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新札幌市史 第2巻 通史2
(開墾掛と町役人)
開墾掛
と町役人 開拓使が札幌を建設しはじめた当時は、町という体制は全くなかった。,この間これらの町役人らとの開拓使側の窓口は、
開墾掛
である。,この
開墾掛
は、当掛の公務日記である『細大日記(誌)』(市史 第七巻)でみると、移住民の移住地や家作などの,この時期の札幌市中の町行政的なものは、この
開墾掛
と町役人等が行っていたのであろう。 /
開墾掛
と町役人
新札幌市史 第6巻 史料編1
(解題)
解題 本史料は、明治四年四月から同六年六月に至る開拓使小樽仮役所-札幌開拓使庁-札幌本庁
開墾掛
の業務日誌,本日誌を記した
開墾掛
は、明治三年八月、小樽仮役所時代に札幌庶務掛・金穀掛を合併して札幌出張
開墾掛
となり,
開墾掛
の事務分掌は明らかとなっていない。,村方役人の任免および手当の支給、戸籍業務など行政の根幹となることも主要業務に含まれており、この意味で、
開墾掛
,前三課がほぼ
開墾掛
の業務を引き継いだと思われる。
新札幌市史 第2巻 通史2
(御用火事)
御用火事 明治五年三月二十六日、移民たちの家作や移住地・入植地に関係する仕事をする
開墾掛
の『細大日誌,またこの御用火事が起こった頃に、
開墾掛
や岩村判官の記録類に移民の家作に問題があるという記述は発見できなかった
新札幌市史 第6巻 史料編1
(〔細大日記(誌)〕)
〔九月〕 〔十月〕 〔十一月〕 〔十二月〕 明治五壬申従正月 細大日誌
開墾掛
新札幌市史 第2巻 通史2
(本龍寺)
本龍寺 前述のように、幕府御手作場
開墾掛
の大友亀太郎によって、慶応四年(一八六八)に鎮守妙見堂として
新札幌市史 第2巻 通史2
(明治五年の春と六年の春の相違)
その時
開墾掛
は、廃止になった貸付金の復活を上申した。,この
開墾掛
の言い分は、開拓地としての状態を示している。
新札幌市史 第2巻 通史2
(市中不況への対策)
そのため不況の実態をさぐるため、松本は六月十三日に
開墾掛
前田権大主典に「市中脱走等至急に取調」を指令して
新札幌市史 第2巻 通史2
(新聞縦覧所の設置)
この状況を踏まえて開拓使札幌本庁
開墾掛
は、六年一月に縦覧所設置について伺を提出し、まず東京の設置状況を
新札幌市史 第1巻 通史1
(開拓使の設置と在住制の終末)
ほかに大友亀太郎がこの月兵部省(軍務官か)出張所石狩国
開墾掛
に任命されており、箱館府のイシカリ在住六人
新札幌市史 第1巻 通史1
(御手作場)
御手作場 慶応二年、大友亀太郎を蝦夷地
開墾掛
として、サッポロに御手作場(幕府の直営農場)の事業が開始
新札幌市史 第2巻 通史2
(住民構成(市中と村))
五年一月段階で開拓使
開墾掛
が調査した「北海道戸口調草」によれば、札幌、苗穂、丘珠、篠路、対雁、月寒、平岸,
開墾掛
が作成した四年三月から六月にかけて札幌市中へ移住した移民の戸籍簿というべきものに『市中人別申出綴
新札幌市史 第1巻 通史1
(兼務の収入と在住)
ついで慶応二年蝦夷地
開墾掛
を命じられ、後の札幌村の基となる御手作場を担当して「俸禄弐人扶持年金五拾五両,是迨被下候別段御手当六両ハ已来不被下候事」とあって、二人扶持五五両なり二人扶持一日永一三六文余なりが蝦夷地
開墾掛
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌神社の活動)
このほか、四年に氏子改めの制定が定められたが、五年九月十五日に氏子札渡しの通達が、開拓使
開墾掛
より各村
新札幌市史 第1巻 通史1
(早山の移転と御手作場への繰り入れ)
同 悴 与惣吉 同 五歳 同 弟 正助 四十歳 このほか、開拓使
開墾掛
新札幌市史 第2巻 通史2
(豊平開墾)
関係ありそうなのは深谷鉄三郎の昔話で、札幌へ来た役人を紹介した際に、「豊平向うの
開墾掛
長石山」といっていることと
新札幌市史 第6巻 史料編1
(編集にあたって)
については、史料が甚だしく不足している明治初年の札幌を中心とした開拓大主典十文字龍助関係の文書、開拓使
開墾掛
新札幌市史 第2巻 通史2
(開拓使の絵師たち)
川口月村は四年二月に開拓使に採用され、翌月
開墾掛
に配置され、上川郡に出張もしたが、六月に免官となり、翌五年
新札幌市史 第6巻 史料編1
(解題)
慶応二年(一八六六)二月亀太郎は新たに蝦夷地
開墾掛
に任ぜられて石狩場所開墾の取扱をすべて委任され、同年四月二十三日石狩,箱館府)附属となって引き続き御手作場の経営に従事、翌明治二年(一八六九)七月五日新たに兵部省出張所石狩国
開墾掛
,さて、本書に収録した『大友亀太郎文書』は、大友亀太郎が前記慶応二年二月蝦夷地
開墾掛
に任ぜられてより、明治三年四月兵部省出張所石狩国
開墾掛
新札幌市史 第6巻 史料編1
(〔明治六年市在状況調〕)
〔苗穂村〕 〔丘珠村〕 〔篠路村〕 札幌村外十一ケ村検地野帳 明治六年
開墾掛
新札幌市史 第2巻 通史2
(地価創定)
開墾掛
が作成した一一力村の検地野帳が残っており(市史 第六巻)、ここには検地等級、拝借者名、家族人数、
新札幌市史 第2巻 通史2
(市街と周辺村落との境界)
されていくと「未た小樽石狩両郡の境界等も不相定、追々人烟繁殖致候テハ、不体裁之事件も差起り可申哉に付」と、
開墾掛
新札幌市史 第1巻 通史1
(在住の兼務)
大友亀太郎も蝦夷地
開墾掛
、すなわち御手作場の責任者としての業務がもっぱらであった。
新札幌市史 第2巻 通史2
(町役人時代の執務場所)
町会所の名称は四年十一月十日、町代及び町代見習から
開墾掛
へ出された深道繁次郎の採用に関する書付の中に見
新札幌市史 第2巻 通史2
(郵便)
郵便掛は六年四月
開墾掛
に併合され、さらに七月には開拓使内部の機構改革により民事局駅逓課となった(開拓使事業報告
新札幌市史 第2巻 通史2
(開墾の奨励と勧農規則)
札幌本庁
開墾掛
の「細大日誌」(市史 第六巻)によると、五年六月三日以降の官員の周辺村々への出張は大部分
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌の橋)
創成橋の命名は、五年はじめ始成橋という
開墾掛
の案を、岩村判官が創成橋と修正して決まった(地理諸留 道文六五九
新札幌市史 第2巻 通史2
(辛未村の計画)
計画は三年九月頃から札幌
開墾掛
にて立案されている。
新札幌市史 第2巻 通史2
(戸長制と札幌市中の事務)
この二人はともに
開墾掛
の兼務である。
新札幌市史 第1巻 通史1
(幕府の倒壊と大友亀太郎の去就)
移住計画の衝に当たっていた堀真五郎よりその開墾の諮問を受け、翌七月五日直ちに兵部省(軍務官か)出張所石狩国
開墾掛
新札幌市史 第2巻 通史2
(地券の発行と地租の創定)
カモ/\口水門辺] (下略)(
開墾掛
新札幌市史 第6巻 史料編1
(〔大友亀太郎文書〕)
ママ)巳年三月 村方救助金取調帳 大友織之助 31 巳十月ヨリ午四月迄 米金諸品受取方元牒
開墾掛
新札幌市史 第8巻1 統計編
(総説)
これを受けて開拓使
開墾掛
は71年3月,札幌市中を町代見習・高橋亀次郎らに,篠路,琴似,平岸,丘珠,月寒,庁下第一大区戸籍職分寄留総計」一覧を作成し,戸籍簿2通を清書するとともに,1872年10月実地調査として
開墾掛
新札幌市史 第2巻 通史2
(新札幌市史 第二巻 通史二/総目次)
第三節 町役人体制から札幌区役所の成立…138 一 札幌の行政制度の整備
開墾掛
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