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新札幌市史 第2巻 通史2
(辛未移民の編成)
辛未移民
の編成 四年の
辛未移民
も、組及び組頭制がとられていた。,このように
辛未移民
も組、組頭制をとっていたが、入植後間もなく廃止されていた。,篠路村に入植した
辛未移民
の組頭であった大畑善次郎も、その後組頭から農夫取締になり、四年十月に差免されている /
辛未移民
の編成
新札幌市史 第2巻 通史2
(辛未移民の小屋と御用火事)
辛未移民
の小屋と御用火事 『細大日誌』に「辛未移住民明小屋」を焼いたとある。,この
辛未移民
とは三年末頃札幌で集められた移民たちで、四年になると辛未一ノ村移民と称された移民のことである /
辛未移民
の小屋と御用火事
新札幌市史 第2巻 通史2
(開拓使の移民規則)
開拓使の移民規則 三年の庚午移民、四年の
辛未移民
は、札幌本府の周辺村落を形成するために直接官員を派遣,到来を待つことになった(明治三年は庚午、四年は辛未が干支であるので、以下三年の移民を庚午移民、四年を
辛未移民
,この規則は特に札幌本府の建設と商人の誘致、村落形成と農民の募集向けに制定されたもので、庚午移民・
辛未移民
,ただ実際の数量が規則に合致するのは
辛未移民
で、庚午移民には別な規則が適用された可能性がある。
新札幌市史 第2巻 通史2
(周辺村落の形成と移民)
この年の
辛未移民
は主に岩手・宮城県内から募集され、月寒・対雁・花畔(ばんなぐろ)・生振村(おやふるむら
新札幌市史 第2巻 通史2
(明治三、四年成立の村)
四年の
辛未移民
は同じく五月に設立された平岸(もと麻畑)、月寒(もと千歳道)、対雁の各村に入植し、市外の
新札幌市史 第2巻 通史2
(移民の募集)
三年の庚午移民にならい、ここでも四年の移民について
辛未移民
と称することにする。,
辛未移民
の移住計画については、三年七月に開拓使では札幌へ五〇〇軒、一五〇〇人を五カ所に入植するプランを
新札幌市史 第2巻 通史2
(困難な移住と開墾)
この原因は、第一に札幌近辺の開墾適地は、庚午・
辛未移民
により選定されてしまい、地形・地質的に悪条件の所,庚午・
辛未移民
は官募民であり、三カ年の食料扶助などがあったのに対し、この時期の移民は移住農民給与更生規則
新札幌市史 第2巻 通史2
(辛未村の計画)
辛未村の計画 四年の
辛未移民
の募集計画と併行して、札幌近在に渡来していた農民や日本海沿岸に出稼ぎに来,十文字等は移民の入植時期を二月に主張しており、この点でも
辛未移民
の札幌周辺での募集が有利と考えられたのである
新札幌市史 第2巻 通史2
(村三役の普及)
辛未移民
の村落の場合をみると、辛未村は琴似村に移転する四年二月頃に村三役がおかれたようである。
新札幌市史 第2巻 通史2
(府県別の移住者数)
明治三、四年の庚午、
辛未移民
が岩手・宮城・秋田・山形・新潟の東日本、特に東北地方が多かったのとは対照的,これは庚午・
辛未移民
による呼び寄せによるもので、移住のネットワークが形成され、連鎖的にあと追い移住が続
新札幌市史 第2巻 通史2
(移民扶助規則の制定)
さらに支給額も、四年になって
辛未移民
が移住すると庚午移民の支給額とに差がでてくる。
新札幌市史 第2巻 通史2
(移民調査と〝定着〟)
はたして庚午、
辛未移民
はどの程度各村に定着していったのだろうか。
新札幌市史 第2巻 通史2
(新札幌市史 第二巻 通史二/総目次)
組頭坂野元右衛門 新潟での募集 移民の出発と到着 移民の編成 土地割渡しと家作 三
辛未移民
,区画構想 二 札幌での本格的建設の準備と御用火事 御用火事 札幌の建設と火事
辛未移民
,移民調査と〝定着〟 三 村三役と貫属取締 組頭から村三役へ 庚午移民と組頭
辛未移民
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