)
しかし十九年九月白井川河床陥没で坑内が水没し、二十年四月事業休止令が出されて、一旦廃坑となった(
豊平町史
新札幌市史 第4巻 通史4
(本龍鉱山、豊富鉱山、豊宏鉱山)
本龍鉱山、豊富鉱山、豊宏鉱山 以上のほかに『
豊平町史
』に、戦前から操業を開始した鉱山として、本龍鉱山
新札幌市史 第2巻 通史2
(民有家畜数の変化)
『
豊平町史
資料』(21畜産)による。 ,に農家の副業として他のいずれよりも手軽なことから、卵肉ともに販売用として盛大に行われるようになった(
豊平町史
資料
新札幌市史 第4巻 通史4
(豊平町・吉田農場の争議)
一方、最盛期の吉田農場は、水田七〇町歩、畑六〇町歩、小作人三〇数戸ともいわれ(
豊平町史
)、後で触れるように,ただし、吉田農場がその後社台方面に移転したことは(
豊平町史
)、あるいはこの争議と一定の関わりがあるのかも
新札幌市史 第2巻 通史2
(【主要参考文献・史料】)
主要参考文献・史料】 『札幌郡調』(北大図)、『豊平村平岸村月寒村沿革大略』(札幌市中央図書館)、『
豊平町史
資料
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
Aynu Moshiri』Ⅱ、石附喜三男「札幌市北栄遺跡の調査」『古代文化』一九―二、『琴似町史』、『
豊平町史
新札幌市史 第3巻 通史3
(定山渓と定山渓温泉)
大正三年十一月に郵便局設置を請願した資料によると、定山渓には一三五戸、人口が五四〇人あり、そのうち農業が八二戸(
豊平町史
資料一五
新札幌市史 第4巻 通史4
(養鶏)
養鶏 『
豊平町史
』によれば、「大正末期に至って我が国においてもますます鶏卵の需要が多くなって国産だけでは
新札幌市史 第2巻 通史2
(鉱物の調査と試掘)
『
豊平町史
』には明治二十三年から三十二年までの一〇年間における試掘申請二一件が一覧表となって収載されている
新札幌市史 第2巻 通史2
(亜麻等特約農家)
特別契約を結ぶ農家が相次いで、二十四年には亜麻の作付面積は二町七反におよび、一八三九貫余の収穫を得た(
豊平町史
資料
新札幌市史 第2巻 通史2
(村落部の就学率)
『
豊平町史
資料』11-教育による。 2.誤植と思われる数値については修正した。
新札幌市史 第4巻 通史4
(養豚)
次に『
豊平町史
』によれば、「本町の養豚は古くから行なわれていたが、大正の末期から昭和の初めにかけて最も
新札幌市史 第5巻 通史5上
(手稲町商工会、豊平町商工会との合併)
三十三年三月豊平町商工会は社団法人となり(
豊平町史
)、月寒・美園・平岸・中の島・真駒内・石山・藤野・簾舞
新札幌市史 第5巻 通史5上
(豊平町の寺院増加)
法華宗、定山渓、昭26)、浄願寺(大谷派、中の島、昭27)、光徳寺(日蓮宗、月寒東、昭29) 『
豊平町史
新札幌市史 第5巻 通史5上
(豊平・手稲町の公民館)
平岸公民館が二十六年四月一日に開館しているが、二十九年から三十一年にかけて小学校の教室に転用されていた(
豊平町史
新札幌市史 第4巻 通史4
(町村部の商業)
また定山渓は、豊羽鉱山の需要と行楽・観光客需要により土産店、菓子店、飲食店が多かったという(
豊平町史
)
新札幌市史 第5巻 通史5上
(土地改良事業)
以上について、札幌市史 産業経済篇 昭33、篠路農業協同組合三十年史 昭54、新琴似百年史 昭61、
豊平町史
新札幌市史 第2巻 通史2
(白石村と大谷地・厚別の発展)
は白石村で六〇戸一八六人、月寒村で七八戸二三七人おり、八月に両村連合の大谷地尋常小学校が設置された(
豊平町史
資料
新札幌市史 第4巻 通史4
(普通選挙)
たとえば豊平町では前回(大13)選挙では三八六人であった有権者が、今回は一九五〇人に増えていた(
豊平町史
資料
新札幌市史 第2巻 通史2
(開成社と厚別の信濃開墾)
豊平町史
資料)にも達する「一ノ村落」に発展した。
新札幌市史 第2巻 通史2
(移民の募集)
①の出身地は『
豊平町史
』參照)。 広川の山形、米沢、新潟での募集は順調にいかなかったようである。
新札幌市史 第2巻 通史2
(小学校の設立事情)
の傾向にあり、また「楓山及真駒内等ヨリ豊平迄ハ里程凡貳里内外ニ渉リ、大風雪等ノ際ハ迚モ通学為致兼」(
豊平町史
資料一一
新札幌市史 第2巻 通史2
(移民の到着)
②は問題なく月寒村に入植し、九月以降は一七九人となる(移住の時日・経路については『
豊平町史
』所載の岡田幸助
新札幌市史 第2巻 通史2
(図版・写真・表組一覧)
小作戸数 (713頁) 表-8 豊平ほか五カ村移住者の出身府県『北海道毎日新聞』明治23年2月28日付,『
豊平町史
資料,) 表-11 各村総代人の変遷『札幌県治類典』(道文・道図),『北海道通覧』,『北海道毎日新聞』,『
豊平町史
資料,北海道庁統計書』,『北海道庁拓殖年報』より作成 (760頁) 表-19 豊平外4カ村牛・馬・豚・鶏数『
豊平町史
資料,札幌区内児童就学状況『北海道教育週報』185号より作成 (831頁) 表-7 豊平戸長役場管内就学状況『
豊平町史
資料,』による (835頁) 表-11 同前(表-10)収入比率(%)『
豊平町史
資料』による (835頁)
新札幌市史 第5巻 通史5上
(新農村建設総合対策事業)
36 〃 2,590( 960) 〃 (滝野) 〃 共同畜舎 1,350( 400) 『
豊平町史
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌の郵便局)
の札幌の逓信省関係施設の沿革史の写しと思われるもの(札幌区史史料九所収)や『手稲町史』(昭26),『
豊平町史
新札幌市史 第4巻 通史4
(区から部へ)
「処務便宜ノタメ」に区設置規程がつくられ、二年任期の区長、区長代理者が三三区に置かれるようになった(
豊平町史
新札幌市史 第4巻 通史4
(農会)
農会の沿革と事業について詳しいのは『
豊平町史
』(昭34)であるが、ここに収録されている「豊平町農会評議会報告書
新札幌市史 第4巻 通史4
(重化学工業化)
統計数値がわかる昭和十二年の製革高は、牛革八二〇〇枚、馬革三五二枚、その他三万一五一九枚であった(
豊平町史
新札幌市史 第4巻 通史4
(諸町村の人口)
石狩管内支庁要覧』,その他は『札幌村史』(昭25),『篠路村史』(昭30),『手稲町誌』(昭43),『
豊平町史
新札幌市史 第4巻 通史4
(農民的酪農の形成と大規模農場)
んでいたことも、各町村史の伝えるところであり(札幌村史、篠路村史、手稲町誌、さっぽろ藻岩郷土史 八垂別、
豊平町史
新札幌市史 第5巻 通史5上
(農業基盤整備)
機二五台、トラクター二台)であったものが、三十五年には二二六台(各々二一四台、一二台)にまで急増した(
豊平町史
補遺
新札幌市史 第4巻 通史4
(町村議員)
札幌村史』(昭25),『琴似町史』(昭31),『新琴似百年史』(昭61),『円山百年史』(昭52),『
豊平町史
新札幌市史 第4巻 通史4
(農事実行組合)
まず、『
豊平町史
』によれば、「我が町では昭和元年に町農会がこの奨励に当たり、同年に東裏農事実行組合を設立
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