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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第4巻 通史4 (道展の成立)

道展の成立 ここでは北海道美術協会(道展)創立以来の中心メンバーで、運営に携わった今田敬一の自伝的美術史,『北海道美術史』をもとに道展の時代を素描したい。  ,大正十四年十月に道展が結成される。,道展の成立をもって中央画壇・職業作家との交流が深まり、札幌の地域で美術は社会的な広がりをみせる。,今少し発足当時の道展の多彩なメンバーをみる。 / 道展の成立
新札幌市史 第5巻 通史5上 (道展の分裂と改組)

道展の分裂は、前述したように道新の提唱によって全道美術協会が結成され、有力会員の一部が道展を去ってこれに,道展は結成当初から洋画が主流で、日本画部会員はそうした「洋画部に支配されている形だった道展を離れ」(美術史,、北海道水彩画展がこの年から道展の事業とされ、道展作家水彩展として発足している。,二十三年には小学生、中学生を対象としたこども道展等を開催し、二十五年十月に第二五回記念道展を開催するに,以降、三〇周年記念道展、三五回記念道展と順調に回を重ねていき、四十年には『道展四十年史』を記念出版した / 道展の分裂と改組
新札幌市史 第5巻 通史5上 (新北海道美術協会)

新北海道美術協会 昭和三十年は、道展三〇周年、全道展一〇周年という節目の年であった。,その翌年の七月十六日、北海道で三つ目の公募展となる新北海道美術協会(新道展)の発会式が行われた。,このようにして発足した新道展ではあったが、設立当初から会場に悩まされていたようである。,小川全は、第一〇回新道展目録において「発足したばかりの新道展の第一の悩みは会場だった。,道展と全道展という二大公募展に押されて「第三勢力的な浮き沈みが続」き、「四回展の後は会の解散は決定的とされ
新札幌市史 第4巻 通史4 (彫刻)

道展発足時は、彫刻部門は出品数も少なく、第一回二点、第二回六点と低調で、在京の本郷新(道展第四回から会員,)と山内壮夫(第七回から会員)は、突出した存在で両者の指導により道展の彫刻の質は向上してゆく。  ,昭和十年第一一回道展で武内収太は「彫刻評」として、ここ三、四年、道展彫刻部が質的、飛躍的に発展している,昭和六年の道展に対抗して開かれた、北海道美術家聯盟展では、帝展審査員加藤顕清ほか十数点の彫刻が出品され
新札幌市史 第4巻 通史4 (児童美術展覧会)

児童美術展覧会 道展の事業内容としてあげられている児童自由画についていえば、昭和四年六月九日から二十三日,総点数一六二五点の出品作の中から、九七五点の入選作が出た(道展日誌、北タイ 昭4・6・9)。,六月十五日の札幌祭の日の『道展日誌』の記載には、「今日はお祭なので田舎の人らしき入場者多く、木戸銭は何程,また道展では、道庁学務部の後援のもと、全道の図画教師を対象とした講習会を七回、昭和十一年から十七年まで,、約一〇〇名の講習生があり、林竹治郎、本郷新、今田敬一の講演、静物やモデルを使っての指導が行われた(道展四十年史
新札幌市史 第5巻 通史5下 (四つの公募団体展)

昭和五十年は北海道美術協会(道展)が五〇周年、全道美術協会(全道展)が三〇周年、新北海道美術(協)会(,新道展)が二〇周年と、各団体にとって記念すべき節目の年であり、しかもこの時点ですでに、北海道美術作家協会,具象傾向が根強い道展では従来の写実的な表現を深化させる一方で、対象のとらえ方や画面の組立などに清新な造形思考,専門(プロ)画家の育成と中央進出の登竜門を創立以来の指針とする全道展では、とりわけ版画部門に顕著な自由闊達,さらに新道展は創立会員に続く世代が力を付けており、幅広いジャンルをカバーする道美展でも、当初からの課題
新札幌市史 第5巻 通史5上 (日本画)

日本画 昭和二十一年七月、前述したように、道展から日本画部が独立する形で北海道日本画協会が設立された,創立展(七月)、小品展(八月)、秋季展(十一月)と、展覧会を三度も開催するなど活発な活動を行っていたが、道展日本画部,二十五年には西條正一が道展の会員、三十年には三井彩幹が道展の会友となり、その後もここから道展の会員、会友,となるものが増え、結果的に彼らは道展日本画部の再興に貢献することとなった。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (展覧会場の不足)

展覧会場の不足 戦前、道展のような大規模なものは中島公園内にあった農業館、小品展等比較的小規模なものは,道展の会場となっていた農業館は明治三十九年(一九〇六)に建築されたもので、老朽化が激しかったうえ壁面も,そのため、札幌に「専用の美術館を」という声が道展の内部から起こった(美術史)。,表-1 戦後道展開催日程 回数 年 月日 搬入 点数 入選 点数 会場 21 昭21 10.15~,』『道展五十年史』より作成。  
新札幌市史 第5巻 通史5上 (グループの結成)

グループの結成 終戦直後、道展と全道展という二大公募展の並立で幕を開けた美術界は、昭和三十年代になって,新道展が結成されたことにより、三大公募展を中心として個人展やグループ展が開催されるようになっていく。,北海道には道展や全道展といった公募展があるので、「公募制を採らずに、招待制を」と考えたのだった(行動美術三十五年
新札幌市史 第5巻 通史5上 (全道美術協会の創立)

全道美術協会の創立 戦前の美術界をリードしてきたのは、北海道美術協会(道展)であった。,戦後の美術界は、この道展と全道美術協会(全道展)の二大公募展の並立で幕を開けた。  ,このほか、三十二年には会員の指導による美術講習会の開催、三十五年からは高校・大学生を対象とする学生美術全道展
新札幌市史 第4巻 通史4 (日本画)

日本画 道展は、洋画が日本画よりも隆盛であった。,道展の日本画部の、白青山(昭1)、岡崎南田(昭7)、菅原翠洲らは死去し、平沼深雪、岩田華谷は他県へ移住,そうしたなか昭和十一年十一月、道展日本画部の若手の会員会友により、素月社が結成される。
新札幌市史 第4巻 通史4 (第一回北海道芸術祭)

第一回北海道芸術祭 劇団「第一歩」の最初の活動が、昭和九年九月十七日、第一〇回道展を記念する第一回北海道芸術祭,、その他通行人大勢-細野エマ・丘みづほ、スタッフは演出-佐藤八郎、照明-佐々木晴治、そして舞台装置を道展会員,この企画は、道展第一〇回を記念した、道展理事の佐野四満美の発案によるものだった(道展四十年史)。    ,プログラム 一、挨拶……道展と芸術祭について……佐野四満美 一、舞踊……札幌児童舞踊研究会    ,……山田真造、     其他通行人大勢……細野エマ、丘みづほ     演出……佐藤八郎、装置……道展会員
新札幌市史 第4巻 通史4 (日中戦争下の美術)

日中戦争下の美術 昭和十二年、日中戦争勃発後、九月十九日の第一三回道展懇親会席上では、「道展の歌」がうたわれる,「十一州の美を守る/平和の戦士われら今/道展の旗ふりかざし/とわに止まざる戦場に/正義と愛と勇気もて/,歩武堂々の勇ましさ」(道展四十年史)。  ,道展は戦時色を増し、第三回講習会は「シャベルを画筆に持ちかへたまさしく美術北海道の勤労的集団行動」と報,北海道海洋美術展の鑑審査委員はすべて道展会員であり、かつ北海道美術報国会のほとんどが道展会員であった戦時下
新札幌市史 第5巻 通史5上 (美術館建設運動)

道展と全道展は合同展を開催し、その収益金を建設基金として期成会事務局に寄付した(道新 昭36・12・14
新札幌市史 第3巻 通史3 (エルム会など)

こうして札幌の美術活動はこの時期にさかんとなり、大正十四年北海道美術協会(道展)結成の大きな柱となった
新札幌市史 第4巻 通史4 (裸体時代)

大正十四年の道展では道庁と札幌警察署による検閲があり、裸体画二点の陳列が禁止された。  ,昭和七年の道展でも斉藤尚の裸婦二点が局部の「黒の強調」が風紀を乱すとして、灰色で描き直させられる。
新札幌市史 第4巻 通史4 (社会と美術)

五年の道展(第六回)で、四六倍版三〇頁の『道展グラフ』が博光社から出され、八、九年には『独立美術クロニック,昭和七年になると、道展の中にも工芸美術運動が起こり、三岸好太郎、小山昇、本郷新らにより新興工芸美術聯盟
新札幌市史 第4巻 通史4 (林竹治郎とその門下生)

北海道において公募展は、大正十四年(一九二五)の道展をもってはじまり、美術の価値の創出とその社会への影響,札幌一中からは、長谷川昇(春陽会創立会員、日本芸術院会員)、能勢真美、今田敬一、澤枝重雄、池田雄次郎(以上道展会員
新札幌市史 第4巻 通史4 (一九三〇年協会・独立美術協会)

一九三〇年協会・独立美術協会 昭和四年の一九三〇年協会北海道展のあと、東京では五年に独立美術協会が成立
新札幌市史 第4巻 通史4 (【主要参考文献・史料】)

第一回北海道地方文化協議会会議録』(昭17)、『北海道年鑑』(昭2)、渋谷四郎『北海道写真史 大正・昭和』(未刊)、『道展日誌,ダイナミズム』、司修『戦争と美術』、三岸好太郎『感情と表現』、『能勢眞美』展図録(北海道立帯広美術館)、『道展四十年史
新札幌市史 第4巻 通史4 (戦時下の「風土」「郷土色」の喧伝)

郷土への関心は、美術の分野でもあらわれ、北海道美術協会の中心メンバーであった今田敬一は、「道展の洋画」,をつくるなら、当然そこに絢爛たる郷土色が発揮される」と述べるが、こうした問題意識は、翌十一年第一二回道展
新札幌市史 第3巻 通史3 (日本美術院北海道美術展覧会)

写真-7 日本美術院北海道展覧会開催の記事(北タイ 明34.10.10)  この北海道美術展の開催
新札幌市史 第5巻 通史5上 (北海道立美術館の開館)

ようやく開館したものの、会場の狭さから道展等が開催できない上、作品寄贈の際の取り決めにより、一年の三分
新札幌市史 第5巻 通史5下 (市民芸術祭と芸術文化振興)

、マンドリン音楽祭(昭55)、市民合唱祭(昭48)、市民吹奏楽祭(昭47)、市民文芸部、市民美術・書道展部
新札幌市史 第4巻 通史4 (黒百合会の美術活動)

会期を通じて、入場者は一二五三人、入場料総額は二五四円四五銭にのぼった(道展日誌)。,現代美術紹介という大きな意味ある活動をおこなうが、しかしながら基本的には大正十四年の北海道美術協会(道展
新札幌市史 第4巻 通史4 (関東大震災後の札幌の文化)

北海道に帰った外山は、第一回道展に、既成の芸術活動を否定するダダイズムの影響を受けた「総合的第五級触覚主義的画面構成
新札幌市史 第5巻 通史5上 (【主要参考文献・史料】)

4)、『北海道洋楽のあゆみ ペリー来航から札響まで』(平1)、今田敬一『北海道美術史』(昭45)、『道展四十年史
新札幌市史 第4巻 通史4 (文化団体の叢生)

道展はその後の北海道美術界をリードした。,蒼玄社は、昭和三年六月に道展に対抗して、美術学校出身者とその友人たちの、玄人集団であるとの自負のもとに
新札幌市史 第4巻 通史4 (展覧会場)

渡辺直堂個人展 61 寿館(美登紀館) 映画・演劇等 62 西の宮 63 農業館 全北海道美術展(道展,大規模な展覧会が行われた農業館では、道展のほかに、黒百合会、蒼玄社(昭3以降毎年)、フランス美術展(昭
新札幌市史 第4巻 通史4 (北海道帝国大学と芸術活動)

大正十四年十月の第一回道展に「総合的第五級解覚主義的画面構成による自画像」を出品し、「人間としての芸術的活動
新札幌市史 第4巻 通史4 (新劇)

狸小路一丁目)でチェーホフ作『犬』、山本有三作『同志の人々』などが上演されるが、その舞台装置はのちの道展
新札幌市史 第4巻 通史4 (余暇・娯楽)

. 7 北海道展覧会(東京) 『北タイ』(大12~昭12)より作成。  ,十二年七月、札幌鉄道局では東京新宿伊勢丹を会場として北海道展覧会を催し、観光客を呼び込んだ。
新札幌市史 第4巻 通史4 (新札幌市史 第四巻 通史四/総目次)

…970        林竹治郎とその門下生  北海道帝国大学と芸術活動  黒百合会の美術活動  道展
新札幌市史 第3巻 通史3 (図版・写真・表組一覧)

写真-6 篠路歌舞伎の舞台(大正15年9月 篠路烈々布百年) (787頁) 写真-7 日本美術院北海道展覧会開催
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 (出典一覧(明治以降) 1945年〜2000年)

  心のハーモニー 2673  50周年記念誌((財)札幌市体育連盟) 2674  50周年記念全道展画集,道家庭生活総合カウンセリングセンター創立20周年記念誌 3590  道政風雲録(奥田二郎) 3591  道展,・全道展・新道展創造への軌跡(吉田豪介) 3592  道展四十年史(北海道美術協会) 3593  
新札幌市史 第5巻 通史5上 (新札幌市史 第五巻 通史五(上)/総目次)

  第三節 美術…874      一 美術団体の諸相         全道美術協会の創立 道展
新札幌市史 第4巻 通史4 (図版・写真・表組一覧)

加藤悦郎漫画集 道新蔵) (1039頁) 表-1 文化講座(昭17~18年) (947頁) 表-2 第5回道展搬入調
新札幌市史 第5巻 通史5上 (図版・写真・表組一覧)

 昭60所収) (932頁) 写真-17 移築工事中の豊平館(文資) (933頁)   表-1 戦後道展開催日程
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 (出典一覧(明治以降) 1868年〜1944年)

回大会々録 1818  基督申報 801 1819  漫画時代 創刊号(文資蔵) 1820  道展四十年史
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