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新札幌市史 第1巻 通史1
(近藤重蔵)
近藤重蔵
文化四年(一八〇七)、前年来のロシア船によるカラフト・千島襲撃が直轄になったばかりの西蝦夷地,におよんだことから、同年八月幕府若年寄堀田摂津守の命により、リシリ島辺までの見回りを行った一行中に、小普請方
近藤重蔵
,
近藤重蔵
は、明和八年(一七七一)江戸に生まれ、二〇歳の時家督を相続して御先手与力となった。 /
近藤重蔵
新札幌市史 第1巻 通史1
(松前蝦夷御用取扱)
松前蝦夷御用取扱
近藤重蔵
は、寛政九年に幕府に提出した蝦夷地取締についての建言が契機となり、翌年には,この時
近藤重蔵
は、間宮林蔵、木村謙次、村上島之丞らを配下にエトロフ島にまでいたっている。,東蝦夷地が仮直轄された翌年の寛政十二年、
近藤重蔵
はエトロフ島開発に着手し、アイヌの「撫育」と新規漁場開発,やがて同四年には、西蝦夷地も直轄下におかれ、同年八月
近藤重蔵
をはじめ、鷹野方山田忠兵衛、小人目付田草川伝次郎,写真-8 蝦夷風景図(
近藤重蔵
遺書 東京大学史料編纂所蔵)
新札幌市史 第1巻 通史1
(西蝦夷地見回りへ)
八月二日堀田正敦は、東西蝦夷地を二手に分けて見回る命を下し、
近藤重蔵
らは西蝦夷地の見回りを行うこととなった,
近藤重蔵
ら西蝦夷地見回りの一行は、八月七日箱館を出立した。,イシカリ滞在は一日だけであったが、
近藤重蔵
は同行の田草川伝次郎、山田忠兵衛と連名で、九月一日付で用状を,『
近藤重蔵
遺書』(
近藤重蔵
蝦夷地関係史料二)にその草稿があるが、その内容には熊石よりイシカリにいたる間気付
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
田草川伝次郎『西蝦夷地日記』(石原求龍堂刊)、『宗谷詰合山崎半蔵日誌』(函図)、『西蝦夷地高島日記』(道文)、
近藤重蔵
,『蝦夷地絵図』(東大史)、『大日本近世史料
近藤重蔵
蝦夷地関係史料二』
新札幌市史 第1巻 通史1
(テシオ川からイシカリ川へ)
テシオ川からイシカリ川へ
近藤重蔵
ら一行は、九月二日イシカリを立ってリシリ島目指して北上した。,ソウヤよりの帰路は、
近藤重蔵
は一行の二人と別れ上下五人とともにテシオ川を遡り、イシカリ川上流へ出るコース,『
近藤重蔵
遺書』の中にある『天塩川筋図』および『石狩川筋図』が、この時の麤(そ)図にあたるものと思われる
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリ要害論)
イシカリ要害論 イシカリ川を下った
近藤重蔵
は、復命書にあたる蝦夷地取調書を見る限りイシカリ付近の奥深,この書付は、
近藤重蔵
が西蝦夷地見回り中にイシカリから、あるいはソウヤから遠山景晋宛に書き送った用状のなかでも,
近藤重蔵
は、以上三つの候補地を掲げ、ゆくゆく陣屋を取建て、役人を配置するに違いないが、よく見分して決めるがよかろうと,以上が、寛政十年以来文化四年にいたるまで蝦夷地のことに関わった
近藤重蔵
の、防衛上からみたイシカリ要害論
新札幌市史 第1巻 通史1
(蝦夷地見回りとイシカリ場所)
この時西蝦夷地リシリ島辺までの見回りには、小普請方
近藤重蔵
、鷹野方山田忠兵衛、小人目付田草川伝次郎が命,ところで、田草川と行動をともにした
近藤重蔵
は、イシカリをまた別の角度から見ていた。,まで行き、任務を果たし、帰途は、イシカリまで戻り、イシカリ川よりシコツ越え道を通って東海岸へ抜けたが、
近藤重蔵
,
近藤重蔵
は、この時の調査で得た体験をもとに、『総蝦夷地御要害之儀ニ付心得候趣申上候書付』を幕府に提出し,一方、文化四年に幕吏
近藤重蔵
が重要視したタカシマには、同六年、幕府砲術指南役井上貫流以下八人が警備についたが
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
、「村鑑下組帳」『松前藩と松前』二五号、「北海道伊達家履歴」『新北海道史』第九巻、「蝦夷地御用留」『
近藤重蔵
蝦夷地関係史料
新札幌市史 第3巻 通史3
(軍隊と神道儀礼、藩祖祭)
その他、大正元年十月九日には故
近藤重蔵
翁祭典が執り行われた。
新札幌市史 第1巻 通史1
(サッポロ大府への展望)
古くは
近藤重蔵
より、先述したごとくに箱館奉行所のみならず幾多の幕吏・藩士らが、この地域に大きな関心をいだいていたのであった,彼はまずイシカリ論の原点ともなった
近藤重蔵
の意見、すなわち「津石狩(対雁)に大府を置ん」とする見解に対
新札幌市史 第1巻 通史1
(集約化されるアイヌ労働)
このことは、文化四年(一八〇七)の
近藤重蔵
の『書付』にも、「イシカリ十三ケ場所夷人も早春鯡取ニ役所へ集,
近藤重蔵
の前掲史料に、「他場所ノ夷人飢渇等ノ時イシカリヘマイリ永住仕候者モ有之。,それは、たまたま
近藤重蔵
がイシカリに着目した理由が、防衛上の観点から川口に集住しているアイヌの人的資源
新札幌市史 第1巻 通史1
(北方未来考)
かつて文化四年(一八〇七)、
近藤重蔵
は三つの要害候補地以外に、ユウバリの地も掲げていた(第七章参照)。,斉昭の蝦夷地開拓計画は、過去の工藤平助の領土拡張論や、大原左金吾の屯田農兵論、そして
近藤重蔵
のイシカリ
新札幌市史 第1巻 通史1
(蝦夷地絵図)
蝦夷地絵図 本図(写真7)は、東京大学史料編纂所所蔵の『
近藤重蔵
遺書』三五一六点の中にあるもので、重蔵
新札幌市史 第1巻 通史1
(網漁法の導入と塩引鮭)
このような、秋味漁の網の使用については、同行した
近藤重蔵
も、見逃してはいない。,此節秋味漁事最中ニて、川中川口とも数ケ所、網数所々ニ相立、夷人千余人も相集り、川中へは廻船拾五六艘も入居」(
近藤重蔵
蝦夷地関係史料
新札幌市史 第1巻 通史1
(寛政十年蝦夷地調査)
一行は、総勢一八〇余人に達し、一行中には、この年以来蝦夷地のことに深く関わりを持つ支配勘定
近藤重蔵
もいた
新札幌市史 第1巻 通史1
(武四郎の新道構想)
文化期に
近藤重蔵
らが西蝦夷地の内陸踏査をなしたのも、まさにこの課題に対する最初の試行であった。
新札幌市史 第2巻 通史2
(刊行の趣旨(昭和五十六年九月十八日))
昭和五十六年九月十八日) 札幌は、古くから開かれた道南地方の諸都市にくらべてその開発は遅かったが、すでに幕末において
近藤重蔵
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(刊行の趣旨(昭和五十六年九月十八日))
昭和五十六年九月十八日) 札幌は,古くから開かれた道南地方の諸都市にくらべてその開発は遅かったが,すでに幕末において
近藤重蔵
新札幌市史 第5巻 通史5下
(刊行の趣旨(昭和五十六年九月十八日))
昭和五十六年九月十八日) 札幌は、古くから開かれた道南地方の諸都市にくらべてその開発は遅かったが、すでに幕末において
近藤重蔵
新札幌市史 第5巻 通史5上
(刊行の趣旨(昭和五十六年九月十八日))
昭和五十六年九月十八日) 札幌は、古くから開かれた道南地方の諸都市にくらべてその開発は遅かったが、すでに幕末において
近藤重蔵
新札幌市史 第3巻 通史3
(刊行の趣旨(昭和五十六年九月十八日))
昭和五十六年九月十八日) 札幌は、古くから開かれた道南地方の諸都市にくらべてその開発は遅かったが、すでに幕末において
近藤重蔵
新札幌市史 第1巻 通史1
(刊行の趣旨(昭和五十六年九月十八日))
昭和五十六年九月十八日) 札幌は、古くから開かれた道南地方の諸都市にくらべてその開発は遅かったが、すでに幕末において
近藤重蔵
新札幌市史 第4巻 通史4
(刊行の趣旨(昭和五十六年九月十八日))
昭和五十六年九月十八日) 札幌は、古くから開かれた道南地方の諸都市にくらべてその開発は遅かったが、すでに幕末において
近藤重蔵
新札幌市史 第6巻 史料編1
(刊行の趣旨(昭和五十六年九月十八日))
昭和五十六年九月十八日) 札幌は、古くから開かれた道南地方の諸都市にくらべてその開発は遅かったが、すでに幕末において
近藤重蔵
新札幌市史 第7巻 史料編2
(解題)
について、旧幕府奉行所のあった箱館をさけるなどのほか「全島要害之地」と位置づけているが、これはすでに
近藤重蔵
新札幌市史 第1巻 通史1
(十三場所の出産物)
前述した文化四年の
近藤重蔵
の『書付』にも、「ヲタルナイヨリイシカリ迄の間レブンヌツカト申処迄ニ鯡取小屋二三百
新札幌市史 第1巻 通史1
(後年の聞取り等によるもの)
幕閣に知られ、ついで幕府の第一次直轄期に多くの人が蝦夷地に入り、そこから蝦夷地開拓論が生まれ、さらに
近藤重蔵
新札幌市史 第8巻1 統計編
(刊行の趣旨(昭和56年9月18日))
18日) 札幌は,古くから開かれた道南地方の諸都市にくらべてその開発は遅かったが,すでに幕末において
近藤重蔵
新札幌市史 第7巻 史料編2
(刊行の趣旨(昭和五十六年九月十八日))
昭和五十六年九月十八日) 札幌は、古くから開かれた道南地方の諸都市にくらべてその開発は遅かったが、すでに幕末において
近藤重蔵
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(出典一覧(明治以前))
国書総目録(岩波書店刊) 74 伊能忠敬測量日記(伊能登『伊能忠敬』所収) 75 辺要分界図考(
近藤重蔵
,千島誌(ポロンスキー 道文蔵) 86 宗谷詰合山崎半蔵日誌(函館市中央図書館蔵) 87
近藤重蔵
翁筆記,(道文蔵) 88
近藤重蔵
蝦夷地上書(道文蔵) 89 西蝦夷地日記(田草川伝次郎) 90
新札幌市史 第1巻 通史1
(大内清右衛門の偵察)
寛政五年(一七九三)の水戸藩の医師木村謙次、武石民蔵の蝦夷地調査、同十年の幕吏
近藤重蔵
等の蝦夷地調査に
新札幌市史 第1巻 通史1
(海防論とイシカリ)
軍艦造営の拠点をイシカリに据えたのは、
近藤重蔵
のイシカリ要害論に影響されたのだろうか。
新札幌市史 第1巻 通史1
(擁護の地)
以上が、
近藤重蔵
が寛政九年に幕府に提出した『蝦夷地絵図』に盛り込まれた概要である。
新札幌市史 第1巻 通史1
(田草川伝次郎)
前年来のカラフト・千島襲撃がついにリシリ島にまでおよんだことから、リシリ島辺までの見廻りを、小普請方
近藤重蔵
新札幌市史 第1巻 通史1
(井上貫流一行)
近藤重蔵
が西蝦夷地を巡見し、『総蝦夷地御要害之儀ニ付心得候趣申上候書付』で、西蝦夷地のタカシマを要害候補地
新札幌市史 第1巻 通史1
(新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)
西蝦夷地直轄前後 遠山・村垣一行 田草川伝次郎 山崎半蔵 井上貫流一行 第三節
近藤重蔵
,イシカリ要害論…507 一 蝦夷地絵図
近藤重蔵
蝦夷地絵図 擁護の地
新札幌市史 第1巻 通史1
(図版・写真・表組一覧)
489頁) 写真-7 蝦夷地絵図 東京大学史料編纂所蔵 (カラー、508頁) 写真-8 蝦夷風景図 『
近藤重蔵
遺書
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