機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 30件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
新札幌市史 第1巻 通史1
(家作の支給状況)
また
長蔵
が支給予定の本家作の代わりに板倉を自己普請せんと、その本家作分代金三〇両の支給を受けたことも前述,この敷板の支給は
長蔵
を除き一八戸におよび、その代は銭三二四貫文であった。 ,以上、農民への家作支給は、松太郎への支給のみで、その外は
長蔵
への代金支給と、残りの戸へ敷板の現物支給という
新札幌市史 第1巻 通史1
(農民の住まい)
慶応四年に
長蔵
が給付予定の本家作のかわりに「火盗除之為メ」板倉を普請したい旨出願したのに対し、大友は本家作分,大友も財政上本家作の建築はままならず、かといって仮住まいの窮状を見かねたのか、慶応四年の上期に
長蔵
を除
新札幌市史 第2巻 通史2
(島判官時代の建設)
金(両) 銭(永文) 11. 17 5両 3分 62文5歩 名主
長蔵
,11. 18 4. 1.2 朱 名主
長蔵
へ営繕入用茅買上代を支払う,高木
長蔵
へ本府本陣取建入用代を貸す。4年返納。
新札幌市史 第1巻 通史1
(慶応二・三年の開墾田畑)
まず慶応二年の七月に最初の御手作場農民四戸(
長蔵
・万次郎・宅四郎・弥平次)と八月に四戸(松太郎・勘右衛門,各戸別の開墾地積をみると、慶応二年分を含み(特記しない限り畑)、
長蔵
(一町四反五畝八歩)、万次郎(六反七畝四歩
新札幌市史 第2巻 通史2
(入地先の決定と準備)
六月二十九日に坂本平九郎は札幌に向かい(私事願伺届 道文二〇三)、七月十三日には吉田元俶、木村庄治、木村
長蔵
,十二月に入地先が決定したことをうけ、札幌より函館に戻った坂本平九郎、木村
長蔵
、木村庄治の三人は十二月二十二日
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌での商業の発祥地)
本陣の御用達には高木
長蔵
が任命された。これは大友亀太郎(市史 第一巻九二二頁)の推挙であったという。
新札幌市史 第1巻 通史1
(慶応二年の移住)
まず慶応二年七月に越後国蒲原郡平形村出身の
長蔵
の家族四人、同国同郡井栗村出身の宅四郎の家族五人、同国同郡大宗村出身
新札幌市史 第2巻 通史2
(代表的な総代人たち)
代表的な総代人たち 山鼻村の永田
長蔵
は明治九年に山形県東田川郡十六合村(いざあいむら)(現余目町)から,永田
長蔵
は何期重ねて総代人となったか不明だが、『伏見史稿』は十六年から三十一年まで部落代表の総代をつとめたといい,写真-6 永田
長蔵
円山村の上田万平は天保十二年(一八四一)にいまの岩手県盛岡市に生まれ、明治四年
新札幌市史 第5巻 通史5上
(『北の子供』とプランゲ文庫)
疎開中の百田宗治はじめ和田徹三、吉田十四雄、加藤愛夫、更科源蔵、支部沈黙、木村不二男、石森延男、塚本
長蔵
新札幌市史 第4巻 通史4
(町村議員)
人 10人 18人 18人 24人 21人 上田万平 上田善七 藤森武左衛門 畠山平吉 三浦
長蔵
,梶川新次郎 東清之助 小野高治 青地作太郎 小林広吉 上田万平 上田善七 藤森武左衛門 三浦
長蔵
,畠山平吉 小林広吉 梶川新次郎 東清之助 小野高治 村端仁太郎 上田勝三郎 上田万平 三浦
長蔵
,畠山平吉 高田金之助 有原市太郎 津田満太 小野高治 梶川新次郎 吉留馨 永田円治 三浦
長蔵
新札幌市史 第1巻 通史1
(御手作場農民の生活)
長蔵
(金四両三朱)、万次郎(九両二分一朱)、宅四郎(一四両三分二朱)、弥平次(一七両三朱)、松太郎(一九両三分二朱,上記正金のほかに「御扶持米追々喰込貸渡分」とした米一石九斗二升一合四勺を、
長蔵
、弥平次、勘右衛門、寅吉
新札幌市史 第1巻 通史1
(慶応四年の開墾田畑)
なお慶応四年における各戸の新規開墾畑面積をあげると、
長蔵
(一町五反八畝二〇歩)、万次郎(三町二反六畝一四歩
新札幌市史 第1巻 通史1
(農地開発の成果)
長蔵
(畑二町五反三畝二八歩)、万次郎(畑三町九反三畝一八歩)、宅四郎(畑二町一畝七歩)、弥平次(畑二町八反四畝二六歩
新札幌市史 第1巻 通史1
(第二次調査)
主任は嶋田丈助、それに三橋清一郎、今村治郎橘と従者
長蔵
が加わり、いずれも佐倉居住者の四人。
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌・発寒・琴似村)
高木
長蔵
が二年十一月に名主をつとめており(市史 第六巻六〇七頁)、村役人の存在が知られる。
新札幌市史 第1巻 通史1
(サッポロ村の誕生)
それは石狩役所より、御手作場農民の
長蔵
が「察歩路村(さっぽろむら)名主」に、また同じく農民松太郎が「察歩路村年寄
新札幌市史 第2巻 通史2
(総代人と名望家支配)
山鼻村の永田
長蔵
、神田直太郎、円山村の上田万平、斎藤達蔵、琴似村の宮坂坂蔵、発寒村の大野儀蔵、豊平村の
新札幌市史 第1巻 通史1
(住人の組織化)
文久元年(一八六一)二月、左官職人の
長蔵
(永住人)が「町並御人足繁敷相当り、老年の私無人にて(家族や使用人
新札幌市史 第6巻 史料編1
(〔十文字龍助関係文書〕)
早山清太郎(明治五年一月二十三日付) 三五 早山清太郎(明治五年三月二十八日付) 三六 高木
長蔵
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌の諸神社)
伏見の地域に則して神社信仰の変遷を考えると、明治十六年旧暦八月に、永田
長蔵
ら有志が山神として「柾葺板圍,上田万平外円山伏見の有志等計りて崇敬講を起し、毎月一日十五日神社に参拝し持参の肴にて直会をなせり、(編注・永田)
長蔵
新札幌市史 第1巻 通史1
(目的としくみ)
佐波銀次郎 酒井周蔵 源吉 ○千島行 嶋田丈助 三橋清一郎 今村治郎橘
長蔵
新札幌市史 第4巻 通史4
(天理教)
敷島大教会の山本
長蔵
は、所長であった函館出張所が認可取消にあい、再起をかけて札幌への進出をはたすようになる
新札幌市史 第2巻 通史2
(市中の商い惣高調)
旧本陣の賄い方をしていた高木
長蔵
は、旧本陣の払下げを受けて料理業を営み、九七二円九〇銭の売上がある。
新札幌市史 第6巻 史料編1
(〔大友亀太郎文書〕)
付写差進申候間委細右ニ而…〕 〔〔辰三月廿一日達〕〕 〔廿三日付御書状昨廿四日相達致被見候然者御別紙之通
長蔵
外弐人江可相渡旨致承知候,…〕 〔十二日付御書状今十四日相達被見いたし候然者米四拾俵莚五束農夫
長蔵
徳三郎江可相渡旨…〕
新札幌市史 第6巻 史料編1
(目次)
清水三次郎…862 清水辰次郎…868 十文字秀雄…870 早山清太郎…875 高木
長蔵
新札幌市史 第1巻 通史1
(入植の農民)
〈慶応二年七月入〉
長蔵
(越後蒲原郡平形村、三五歳)、女房まき(三五歳)、女子はな(六歳)、同なミ(三歳
新札幌市史 第1巻 通史1
(諸家作の建築)
ただしこれは農夫
長蔵
が火盗除のために板倉を建築したい旨の出願があったので、未支給の農夫家作の代替えとして
新札幌市史 第1巻 通史1
(出稼の諸相)
幸蔵(225) (3名) 鍼師 令春(210) (1名) 畳刺 粂太郎(276) (1名) 左官
長蔵
新札幌市史 第3巻 通史3
(町村会)
国領政太郎 金野惣之助 本間与三郎 見上権太郎 勝見直吉 佐藤市太郎 藤井勝之助 斉藤英吉 村田音二郎 三浦
長蔵
新札幌市史 第2巻 通史2
(図版・写真・表組一覧)
(徳島県立図書館) (719頁) 写真-5 小西和『海南翁の歩み』より (720頁) 写真-6 永田
長蔵
/ 1ページ