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新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌の郵便局)
札幌の
郵便局
この間、札幌では開拓の進行や人口の増加により、順次
郵便局
も増加していった。,札幌鉄道
郵便局
官制改正で新設 36 .12.15 札幌
郵便局
札幌鉄道
郵便局
を併合 43 . 4,を無集配三等
郵便局
39 . 1 . 1 豊平
郵便局
豊平町
郵便局
を改称 43 . 4 . 6 札幌豊平
郵便局
,.12.16 平岸
郵便局
集配三等
郵便局
39 . 1 . 1 簾舞
郵便局
平岸
郵便局
を改称 明治35,.12.21 定山渓
郵便局
無集配三等
郵便局
豊平町大字平岸村字定山渓 14 .12. 6 定山渓
郵便局
/ 札幌の
郵便局
新札幌市史 第5巻 通史5上
(郵便局の増設)
それに伴って
郵便局
も順次増えていった。,昭和二十三年末札幌市内には普通
郵便局
一、特定局四〇であったが、その後町村の合併と新設で四十六年末には普通
郵便局
八,敗戦以降の
郵便局
の設置と異動は表15のようになっている。,の移り変わり』(1998)より,札幌市内の
郵便局
について,
郵便局
の新設と改称,位置の移動を表にした。,
郵便局
の種類について,カッコ内に普通
郵便局
には普通,簡易
郵便局
には簡易と記し,注記のないのは特定
郵便局
/
郵便局
の増設
新札幌市史 第5巻 通史5下
(郵便局の増設)
郵便局
の増設 前時代に引き続き市街地が広がった。,それにともない表6にあるように
郵便局
も増えていった。,普通局は、昭和四十八年山鼻
郵便局
が普通局として開局、石山
郵便局
(昭49札幌南
郵便局
)が普通局に昇格した,五十年には札幌北
郵便局
が、五十四年に札幌白石
郵便局
が、平成九年に丘珠
郵便局
が普通局として開局した。,その他札幌鉄道
郵便局
が昭和六十一年廃止された。 /
郵便局
の増設
新札幌市史 第2巻 通史2
(郵便局の金融取扱)
郵便局
の金融取扱 札幌の
郵便局
による官庁の為替金取扱は八年六月が初めとされている。,十一年六月には市民一般の金子入書状の取扱を始め、十二年一月には郵便為換取扱を、六月に札幌
郵便局
貯金預方法 /
郵便局
の金融取扱
新札幌市史 第5巻 通史5上
(豊平館と札幌郵便局)
豊平館と札幌
郵便局
札幌市内には明治期のすぐれた洋風建築が多数あったが、しかし戦後、特に昭和三十年代,明治建造物の文化財保護を喚起する契機となったのが、豊平館の移転と札幌
郵便局
の解体である。 ,札幌
郵便局
の局舎は、明治三十一年に建設された旧札幌電話交換局舎をもとに、四十二年に建設された石造建築であり,札幌
郵便局
局舎は三十七年五月七日に解体工事が開始され、工事中の六月に旧札幌電話交換局舎に当たる一部が、,明治村には四十年に復元されていたが、四十三年四月には国の重要文化財に指定されているように、札幌
郵便局
局舎 / 豊平館と札幌
郵便局
新札幌市史 第2巻 通史2
(官設の札幌郵便局の設置)
官設の札幌
郵便局
の設置 しかし十八年四月、十六年から延期になっていた札幌駅逓出張局の設置は、佐藤秀顕札幌県書記官,と駅逓局との交渉で官吏特派
郵便局
に変更されて実現することになった。,これで渡辺以来民設で整備されてきた札幌
郵便局
は、官設の札幌
郵便局
となることになった。,この
郵便局
は七月一日開局予定であったが、局舎がなかなか見つからなかった。 / 官設の札幌
郵便局
の設置
新札幌市史 第4巻 通史4
(市街地の広がりと郵便局の新設)
そのため当時三等
郵便局
といわれた無集配の
郵便局
が順次周辺域に設置されていく。,を改称 明43. 6 .26 石狩厚別
郵便局
改称 昭10.11. 1 厚別
郵便局
改称,,沢
郵便局
を改称,豊平村 大 8. 9 .16 札幌北三条
郵便局
札幌北二条
郵便局
を改称,北,札幌山鼻
郵便局
を改称 昭 9. 4 . 1 石狩白石
郵便局
白石
郵便局
を改称,なお昭和十六年二月一日からそれまで一~三等
郵便局
となっていた等級制度が変更され、一、二等
郵便局
を普通
郵便局
/ 市街地の広がりと
郵便局
の新設
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌郵便局舎の焼失と建築)
札幌
郵便局
舎の焼失と建築 明治の札幌では数年に一度大きな火事が起こり、公的施設をはじめ多くの家屋が焼失,この焼失した
郵便局
舎は、郵便電信事業の発展のため手狭になっていた。,写真-5 札幌
郵便局
仮局舎(大通西2) 明治34年2月竣工,木造二階建,361坪,代価21,959円余,写真-6 札幌
郵便局
の臨時局舎(明治42年頃) 明治40年5月10日の札幌大火で仮局舎が焼失し,,そのため札幌農学校跡(北2西2)へ
郵便局
の一部を移した。 / 札幌
郵便局
舎の焼失と建築
新札幌市史 第3巻 通史3
(郵便局(逓信省)発行の絵葉書)
郵便局
(逓信省)発行の絵葉書 三十五年六月十八日「万国郵便連合加盟二十五年記念絵葉書」が発行された。,東京の神田
郵便局
では、「夜半より多数詰込み非常の混雑を極め、重傷二名負傷者数名ありたり。,
郵便局
発行の絵葉書は表9のとおりである。,表-9 明治・大正期の
郵便局
(逓信省)発行の絵葉書 名称 発行 備考 万国郵便連合加盟二十五年記念絵葉書 /
郵便局
(逓信省)発行の絵葉書
新札幌市史 第2巻 通史2
(民設時代の札幌郵便局)
民設時代の札幌
郵便局
五年十月一日郵便業務を開始するに際し、札幌では九月に津軽通五二番地(南四西五) / 民設時代の札幌
郵便局
新札幌市史 第2巻 通史2
(佐藤孝郷・安親時代の札幌郵便局の整備)
佐藤孝郷・安親時代の札幌
郵便局
の整備 佐藤孝郷は就任の際、はじめは胆振通一七番地の取扱所は裏通であるため,さらに十六年には書記役を函館
郵便局
に派遣して郵便事務の調査をさせたり、局舎の修築などを行った。 ,十七年札幌
郵便局
は南一条西二丁目にあるので、交代と同時に局舎も移転したものと考えられる(札幌県治類典 / 佐藤孝郷・安親時代の札幌
郵便局
の整備
新札幌市史 第3巻 通史3
(通信官署官制)
三十六年(一九〇三)四月には、郵便及電信局官制(二十二年以来)、在外郵便電信局
郵便局
官制(二十九年以来,そのため一等郵便電信局であった札幌郵便電信局は一等
郵便局
の札幌
郵便局
と改称され、再び全道を管轄した(勅令第四,この変更で鉄道
郵便局
が廃止されたため、北海道でも鉄道
郵便局
が廃止され、札幌
郵便局
鉄道郵便課となった(勅令第二四七号,この鉄道
郵便局
は、三十五年に札幌郵便電信局に鉄道郵便課として設置されていた(札幌市史編集資料七)。,その鉄道郵便課が、四月の通信官署官制により鉄道
郵便局
となっていたものである。
新札幌市史 第3巻 通史3
(通信官署官制の改正)
そして北海道には札幌・函館・小樽・旭川各
郵便局
を一等
郵便局
として、管轄区域はそれぞれもとの同名の
郵便局
,さらに再び札幌鉄道
郵便局
(二等局)を設置し、それまで札幌
郵便局
で行っていた鉄道郵便などの現業事務を担当
新札幌市史 第3巻 通史3
(地方逓信官署官制の改正)
現業部門はやはり一等
郵便局
が監察することになり、北海道では札幌・小樽・函館・旭川の各一等
郵便局
に加え、,新たに室蘭・釧路・稚内の二等
郵便局
が一等
郵便局
となり、一等
郵便局
は七局となった(逓信省告示第六四四号
新札幌市史 第8巻1 統計編
(【通信】)
【通信】 第270表
郵便局
他数(札幌区,札幌郡) 第271表
郵便局
所数(札幌市) 第272表
新札幌市史 第8巻1 統計編
(総説)
総説 9 通 信 郵 便 第270~273表は,
郵便局
・郵便物関係の統計表である。 ,は,山崎貞興(貞奥か),佐野平十郎,佐藤孝郷,佐藤安親,新田由平を経て,1885年(明18)官吏派遣
郵便局
,の札幌
郵便局
となった。,その後
郵便局
の設置は全市内に及んでいく。,1945年(昭20)までの現札幌市域における
郵便局
の設置と変遷については,『新札幌市史』第3巻と同第4
新札幌市史 第4巻 通史4
(保導委員制度)
表26は、最初の保導委員嘱託者であるが、職業をみると、医師、小学校長、
郵便局
長、神職、僧侶、社会事業家等,山口初太郎 小学校長 久田儀兵衛 小学校長 隅土次郎 会社員 栗賀信衛 薬種種苗業 長岡長次郎
郵便局
長,農業 大瀧林之助 木材業 小池九一 報恩学院長 大西正一 小学校長 福島利雄 区嘱託 井時麒一郎
郵便局
長,村井為吉 小学校長 上原仙吉 理髪師 松宮石丈
郵便局
長 向井次郎 仲立業 岩城静致 授産場主事,有田正雄 育児院主事 大竹敬一郎
郵便局
長 『北タイ』(大11.6.10)より作成。
新札幌市史 第3巻 通史3
(電報と電話)
(明10・3)、札幌二等電信分局(明19・4)、札幌電信局(明20・4)を経て、二十一年十月一日札幌
郵便局
,三十六年通信官署官制制定にともない札幌
郵便局
に合併した(札幌区史史料九など)。,写真-7 (左より)札幌
郵便局
,北海道(札幌)逓信局, 札幌電話交換局(明治42年に増築したもの)〔
新札幌市史 第3巻 通史3
(地方逓信官署官制の制定)
逓信官署も逓信局、
郵便局
・電信局及び電話局となった。,この機構改革で札幌
郵便局
は郵便・電信・電話の三課体制となった(北海道の電信電話史)。
新札幌市史 第3巻 通史3
(口絵)
上段は札幌
郵便局
屋根上から撮影したパノラマ写真の全景(左端と右端がつながる)。,中段の左端に石造の北海道拓殖銀行、
郵便局
北隣に札幌区役所、その隣に中央創成尋常高等小学校、その右隣樹木中
新札幌市史 第3巻 通史3
(代表的な石造建築物)
四十三年十一月札幌
郵便局
舎が完成、国内最大の石造建築であった。,外壁の石造外装は、大通西二丁目の札幌
郵便局
の石造局舎と向き合うため、意匠を調和させる考慮から特に採用したと
新札幌市史 第2巻 通史2
(郵便の発達)
十九年三月「地方逓信官官制」が制定され、道内の電信郵便事業は函館逓信管理局の管理下に入り、札幌には二等の
郵便局
,その後二十四年には札幌電信
郵便局
の大通西二丁目への新築工事が決定し、建築中の事務は局舎を南二条西五丁目,二十八年七月篠路村に為替貯金局の設置運動、三十年十二月月寒村郵便取扱所を吉田宅に変更、三十一年十一月軽川に
郵便局
新札幌市史 第4巻 通史4
(鉱山街の形成)
そのため、その山元に従業員の宿舎、独身寮、特別教授場、
郵便局
、巡査派出所が建設され鉱山街を形成した。,そのために石山には社宅など、元山には鉱山施設の他に社宅、合宿所が建設され、学校、
郵便局
、駐在所、会館、
新札幌市史 第3巻 通史3
(茨戸市街と本村市街)
理髪所、薬店、質屋、旅店、呉服店、肴屋等アリテ付近農家ノ需要ニ応シツヽアリ」とされ(町村誌資料)、茨戸太
郵便局
,村役場のある本村にも小市街が形成され、
郵便局
、巡査駐在所などが設置されていた。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(NPO活動)
また、地域的に特徴ある活動としては、NPO「札幌村文化センター」主催で、丘珠
郵便局
・札幌東区後援による,生涯学習講座「郷土の歴史と農業」(一〇講、会場:丘珠
郵便局
)などの催しも見られる。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(インフレと賃上げ争議の激化)
GHQの警告に抗して三十一日(第八次)まで道内各支部で波状ストを強行し、三月十八日、札幌逓信局と札幌鉄道
郵便局
,では四八時間、二十四日には札幌
郵便局
・電話局・電信局その他で二四時間ストに入った。
新札幌市史 第3巻 通史3
(軽川市街)
三十一年に「交通往復及百般の人事は頗る多忙」(道毎日 明31・11・22)なために
郵便局
の設置(明32,村役場、小学校、
郵便局
、巡査駐在所、医院、其他北海道造林株式会社、神社、寺院等ハ市街中ニ散在……
新札幌市史 第4巻 通史4
(諸官公署)
桑園駅 北9条西15丁目 豊平駅 豊平5条9丁目 ◇通信機関 札幌逓信局 大通西2丁目 札幌
郵便局
,大通西2丁目 札幌鉄道
郵便局
北5条西4丁目 市内三等
郵便局
市内33個所 1.,2.同書に官公署として記載された教育関係,札幌中央放送局,商工会議所は省き,三等
郵便局
は一括した。
新札幌市史 第3巻 通史3
(大通の景観)
四十三年正面を西方に向けた札幌
郵便局
舎が完成する。いずれも軟石造の建築である。,大通西二丁目に向かい合って建つ石造の札幌
郵便局
舎との調和に配慮し、外壁を軟石造、内側をレンガ造とする。
新札幌市史 第3巻 通史3
(行政機関)
住民の日常生活に直接関係する区役所、町村役場、病院、学校、消防、警察、
郵便局
等については、各章節において,感化院 藻岩村 ◇通信機関 ◇司法刑務機関 逓信局 大通西2 札幌地方裁判所 大通西13 札幌
郵便局
,大通西2 札幌区裁判所 大通西13 札幌鉄道
郵便局
大通西2 同 検事局 大通西13 通信生養成所
新札幌市史 第2巻 通史2
(白石村と大谷地・厚別の発展)
彼は豊平村の総代人、消防組組頭、
郵便局
長をつとめた豊平村の草分けであるが、ここに農場を開いて以来、厚別,彼は二十九年十月十六日に厚別
郵便局
を開設し、局長もつとめている。
新札幌市史 第3巻 通史3
(貧民救済施設)
ところで豊平
郵便局
後方の細民街は、学校に行けない多くの子弟を抱えていた。,やがて豊平
郵便局
後方、すなわち豊平町二~一〇番地の裏に居住する人びと、さらに南三、四条東五丁目にあたる
新札幌市史 第1巻 通史1
(札幌軟石)
なものは大通西一三丁目にある札幌市資料館(旧札幌高等裁判所、写真2)、すでに消え去ったものでは、旧札幌
郵便局
新札幌市史 第3巻 通史3
(定山渓と定山渓温泉)
大正三年十一月に
郵便局
設置を請願した資料によると、定山渓には一三五戸、人口が五四〇人あり、そのうち農業
新札幌市史 第5巻 通史5上
(【主要参考文献・史料】)
同『北海道開発局二十五年史』(昭52)、同『北海道開発局三十五年史』(昭62)、佐々木秀司編『北海道
郵便局
新札幌市史 第5巻 通史5上
(札幌進駐への準備)
市役所のベランダや
郵便局
のトラックにも英字が記されるほか、横文字の道標も設置されはじめた(同)。
新札幌市史 第2巻 通史2
(下手稲村と軽川の発展)
三十一年に軽川に
郵便局
の設置を求めた陳情文によると、「軽川地方の住民は農業家のみにあらずして、全く諸種
新札幌市史 第3巻 通史3
(商業俱楽府規則の改正)
規則改正後の総会は、園田道庁長官、加藤札幌区長、斎藤札幌支庁長、大槻札幌
郵便局
長、佐藤農学校長等を来賓
新札幌市史 第4巻 通史4
(全協の若者たち)
この組織は、
郵便局
、道庁、五番舘、池内、岩橋印刷、青バスなどに分会を作り、同志の結束を強めるため平和の
新札幌市史 第5巻 通史5上
(高田市長の就任)
一〇歳の時に札幌郡豊平村に転居し、
郵便局
勤めの後、北海道師範学校に入学、大正三年(一九一四)に卒業した
新札幌市史 第3巻 通史3
(簾舞)
簾舞市街には簾舞尋常小学校、
郵便局
、巡査駐在所、帝室林野管理局札幌出張所分担区員駐在所、札幌水力電気会社保線工夫駐在所
新札幌市史 第2巻 通史2
(開化のシンボル)
しかし当初需要者はわずか三〇戸、八三灯に過ぎず、おもな需要者は道庁、
郵便局
、〓今井、山形屋旅館、東京庵
新札幌市史 第4巻 通史4
(電話事業の発達)
とくに昭和三年札幌
郵便局
電話分室が新築された際、電話交換の方式が磁石式から共電式となり、それまでのように
新札幌市史 第5巻 通史5上
(組織の分裂と再編成)
札幌では四月、全逓を脱退した一〇四人が全郵政札幌郵政局支部、六月には同じく五二人が全郵政札幌中央
郵便局
支部
新札幌市史 第5巻 通史5下
(【主要参考文献・史料】)
北海道空港株式会社『北海道空港40年史 1961-2000 空遊都市宣言』(平13)、佐々木秀司編『北海道
郵便局
新札幌市史 第3巻 通史3
(貧困者の群)
すでにこの頃、「貧民窟」と呼ばれるのは三カ所に増え、東小学校前、豊平橋の袂、豊平
郵便局
の後方となっていた
新札幌市史 第4巻 通史4
(手稲村)
十年の従業員数は二百数十人であったものが、十五年には二〇〇〇人に膨らみ、金山には鉱山施設の他に
郵便局
、
新札幌市史 第5巻 通史5下
(公労協のスト権奪還闘争)
同年春闘の二倍となる「新記録」に達し、三十日、終日ストにより「郵便遅配が深刻化」した道内最大の札幌中央
郵便局
新札幌市史 第2巻 通史2
(郵便)
十五年月寒村字厚別・白石・札幌・山鼻・下手稲村字軽川に切手売下所を設け、琴似村には無集配
郵便局
(郵便受取所
新札幌市史 第5巻 通史5上
(重要文化財の指定)
三十九年に札幌区に移管となり、北二条西二丁目より現在地の北一条西二丁目へ移設され、これ以降、札幌
郵便局
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