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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第5巻 通史5上 (豊平館と札幌郵便局)

豊平館と札幌郵便局 札幌市内には明治期のすぐれた洋風建築が多数あったが、しかし戦後、特に昭和三十年代,明治建造物の文化財保護を喚起する契機となったのが、豊平館の移転と札幌郵便局の解体である。  ,豊平館は開拓使が明治十三年十一月に賓客のホテルとして建設したものであり、四十三年に札幌区が二〇年間の無償貸,市民会館の新築にともない札幌市は昭和三十年に、豊平館を大通西一丁目より中島公園へ移転することを決定していた,写真-16 明治村に移設された旧札幌電話交換局 写真-17 移築工事中の豊平館 / 豊平館と札幌郵便局
新札幌市史 第5巻 通史5下 (時計台・豊平館)

時計台・豊平館 札幌市では昭和四十九年に時計台が老朽化したことにより文化庁へ改修を要請していたが、五十一年七月,豊平館でも昭和五十五年十一月三日に百年記念式が行われ、五十七年から五十九年まで大規模な修復工事に入っていた / 時計台・豊平館
新札幌市史 第3巻 通史3 (豊平館、道庁赤レンガ庁舎の石材使用)

豊平館、道庁赤レンガ庁舎の石材使用 硬石、軟石の建築物の使用の代表例の一つは、明治十二年一月着工の豊平館 / 豊平館、道庁赤レンガ庁舎の石材使用
新札幌市史 第5巻 通史5上 (市文化財と清華亭)

また、文部省文化財保護委員会では、早くも昭和三十四年十月に豊平館、時計台、北大農場の重要文化財の指定を,そして条例をもとに時計台、豊平館、清華亭の三カ所が初の市文化財として三十六年六月七日に指定されており、,北海道史蹟名勝天然記念物調査委員であった河野常吉は、昭和二年五月に「保存ノ仮指定ヲ要スル史蹟」の中で、「御巡行遺蹟」として市内では豊平館
新札幌市史 第5巻 通史5上 (市民会館の建設)

新しいホールについては、大通西一丁目で、豊平館を残しながらの建設案も示されたが、結局豊平館は中島公園に
新札幌市史 第4巻 通史4 (コーラス)

大正十二年に東末吉、笹三津彦、鈴木清太郎、相沢俊郎、中村武士らによって発足し、毎週一回冨貴堂楽器部や豊平館,昭和五年六月二十七日、第一回合唱演奏会が団員三三人で、豊平館広間で行われた(札幌のコーラス さっぽろ文庫
新札幌市史 第2巻 通史2 (祝賀と歓迎)

11・27 北海義勇会(委員長対馬嘉三郎)、豊平館にて戦勝大祝賀会を開催。官民およそ三〇〇人が集会。, 2・17 北海義勇会、第五回戦勝祝賀会を豊平館にて開催。一〇〇人来会。,終わって豊平館にて宴会。市民へ国旗を掲げ、夜は提灯を点じて奉祝を指示。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (演奏の場の広がり)

五十一年から二年ほど続いた「豊平館コンサート(ほうへいかんコンサート)」がその先導役を担い、札響の佐々木一樹
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌実業協会)

とつながりを持つ北門新報社の中野二郎をはじめ、対馬嘉三郎、森源三、大井上輝前等の呼びかけで、三十二年九月十日豊平館,創立大会は同月十五日、同じく豊平館で開かれ、会の目的を、一、拓殖其他実業の発達を計り、以て国家の富強を
新札幌市史 第4巻 通史4 (戦時下の短歌)

同年六月、創立総会が豊平館で開催され、準備委員を中心に役員が決定し、全道の主だった歌人が評議員に選任された,十七年十月、豊平館を会場に第一回全道短歌大会が開催され、村田豊雄の「昭空燈の光芒うごく一ところしらじらと
新札幌市史 第3巻 通史3 (口絵)

左端に石造の北海道拓殖銀行、郵便局北隣に札幌区役所、その隣に中央創成尋常高等小学校、その右隣樹木中に豊平館
新札幌市史 第4巻 通史4 (兵事業務)

各部隊発着並ニ通過ニハ、其都度駅頭ニ送迎シ、就中歩兵第二十五聯隊ヨリ出発ノ混成中隊及同帰還隊ニ対シテハ、将校ヲ豊平館,(ロ) 二月二十六日、混成第十四旅団長トシテ満洲へ出動シ凱旋シタル平田少将ヲ豊平館ニ招待シ、官民合同歓迎会,(4) 五月二十七日、第二十九回海軍記念日ニ当リ、正午ヨリ市公会堂ニ於テ官民合同祝賀会、午後四時ヨリ豊平館
新札幌市史 第2巻 通史2 (都市の風景)

である北海道庁、裁判所、天皇のために建てられ、今は一種のホテルとして使われている公賓館(コウフイカン)〔豊平館,をつらね、南は大小二〇余の妓楼の立ち並ぶ薄野、そして中島遊園地があり、北は官衙、病院、官公私立学校、豊平館
新札幌市史 第4巻 通史4 (女性方面委員)

女性方面委員 昭和七年一月二十三日、札幌市役所では方面委員約六〇人の伝達式を豊平館で行ったが、この中
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌産レンガ製造への模索)

雨竜通露国風丸太組官舎の暖炉、勇払郡美々缶詰所付属角組生徒舎の暖炉、麦酒醸造所竈煙筒(以上十三年)、豊平館地階料理竈,「学校暖炉露国形仕様、豊平館料理竈新築仕様、篠津太兵屋暖炉付竈仕様、円形暖炉築立仕様、露国形両口暖炉新築仕様
新札幌市史 第4巻 通史4 (洋楽の担い手)

主にドイツ製である外国製ピアノの上納先は、個人では札幌病院院長の関場不二彦、豊平館の杉山正次、遊楽館の,札幌混声合唱団団員の職業を見ると、三五人中、自営業者はマネージャーの相澤俊郎(相澤商会)、杉山正次(豊平館
新札幌市史 第4巻 通史4 (戦時下の音楽)

十一日札幌市公会堂にて) 海軍を讃へる音楽の夕(五月二十八日、札幌市公会堂にて) 海軍軍楽隊演奏(七月五日、豊平館前広場,十二月二十三日札幌市公会堂に同聯盟を結成し、第一回公演を行ふ)  また紀元二千六百年の紀元節では、豊平館南庭
新札幌市史 第5巻 通史5上 (三越札幌支店従組の経営管理)

多大ノ温情アル取計ヒニヨリ其ノ後数日出入ヲナス便宜ヲ得」て、先に進駐軍が接収していた当時大通西二丁目の豊平館
新札幌市史 第4巻 通史4 (建国祭音楽祭)

昭和六年四月三十日発行の『コラール』(豊平館内札幌音楽協会所属、札幌混声合唱団機関紙)一六号の記事。,方が人気を呼び、藤沢鈴昭を中心とした三曲界(筝・三絃・尺八)の発達に大きく寄与したという(杉山正次 豊平館
新札幌市史 第3巻 通史3 (商業俱楽府の発会)

商業俱楽府の発会 明治二十四年(一八九一)九月十二日、商業俱楽府(以下、俱楽府と略)は豊平館において
新札幌市史 第3巻 通史3 (十一州同志記者大会と道民大会)

まず十一州同志記者大会は岩内新報、拓殖新報、北世界、小樽新報、小樽新聞、北海タイムスの記者が参加して豊平館
新札幌市史 第3巻 通史3 (謡曲(邦楽))

写真-11 豊平館で開かれた邦楽演奏会(大正14年)
新札幌市史 第4巻 通史4 (日中戦争の開始と文化状況)

昭和十二年二月の市会で聖徳記念事業として、聖恩碑の建立と聖徳記念館の設置が決定し、日中戦争勃発後に聖徳記念館を豊平館,に設置することが決まる(札幌市 聖徳記念豊平館紀要、北タイ 昭12・9・29)。
新札幌市史 第2巻 通史2 (帝国憲法発布式)

翌年の憲法発布一周年紀念会は公的行事として豊平館で盛大に行われる一方、各職場を通じても行われている。
新札幌市史 第2巻 通史2 (紀元節・天長節)

公的な祝賀会は、豊平館を会場に四〇〇余人が参列し、祝詞朗読、「皇帝陛下万歳」「皇太子殿下万歳」、唱歌、
新札幌市史 第4巻 通史4 (火防体制)

札幌市では、昭和二年創成川畔豊平館前に消防本部と「百三十余尺」(約三九メートル)の大望楼を建設して火防体制
新札幌市史 第3巻 通史3 (その他の女性団体)

札幌たかね婦人会 大正10年8月,主宰者沼田立峰氏の歓迎会を豊平館にて開催.カント哲学の研究会.
新札幌市史 第2巻 通史2 (第七師団の設置と入営)

札幌郡からの入営者のために尚武会(前身は日清戦争の時設立された軍人家族保護会)札幌支部が、十一月二十三日豊平館
新札幌市史 第3巻 通史3 (アイヌ実業補習学校の円山村設立計画)

には、永山武四郎、対馬嘉三郎、佐藤昌介らが発起人となり、札幌区の有志による「土人救育会員招待懇親会」が豊平館
新札幌市史 第2巻 通史2 (娯楽・遊楽の街と旅客)

料理屋 豊平館 大通西一丁目 原田伝弥借り受け、西洋料理屋魁養軒を経営。,また、二十年代中頃から毎年七月になると外国人避暑客が札幌を訪れるようになり、十数人が豊平館などに滞在するのも
新札幌市史 第3巻 通史3 (開拓使時代の景観)

農学校演武場(時計台)や豊平館はこの機械柾で葺いた。
新札幌市史 第4巻 通史4 (婦人見学団)

婦人運動」 4 14.11. 8 200 北大医学部・病院 5 15. 4.29 150 本社,逓信局,豊平館
新札幌市史 第5巻 通史5上 (【主要参考文献・史料】)

北海道文化振興審議会会議資料』、『本道における芸術文化行政の現状と課題』、『時計台』(さっぽろ文庫6 昭53)、『豊平館
新札幌市史 第5巻 通史5上 (公民館と地区集会所)

された公民館設置協議会、公民館運営協議会などの議論を経て、二十三年二月十日(開館式は二月二十日)に公会堂豊平館
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌記者俱楽部)

札幌記者俱楽部 大正元年十一月十九日午後五時、豊平館において札幌記者俱楽部の創立総会が開催された(北
新札幌市史 第4巻 通史4 (日中戦争下の美術)

昭和十四年十一月三日に豊平館内に聖徳記念館ができ、澤枝重雄「明治九年七月十六日、明治天皇鹵簿、函館英国領事館前通御,「明治四十四年八月二十八日、皇太子殿下、豊平橋御通過ノ図」(写真8)が飾られる(札幌市役所 聖徳記念豊平館紀要,聖徳記念豊平館の十五年度の延べ拝観人員は五五二五人であった(札幌市事務報告 昭15)。
新札幌市史 第3巻 通史3 (区制期)

区制期 北海道区制にもとづく札幌区の発足が二週間後に迫った明治三十二年(一八九九)九月十五日、豊平館二階
新札幌市史 第3巻 通史3 (北海道同志俱楽部)

この間、札幌で政談演説会を開き、石狩空知上川地方に遊説員を派遣したり、衆貴両院議員を豊平館に招待して談話会
新札幌市史 第5巻 通史5上 (重要文化財の指定)

明治の木造建築の粋美である豊平館は、三十九年に文部省による文化財指定の内示を受け、市では三月十四日に申請書
新札幌市史 第3巻 通史3 (在郷軍人会の成立)

将校のみにても百数十名の会員を有するに係はらず従来の事業萎靡として振はざる」は遺憾として、三月十日に豊平館
新札幌市史 第4巻 通史4 (行幸)

札幌控訴院へ行幸(昭11.10.7) 甘露寺侍従(十月二日)第一高等小学校、北海道授産場、三吉神社、豊平館
新札幌市史 第3巻 通史3 (音楽隊等の成立と活動)

前記慈善等音楽会に出演するほか、たとえば企業のそれは初荷の先頭に立つなど宣伝の任務も果たし、また観楓会、豊平館
新札幌市史 第2巻 通史2 (変わる食生活)

かつて西洋料理屋といえば豊平館ただ一軒であったが、二十一年滋養軒(南一条西三丁目)が開業し、牛肉や牛肉弁当
新札幌市史 第4巻 通史4 (展覧会場)

札鉄絵画同好会 大15.11.20~21 札鉄集会所 岡島龍洋画個人展 大15.11.23~25 豊平館,ジンバリスト(バイオリン)等 19 ローリー館 団栗画会第10回展覧会 20 日本キリスト教会 21 豊平館
新札幌市史 第2巻 通史2 (家屋改良)

十二年には開拓使の洋式ホテル豊平館の建造が着工され、工事途中に明治天皇の北海道巡幸が決定したので、その
新札幌市史 第2巻 通史2 (音楽)

東京から音楽隊が来て演奏したが、石川正蔵の『公私諸向日誌簿』(北大図)同月十九日の項にこれについて「豊平館
新札幌市史 第5巻 通史5下 (新琴似屯田兵中隊本部・旧黒岩家住宅)

〃 豊平館 中央区中島公園1番20号 札幌市 昭39. 5.26 明治13年に開拓使が建てた洋風建築物,札幌市では昭和三十三年(一九五八)に文化財保護条例を制定し、三十六年に時計台、豊平館、清華亭の三件を指定
新札幌市史 第3巻 通史3 (新支部)

大会のあと発会式、政談演説会が行われ、二十四日夜には、谷七太郎が発起総代となって星亨の歓迎会を豊平館で
新札幌市史 第4巻 通史4 (交響楽団)

昭和十二年十一月六日、豊平館で行われた札幌新交響楽団の「試演会」でもべートーベンのピアノ協奏曲「皇帝」
新札幌市史 第2巻 通史2 (日の丸・天長節)

な警戒のなかで行われ、札幌へは八月三十日小樽の手宮から前年開通なったばかりの汽車で札幌停車場に降り、豊平館
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