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新札幌市史 第5巻 通史5上
(高校入試制度と小学区制)
二十五年十一月に昭和二十六年度の公立高校選抜に関する
道教委
主催の第一回打合会において、民事部民間教育課,二十六年五月十五日、
道教委
は「公立高等学校通学区域規則」を制定し、札幌学区は一市九町村となった。,二十九年九月には文部省が「調査書と高校側の学力検査の二本建て」という通達を出したが、
道教委
はこれに反対,三十年末に高校側は
道教委
を相手取り、札幌地裁に訴訟を起こした。,これをうけて
道教委
では、中学校側からの報告書と高校側の学力検査の二本建てによる選抜方法を示した通達を出
新札幌市史 第5巻 通史5上
(定山渓事件)
これは文部省と
道教委
との共催による北海道地区教育課程研究協議会が、昭和三十四年八月三十一日からの二日間,
道教委
と北教組は話し合いを続けたが、文部省の強い要請により強行開催された。,北教組の戦術転換や、
道教委
による「道段階の講習会は文部省の伝達ではない」との約束で、三十五年度の講習会
新札幌市史 第5巻 通史5下
(二一中学区制の施行)
そのため、
道教委
では昭和四十一年度から行われていた「大学区」制入試制度の改革に乗り出した。,新学区制施行にあたり、
道教委
は①同一都市内に公立高校(全日制普通科)が二校以上ある所での総合選抜制の導入,
道教委
は、四十九年七月には公立高校入学選抜改善研究協議会(入選協)を設置し、入試制度改革について諮問した,
道教委
は、翌年三月、公立校入試制度改善案を発表した。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(北海道の文化振興)
これに先立ち
道教委
は、六月に社会教育施設設置審議会を発足させ、道、開発庁に対して博物館や美術館の設置を,
道教委
の中で文化行政を担当してきたのは主に社会教育課の文化財係であったが、「変ぼうする社会情勢の中での,ここで、四十三年五月一日に北海道文化振興方針が決定され、
道教委
主催のもと地方文化振興会議が毎年開催されるようになった
新札幌市史 第5巻 通史5上
(勤務評定)
PTA連合会は、三十三年四月二十一日に「相当長期間にわたる冷却期間(少なくとも三年位)をおくこと」を
道教委
,北教組は同月十二日に
道教委
と交渉をもち、
道教委
は「慎重に各方面の意見をきき、時間をかけていくべきもの」
新札幌市史 第5巻 通史5上
(漸減計画と高校の多様化)
漸減計画と高校の多様化 急増から漸減に移る四十年に、
道教委
はピーク後の措置として「高等学校適正配置計画策定,また全日制指向・普通科指向が強まる中、
道教委
では、四十二年八月一日、定時制教育振興の立場から札幌南高等学校通信教育部,
道教委
ではこれらの問題もふまえ、大学区制施行から六年目の四十七年八月に全道を二〇から三〇にわけ、また札幌
新札幌市史 第5巻 通史5下
(二六中学区制へ)
二六中学区制へ
道教委
は、平成十五年三月、「道立高等学校通学区域改善検討会議」(十四年四月設置)から,八学区間で入学定員の二〇パーセントまで認める、などというものであり、十七年度入試から実施するとしている(
道教委
新札幌市史 第5巻 通史5上
(高校の急増対策と大学区制)
そのため、三十六年五月に
道教委
は「高等学校生徒急増対策に伴う基本方針」を出した。,
道教委
はこれらの不正規な入学問題改善という点から、まず総合選抜方式を採用した。,このためわれわれよりもっと月寒高に近いものが南高に行き、われわれは月寒高に移らなければならなくなった」と
道教委
,
道教委
は、越境入学問題を改善し、画一教育を是正するため、四十年五月に全道を八つに区分する大学区制の採用,
道教委
案が出された当初には、道内一七の市教委連合会で、進路の適正指導の困難さなども理由に挙げて反対した
新札幌市史 第5巻 通史5上
(高校増設運動)
道教委
や市教委も学級増などで対応しようとしたが、進学難はなかなか解消されなかった。,財源問題などによる
道教委
との交渉分裂の経過を経て、十一月二十九日に市長は市立高校の建設を言明した。,
道教委
・市教委は父母の増設運動に後押しされて高校を増設していった。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(「小さい学校」の教育)
道教委
の調査によれば、昭和二十四年四月三十日現在で、道内の小・中学校のうち「単級・複式学級」の学校はそれぞれ,二十六年度には
道教委
の指定研究校に選定された。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(高等学校の再編成)
二十五年度完全実施にむけて、二十四年五月六日、
道教委
は「新学制実施の為の学校再配置計画の基本方針」を決定,これをうけて
道教委
は二十五年一月十六日の全道高等学校長会議で具体案を発表した。,
道教委
の改革は最低(限)の改革であると思う。,「最小限にとどめた」(北海道教育行政概要 昭24)と
道教委
が自ら認めている。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(札幌市域の五分割化)
札幌市域の五分割化 平成五年二月に
道教委
は高校入試改善の検討を始めた。,に諮問機関である「公立高校入学者選抜改善検討委員会」(入選協)を発足させ、二年後の報告を受け、さらに
道教委
新札幌市史 第5巻 通史5上
(天然記念物―藻岩山・円山)
そのことから
道教委
では三十三年に、スキー場であった北斜面でのスキーを禁止したが、大回転用の恰好のコース,として解放がしばしば求められていたものの、
道教委
の文化財保存への強い意志によってコースは閉鎖され、原生林
新札幌市史 第5巻 通史5上
(北海道婦人大会・札幌)
東北七県(新潟県を含む)の婦人文化の交流を図り、今後の新生活運動に新たな方途を与えること」を目的にし、
道教委
,各県の現況発表で
道教委
社会教育主事の山元ミヨは、道内九一七の女性団体について「生活合理化・世界平和・教養向上,翌二十六年九月十四・十五日、
道教委
と帯広市の共催で第二回北海道婦人大会が開かれた。,北海道婦人団体連絡協議会(道婦連協)は三十二年、一七市一一支庁の組織で結成され、三十六年から大会を主催するようになった(
道教委
新札幌市史 第5巻 通史5下
(主任制闘争)
十一月には
道教委
が交渉打ち切りを通告し、それに対して北教組が午前半日ストで応じるという有様になった。,翌年七月二十日に
道教委
は北教組と事態打開の交渉をする確認を行ったが、九月には気境教育長が辞任し、十一月十四日
新札幌市史 第5巻 通史5上
(教員の再講習)
北教組は、受講者に対する旅費手当について
道教委
と協約を結び、これに参加した。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(北海道札幌聾学校の教育)
その後
道教委
への陳情や請願を行い、また教職員組合とも再三協議をもつなど活発な活動を展開した。,その結果、
道教委
において全委員の賛成をもって聾学校の創立が決定された。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(学校給食の安全性とそばアレルギー事故)
リジンとは必須アミノ酸の一つであり、文部省の指示により四十九年の二学期より
道教委
が添加を決めていたが、,
道教委
では五十年六月十日に添加継続の見解を発表したが、論議は沸騰した。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(官公労組合争議の激化)
日教組全国一斉ストに呼応して午後から半日ストを実施し、札幌支部(札教組)の参加者は大通広場での抗議集会後、
道教委
,学校主任制反対闘争では、交渉を打ち切った
道教委
に抗議する組合員を警官隊が排除したことから、北教組が五月十九日全日
新札幌市史 第5巻 通史5下
(札幌市における高等専門学校成立前史)
同協議会が道議会などに対し芸大設置を含む芸術振興を陳情し(昭48年3月、道議会で採択)、四十七年十月には
道教委
新札幌市史 第5巻 通史5下
(君が代・日の丸の斉唱・掲揚)
これに対して、四月四日、
道教委
は「教職員の理解のもとに適切に行われるように指導すること」という通知を各教育局,関連して、十二年十二月の文部省の依頼によって、教職員の勤務実態や授業での国旗・国歌の指導状況について、
道教委
新札幌市史 第5巻 通史5下
(第二次ベビーブーム世代の高校入学)
そのため
道教委
の道高校長期収容対策検討協議会が検討を行い、五十九年十二月二十八日に報告書を発表した。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(ピーク以後の学級削減)
九年度において
道教委
は、四〇人学級を適用すると一学級に削減せざるを得ない小規模校に、例外的に二学級を認
新札幌市史 第5巻 通史5上
(豊平館と札幌郵便局)
こうした移転、解体を惜しむ市民の声も多く、また
道教委
、道文化財専門委員会では昭和三十一年三月に時計台、
新札幌市史 第5巻 通史5上
(PTAの教育費負担)
本来の活動に五〇パーセント以上使われているのに、高校ではわずか二一パーセントにすぎない」という報告が
道教委
新札幌市史 第5巻 通史5上
(行政の動き)
七月三十日には、美術館建設問題について、来道中であった福原匡彦文部省社会教育課長と稲垣守
道教委
社会教育課長
新札幌市史 第5巻 通史5上
(高校・大学の学生運動)
二十五年二月に一〇人が
道教委
に審査請求を行い、最終的に二人の処分が取り消され復職の判定が下された。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(全国一斉学力テストの実施)
道教委
は校長・教諭らを懲戒処分としたが、組合は提訴した。その後いわゆる「学テ裁判」が続くことになる。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(五二中学区制への移行)
五二中学区制への移行 昭和五十六年七月、
道教委
は五十三年の改善案を白紙撤回する形で、新たな改革案を発表
新札幌市史 第5巻 通史5下
(中学校での非行激化)
T教師は、昭和三十六年四月から札幌市内の中学校の教師となり、五十四年から
道教委
指導主事を経験し、再び市内
新札幌市史 第5巻 通史5下
((財)札幌市体育協会)
五十三年十一月九日に
道教委
に法人化を申請し、翌年四月一日に許可がおりた。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(文化団体と連絡組織)
づくりをよびかけたもので、道文団協(前出)のなかに演劇の位置を確保し、四十五年から始まった北海道芸術祭(
道教委
主催
新札幌市史 第5巻 通史5下
(登校拒否(不登校))
道議会では、九月二十五日に、同制度をめぐって
道教委
と北教組が事前に相談員の人選・配置について協議していたことを
新札幌市史 第5巻 通史5上
(学校給食)
みに応じて毎週献立をつくるなど完全給食の準備を整える一方で」、「パン給食が子供に与える影響はどうかと
道教委
新札幌市史 第5巻 通史5上
(教育課程の改革―新教育の展開)
(中略)
道教委
、附属などで実験的に研究していくことは必要である。
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(凡例 明治以降)
1947.5.2の地方自治法施行以前),道会=北海道会,庁立=北海道庁立,市教委=札幌市教育委員会,
道教委
新札幌市史 第5巻 通史5上
(「デモクラシイクラス」)
家庭生活研究会 CIE図書館 156人 4.19,20 北海道婦人問題研究会
道教委
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