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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第1巻 通史1 (阿部屋村山伝兵衛)

阿部屋村山伝兵衛 阿部屋の家伝である『石狩場所請負人村山家記録』(河野常吉資料 道図)によれば、初代村山伝兵衛,蝦夷商賈聞書』(元文年間 一七三六~四〇)にトママイの知行主であり(当時はルルモッペを含む)、その関係で阿部屋,初代伝兵衛没後、養子理兵衛が事業を引継ぐが、まもなく養家を去ったため、イシカリ場所に深く関わりを持つにいたったのは,、三代目伝兵衛からである。 / 阿部屋村山伝兵衛
新札幌市史 第1巻 通史1 (阿部屋の台頭と没落)

阿部屋の台頭と没落 「しやつほろ」場所夏商を手に入れた阿部屋は、飛驒屋が安永四年(一七七五)、前述したような,)伝兵衛」の名を掲げ、千石積の船一〇艘を所持し、ソウヤ交易をしていると、その著『東遊雑記』に記している,の支配としたので、阿部屋の権益は一層増大した。,しかし、東蝦夷地直轄化の動きが、阿部屋を再興させた。,蝦夷地の「按内」に阿部屋の起用が必要となったからである。 / 阿部屋の台頭と没落
新札幌市史 第1巻 通史1 (「しやつほろ」夏商)

それより少し前の明和二年(一七六五)、飛驒屋がまだイシカリ山請負を盛んに行っていた同じころ、阿部屋は「,それは、明和二年十一月十六日付の「しやつほろ」場所の知行主である南条安右衛門から請負人村山伝兵衛に出された,明和二乙酉十一月十六日          南条安右衛門 印     村山伝兵衛殿(新札幌市史 第六巻,これによれば、明和三年より同六年まで四カ年間、一カ年につき二七両の運上金で「しやつほろ」場所の夏商を、村山伝兵衛,ところで、阿部屋は、どうして「しやつほろ」場所の夏商を請負うにいたったのだろうか。
新札幌市史 第1巻 通史1 (請負方式の変化)

このため、松前奉行では、その措置として入札・吟味を行わないままに、これを松前町人の有力者である阿部屋伝兵衛,村山伝兵衛イシカリ場所之内トクヒラ、ハッシャフ、上ツイシカリ、下ユウハリ、シマヽフ右五ケ所夏漁場幷秋味漁,320両* 阿部屋 但し疱瘡流行により半減 両 ハッサム 米屋孫兵衛 50 米屋孫兵衛 40 阿部屋,阿部屋 阿部屋 但し疱瘡流行により半減 1,500両 2,500両 2,200両 2,250両 1,*印は、阿部屋の五場所の計を示した。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (請負体質の弛緩)

ところが六代目伝兵衛(直之)の妹りきの四番目の子林太郎が、本店から請負人代理としてイシカリに乗り込んだので,憤懣やるかたなき支配人円吉とその一派は阿部屋からの独立を模索し始める。,を無料で借用、仕込みも阿部屋から受け、代償として出産物を一括阿部屋に売り渡すことを条件とした(市史一二頁,もう一つの問題はイシカリに仕事を求めてやってきた阿部屋の使用人たちの不正行為の横行である。,不良番人が阿部屋の信用を著しく失墜させたことはまちがいない。
新札幌市史 第1巻 通史1 (新道の開削工事)

新道の開削工事 サッポロ越新道の開削に関し、安政五年五月に阿部屋伝二郎からイシカリ役所に提出された伺,工事そのものは、「村山伝兵衛履歴附属概表」(河野常吉編 石狩場所請負人村山家記録)によると、四年夏より,安政四年十二月に、阿部屋の元イシカリ場所支配人である能登屋円吉がまとめた「覚」には、「巳年ハツシヤフ川
新札幌市史 第1巻 通史1 (熊野屋菊池忠右衛門)

熊野屋菊池忠右衛門 阿部屋村山伝兵衛が、南条安右衛門と、「しやつほろ」場所夏商の請負証文を取り交した
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリ川の地図)

一枚は文化七年『蝦夷地図』(国立史料館蔵)で、当時イシカリ場所の請負人であった阿部屋村山直之が、文化十三年,(一八一六)に模写したという『松前蝦夷地嶋図』(北大図)と同系統図であり、あとの二枚はおそらく同じ阿部屋,本図はもともと場所請負人阿部屋に伝わるものであったので、阿部屋のイシカリ場所請負に関わる絵図であったと,作者岳丈央斎は、偶然にも以前阿部屋村山伝兵衛のもとで働いていたという福山馬形(まかど)の坂本屋九兵衛の,このように、一九世紀のはじめにサッポロ川の流路が変わったことは、当時イシカリ場所の請負人であった阿部屋
新札幌市史 第1巻 通史1 (疱瘡の犠牲)

このような状況にたちいたったイシカリ場所の請負人阿部屋村山伝兵衛は、つぶさにこの状況を訴え、運上金の減額,この嘆願に対して、文政元年(一八一八)九月、阿部屋に次の運上金半減の許可がおりた。      ,申渡村山伝兵衛其方請負罷在候イシカリ場所去丑年より当寅四月下旬迄疱瘡流行ニ付蝦夷人夥敷死亡いたし漁猟格別,且去丑年運上金納残之分九百弐拾五両之内三分一差免、六百拾六両弐分永百六拾六文七分上納可致   寅九月(村山家資料 道開)  これにより、阿部屋
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌近傍の林相)

この地域の林木の伐出しは宝暦五年(一七五五)の飛騨屋武川久兵衛の請負に始まり、天明八年(一七八八)には阿部屋村山伝兵衛
新札幌市史 第1巻 通史1 (第三回訴願と収拾)

が、三回目の訴願の際にはユウフツ場所の請負人であり、反対に二回目の訴願の時ユウフツ場所の請負人だった阿部屋伝兵衛
新札幌市史 第6巻 史料編1 (解題)

解題 村山家は屋号を阿部屋と称し、代々石狩・札幌等の場所請負のほか、材木伐採、問屋小宿、廻船業を手広,札幌の場所請負について「村山家代々書」(文化七年=一八一〇写)「要用書」(文政三年=一八二〇)は初代伝兵衛
新札幌市史 第1巻 通史1 (第一回訴願)

その条件として、米屋からユウフツ場所請負の阿部屋へ運上金の上納を提案。,シリコノエ・サエラフニ、松前藩イシカリ詰合に宛ててイザリ・ムイザリウライ2カ所返還の願書提出(イシカリ場所請負人は阿部屋伝兵衛
新札幌市史 第1巻 通史1 (新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)

     (1) 飛驒屋の場合        イシカリ山請負 場所請負へ      (2) 阿部屋,の場合        阿部屋村山伝兵衛 「しやつほろ」夏商      (3) その他の場合        ,改役所の設置 新漁場の割渡し     二 漁業経営の多様化        漁獲高 漁法の工夫 役鮭 阿部屋, 勝右衛門の漁業     三 混迷のイシカリ漁業        出稼人の交代 勝右衛門のその後 阿部屋,    一 箱館奉行の政策        北方領土問題とアイヌ アイヌ政策の変化     二 阿部屋
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