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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第2巻 通史2 (黒田開拓長官の辞職)

黒田開拓長官の辞職 佐々木高行の手記によると、明治天皇は黒田を評して「黒田[清隆]は動もすれば大臣を,これに対し政府は十五年一月十一日、本官の陸軍中将の辞職は認めず、兼官の参議・開拓長官の辞表を受理すると,同時に黒田の後任として、陸軍中将兼参議農商務卿議定官西郷従道に、さらに開拓長官の兼任を命じた。 / 黒田開拓長官の辞職
新札幌市史 第2巻 通史2 (鍋島の大納言就任)

鍋島の大納言就任 このような北地使節などの派遣の論議の最中、他方で開拓長官の問題もからんできた。,それは鍋島開拓長官の大納言昇任の問題によって起こる。,ともあれ八月十六日鍋島は大納言に任命され、加えて「開拓長官如元」とされ、さらに五、六日中に開拓に関し調査,にもかかわらず鍋島に対して大納言と開拓長官の兼務を指令した。,それ故その後本来の開拓長官の人事が急速に進められ、その人事と赴任が決定するや、上記一連の指令はすべて発動
新札幌市史 第2巻 通史2 (沢長官、黒田次官案)

沢長官、黒田次官案 大納言鍋島に開拓長官兼務を指令した直後の二年八月十八・十九日に、大久保は副島らと,共に岩倉・三条に対し「只今通ニては前途目的不相立候ニ付、是非判然と可被任人ニ御任し有之度」として、開拓長官人事,また樺太赴任が決定している丸山作楽の、開拓長官は現地に出張すべきとの要請を、この十八日に大久保は受けてもいた,八月二十日に至り大久保の日記には、三条・岩倉と会し「開拓長官……之事御決議有之候」と、先の「任せられるべき,それに関し翌二十一日付の岩倉の覚書には 一沢外務卿被免、開拓長官被仰付、速に函館或石狩迄出張之事
新札幌市史 第2巻 通史2 (東久世長官の任命)

東久世長官の任命 ところがその翌日(八月二十四日)に大久保は、「今朝東久世公開拓長官、町田被遣候事共,一日の経過の中で、急転直下東久世の長官内定となり、翌二十五日、三日前に大弁に就任したばかりの東久世を開拓長官
新札幌市史 第2巻 通史2 (外務省の北地出役案)

翌九日岩倉大納言・鍋島開拓長官・沢外務卿・大久保参議らがパークスと会見し、この時点での日本の方針を伝えた,これは箱館は開拓長官もしくは次官の拠する所との意で、この案では開拓使の本拠として箱館を想定していることがわかる
新札幌市史 第2巻 通史2 (開拓使廃止の動き)

八月中に在京の近衛都督嘉彰親王が北海道・東北巡幸供奉中の左大臣熾仁親王にあてた書簡によってみると、「開拓長官黒田清隆,右大臣岩倉具視主として其の考査を担当し、遂に実行することに決せるを以て、五六月の交、参議寺島宗則を以て開拓長官黒田清隆
新札幌市史 第1巻 通史1 (佐賀藩と開拓使)

藩主鍋島直正が、明治二年(一八六九)六月四日に蝦夷開拓督務、七月十三日に開拓長官に任じられ、島義勇も六月六日
新札幌市史 第2巻 通史2 (実業教育の奨励)

実業教育の奨励 十二年七月、黒田開拓長官は本庁書記官に書を寄せ、ヨーロッパの例も挙げて実業教育の必要
新札幌市史 第1巻 通史1 (定山の温泉開発)

定山渓の地名の由来は、明治四年に開拓長官東久世通禧(みちとみ)が、本願寺街道を検分した折に、定山の労に
新札幌市史 第2巻 通史2 (昇格願の提出)

昇格願の提出 七年十一月、札幌神社菊池宮司は開拓長官あて「北海道布教方法ニ付願書」によって、布教をさかんに
新札幌市史 第2巻 通史2 (写真)

東久世開拓長官自身も三年九月に札幌で撮影をおこなった可能性があるが、今のところ確認はされていない。
新札幌市史 第2巻 通史2 (北地使節の派遣案)

これは受け入れられるところとはならなかったが、以降このような北地派遣問題とか、さらに加わる開拓長官問題
新札幌市史 第2巻 通史2 (石狩本府論)

このように本府と確定しているわけではないが、要するに「諸地開拓を総判」する開拓長官の居所として、「石狩
新札幌市史 第2巻 通史2 (東京出張所と札幌本庁)

ところが黒田次官は当初より政権の中枢に関与しており、特に七年八月二日には参議を本務とする兼任開拓長官となり
新札幌市史 第2巻 通史2 (開拓顧問の職務内容)

一 、常に開拓長官を輔佐して、その事務を商議すること。
新札幌市史 第2巻 通史2 (藻岩学校等の設立)

校舎は黒田開拓長官の「人間生活ヲ得ルニ付テノ凡テノ模範タルガ故ニ、宜シク堅牢素朴実ヲ貴バザル可ラズ。
新札幌市史 第2巻 通史2 (樺太開拓使の設置)

樺太官員実効致方モ無之、函館表ヨリ相廻候儀モ調兼候、右ニ付管轄実地相施候至当御処置御指揮願度候事(同前) これら開拓長官
新札幌市史 第2巻 通史2 (下手稲村の成立)

もうひとつ上・下手稲村の村名が記載された史料を探査すると、初見は六年九月に出された開拓長官黒田清隆の諭達
新札幌市史 第2巻 通史2 (ケプロンの顧問就任)

願クハ予ヲシテ永ク開拓長官ヲ輔佐シ其業ヲ全スルアラシメヨ」と、顧問承諾の理由と抱負を述べている。
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌神社の創建)

さらに翌四年四月三十日に東久世開拓長官が「円山御宮地」を検分し、測量方の中田幸吉が測量し、宮地は正式に
新札幌市史 第2巻 通史2 (本願寺移民)

本願寺移民 二代目の開拓長官になった東久世通禧の『日録』に、四年六月十七日に「東本願寺寺用移民四拾人新潟
新札幌市史 第2巻 通史2 (週番所)

開拓長官がその許可を与えたのは九年五月一日である。  
新札幌市史 第2巻 通史2 (開拓使の発足)

二年七月十三日にそれまで開拓督務の職にあった鍋島直正が、初代の開拓長官として任命された。
新札幌市史 第2巻 通史2 (旧開拓使事務・事業の移管)

開拓長官の西郷はその兼職を解かれたが、同日また兼職として開拓使残務取扱御用掛に任命されている。,千島国土人撫恤事務 〈廃止〉  家屋改良費貸与(公文録 開拓使)  以上の諸省庁・府県への移管は、先の西郷開拓長官
新札幌市史 第1巻 通史1 (ハッサム村の農民)

ハッサム村の農民 明治三年九月二日にこの地を通過した東久世開拓長官は、「一村落也。
新札幌市史 第2巻 通史2 (東久世長官らの赴任)

ともあれ、八月二十六日東久世開拓長官、島開拓判官、船越兵部大丞、丸山外務大丞、岩村開拓判官、岡本開拓判官
新札幌市史 第2巻 通史2 (黒田指針の具体化)

四年十月十五日東久世長官が侍従長に転出して以降も、長官は任命されずに黒田が次官のまま統括し、七年八月二日に参議兼開拓長官
新札幌市史 第2巻 通史2 (デニングの進出と撤退)

バチェラーの自叙伝『我が記憶をたどりて』では、明治十年秋、初めて来札したとしており、このとき黒田清隆開拓長官
新札幌市史 第2巻 通史2 (三県分置と開拓使事業処分の案)

処分に当たり西郷開拓長官は次のように述べている。
新札幌市史 第2巻 通史2 (開墾)

ニ候処、自然其額適宜減少致シ候儀モ可有之候条、此段上申仕置候也   明治八年三月廿四日 陸軍中将兼開拓長官
新札幌市史 第3巻 通史3 (三十二年区制)

第二次山県内閣が成立すると、内務大臣に最後の開拓長官を務めた西郷従道が就き、第八代目の道庁長官には園田安賢
新札幌市史 第2巻 通史2 (兵員と家族)

明治十四年十一月十八日 準陸軍大佐 永山武四郎 準陸軍少佐  家村住義 開拓大書記官 調所広丈    開拓長官
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌製糸場の開業と工女呼戻し)

札幌製糸場の新築落成開業式は、九年九月二十三日開拓長官黒田清隆をはじめ勧業課官員列席のもと行われ、蚕業婦
新札幌市史 第2巻 通史2 (新札幌市史 第二巻 通史二/総目次)

〇年計画の満期 開拓使廃止の動き 開拓使官有物払下の出願 開拓使官有物払下事件        黒田開拓長官
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 (出典一覧(明治以降) 1868年〜1944年)

 590  新撰北海道史 第7巻管轄略譜・索引他  591  新撰北海道史  592  西郷開拓長官建議
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