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新札幌市史 第2巻 通史2
(お雇い外国人の雇用)
お
雇
い外国人の
雇
用 開拓使の外国人
雇
用には、その
雇
用・職務上の性格によって四つのグループに分けられる,それは第一に、外国人
雇
用の初期にケプロンの総括下に置かれ、開拓諸般の事業に従事したお
雇
い外国人のグループ,従事した外国人と、ゴージョの下に炭山開採に従事した外国人とのグループ、第四には、開拓使独自の見解により
雇
用,この
雇
用に際しては、ケプロンと開拓使の間で「総テ余カ補助ヲ撰挙スルノ権アルヘク、又外国御
雇
人ハ総テ余カ,命令ニ従フヘシ」(開拓使公文録 道文五七四二)との確認がかわされており、またその
雇
用契約書にも、例えば / お
雇
い外国人の
雇
用
新札幌市史 第2巻 通史2
(お雇い外国人の給与と雇期)
お
雇
い外国人の給与と
雇
期 お
雇
い外国人の給与は一般的に高額であった。,契約時の年俸を日本円で示すと(当時一ドルは一円)、最高はケプロンの一万円で、これは全国のお
雇
い外国人の,ただお
雇
い外国人といっても、清国より招聘の農夫は年俸六九円に過ぎなかった。,お
雇
い外国人の
雇
用期間は、開拓使に限らず長期契約をなすことは稀であった。,ただし再契約を繰り返して長期に及んだ者もおり、ブルックス(農学校教師)は一〇年七カ月(移管後の農商務省
雇
いを / お
雇
い外国人の給与と
雇
期
新札幌市史 第4巻 通史4
(日雇労働者)
日
雇
労働者 表3の札幌の職業別人口の職業分類で、その他の有業者に分類される人びとは見逃しにできない数字,しかも俸給生活者、一般労働者の失業率がそれぞれ四・五八パーセント、二・一二パーセントに対し、日
雇
労働者,第一次世界大戦後の深刻な世界不況のあおりを受けて、大量の慢性的失業者群が巷に溢れ、恒常的日
雇
労働者のうえに,日
雇
労働者は表6でみたように、大正十三年の場合、一日の賃金は男性一円三〇銭、女性七〇銭(札幌市統計一班,日
雇
労働者の職種も第二節で述べるように、逓信・電話地下線工事、下水工事、建築人夫、工場雑役、道路改良、 / 日
雇
労働者
新札幌市史 第1巻 通史1
(雇の実態と代償)
雇
の実態と代償
雇
には、大きく分けて春・夏・秋の漁場労働と、一年中運上屋に
雇
われる雑用、それに運上屋,このうち多くのアイヌをイシカリ川下流に縛りつけたのが、漁場
雇
である。 ,それは、安政二年(一八五五)の『村山家資料』によっても男女二〇七人が鯡漁の
雇
にとられている。,
雇
の場合、上男六俵、中男五俵、下男四俵、女子は四~三俵とされていた(同書)。,このような
雇
の場合、必ず「介抱米」五合、鯡、干鮭などが支給された。 /
雇
の実態と代償
新札幌市史 第2巻 通史2
(お雇い外国人の内訳)
明治元年より同二十二年に至る間のお
雇
い外国人を対象とした「お
雇
い外国人名鑑」(ユネスコ東アジア文化研究所,センター編 資料御
雇
外国人)には、二二九九人のお
雇
い外国人の記録がみられる。,しかし実際に開拓使が
雇
用した外国人は七八人であった。,2.原田一典『お
雇
い外国人―開拓』所収「付録・開拓使お
雇
い外国人総覧」より作成。 ,ただし下級船員はその船舶の日本搬送後に解
雇
されている。 / お
雇
い外国人の内訳
新札幌市史 第4巻 通史4
(芸妓・酌婦・雇女等)
芸妓・酌婦・
雇
女等 札幌の花柳界で働く芸妓、酌婦、
雇
女と呼ばれる女性たちが数多く存在した。,昭和元年の場合、芸妓七二二人に対し、酌婦一六五人、
雇
女一六六七人と、
雇
女が酌婦の約一〇倍もいた。,増加し、
雇
女の項には女給の数も含まれるようになる。,また芸妓、酌婦、
雇
女とも、警察署の健康診断の対象者でもあった。,・五八であったから、酌婦や女給および
雇
女の罹患率の高さがまず指摘される。 / 芸妓・酌婦・
雇
女等
新札幌市史 第1巻 通史1
(士分の雇農民)
士分の
雇
農民 漁間農業の着実な展開とともに、この時期におけるイシカリ農耕の特色は、士分による農務運営,一つはイシカリ役所の詰合役人が農事専従者を
雇
用して開墾耕作にあたらせる場合で、新井村や城開墾地がその例 / 士分の
雇
農民
新札幌市史 第2巻 通史2
(黒田建議と外国人の雇用)
黒田建議と外国人の
雇
用 明治三年(一八七〇)五月九日に、樺太専務としての開拓次官に就任した黒田清隆が,セシメ、且ツ北海道樺太ノ海岸ヲ測量シテ要害ノ地ヲ検」するために、「風土適当スル国ヨリ開拓ニ長スル者ヲ
雇
」,すなわち外国人の
雇
用目的として、開拓の方針・方法を樹立するための移民や器械等の調査、具体的に開発すべき,その中に「開墾ニ長シ候外国人
雇
入ノ儀次官へ御委任ノ事」と、「開墾器械ハ米国へ注文可相成事」との二条が含,この達を受けた黒田はさらに十二月二日、
雇
用すべき外国人を「工作ニ長ズル者」「農業ニ長ズル者」の各一名とし / 黒田建議と外国人の
雇
用
新札幌市史 第3巻 通史3
(雇人奨励会と使用人奨励)
雇
人奨励会と使用人奨励 商店などの
雇
人・使用人に対する奨励もこの時期は大きな課題となってきていた。,明治三十四年五月に創設された札幌商工業家
雇
人奨励会は、会員を「満二ヶ年間以上同一主家勤続せる男子」とし, 明34・5・14)、「主従思想」を強調するあくまでも使用者側の立場に立った恩恵的なものであったが、
雇
人 /
雇
人奨励会と使用人奨励
新札幌市史 第5巻 通史5下
(男女雇用機会均等法成立まで)
男女
雇
用機会均等法成立まで 日本の女性
雇
用労働者数が一〇〇〇万人を超えたのは昭和四十二年、そのうち既婚者,国際婦人年以後、各国で制定されたように
雇
用平等法の実現を望む声は高まった。 ,十月同じく札幌で「労基法の改悪に反対し男女の
雇
用平等を実現する全道集会」が開かれた。,一方政府は、差別撤廃条約の批准が迫った五十九年五月、「男女
雇
用機会均等法案」(
雇
用の分野における男女の,・定年・退職・解
雇
が禁止規定、自主解決できない苦情処理は婦人少年室長の指導・勧告、
雇
用機会均等調停委員会 / 男女
雇
用機会均等法成立まで
新札幌市史 第5巻 通史5下
(雇用労働者の札幌圏一極集中)
雇
用労働者の札幌圏一極集中 昭和四十五年(一九七〇)に一〇〇万を超えた札幌市の人口は、五年間でさらに,して五・六倍になったが(統計書)、就業者数も一・八倍になり全道に占める割合は三一・二パーセント、うち
雇
用労働者数,表-20 札幌市の産業別就業者数及び
雇
用者数と全道に占める割合 区分 昭45 昭55 平2 平12 実数,23.7 分類不能 221 20.6 805 67.3 7,100 73.7 18,050 62.5 うち
雇
用者数 /
雇
用労働者の札幌圏一極集中
新札幌市史 第5巻 通史5下
(季節労働者問題)
図5は
雇
用保険受給者の推移を示している。,
雇
用保険には一般
雇
用保険と短期
雇
用特例とがあり、季節労働者は短期
雇
用特例が適用されていた。,これに対して短期
雇
用特例は、一月をピークとした季節変動が激しく、ピーク時の人数は一般
雇
用保険受給者を軽,年間の
雇
用保険金額をみると、一般
雇
用保険は不況期の昭和五十八、五十九年には二〇〇億円を超えるものの好況期,道内就業者の三分の一を抱える札幌公共職業安定所に、年明けから
雇
用保険の受給者が押しかけている。
新札幌市史 第4巻 通史4
(麦酒会社争議の失敗)
麦酒会社争議の失敗 札幌合同労働組合は、大正十五年十月に定山渓鉄道解
雇
反対運動に取り組み、昭和二年二月,には麦酒会社の解
雇
反対運動を展開したが、これは多数の検挙者を出し失敗に終わった。,関係組合 林産経木 1月20日 157人 給与全額支給 札幌合同 北海道製縄 1.30 5 復職解
雇
手当,札幌合同 日本麦酒 3.15 118 解
雇
手当総額 札幌合同 駒野製綿 3.15 45 保険業主負担,7.10 7 解
雇
手当 ナシ 堀野家具 9.23 1 復職 札幌合同 三田印刷 9.16 1 解
雇
手当
新札幌市史 第5巻 通史5下
(女性労働者の増加と勤労者の多様化)
表-23 札幌市の男女別
雇
用者数及び割合の推移 種別 年次 就業者の総数
雇
用者の総数
雇
用者男女別人員,六十年五月、男女
雇
用機会均等法が成立(昭61・4施行)したが、六十二年における札幌市の男女別
雇
用形態は,しかし、
雇
用形態別では
雇
用者総数の二〇・四パーセントがパート・アルバイト、嘱託・派遣社員などで、その大部分,表-24 昭和62年札幌市の
雇
用形態別・男女別
雇
用者数及び男女比率調べ (単位:千人) 区分 総数 男,平成五年六月、パート労働法(短時間労働者の
雇
用管理の改善等に関する法律)が制定されたが、多様な
雇
用形態
新札幌市史 第1巻 通史1
(諸施設)
、
雇
小家での生活が長くなった。,5棟 (計52棟) (ユウフツ出稼) 居小家1、板蔵8、茅蔵3、蝦夷
雇
小家1 (計13棟) フンヘムイ,御小休所 シュフ (ユウフツ出稼) 居小家1、茅蔵4、蝦夷
雇
小家1 (計6棟) ヒトエ 御昼所1、,秋味居小家1、茅蔵2、蝦夷
雇
小家1 (計5棟) (ユウフツ出稼) 居小家1、板蔵1、茅蔵2、蝦夷
雇
小家,1 (計5棟) ツイシカリフト 秋味番家1、板蔵5、茅蔵2、蝦夷
雇
小家1 (計9棟) (ユウフツ出稼)
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌区役所の成立)
受付
雇
桑島虎十郎 同 一瀬忠次郎 戸籍科 区書記兼郡書記,斎藤実昭 同 羽部篤行 兵事 御用係 長谷川当路
雇
池田秀幸,定籍 御用係 長谷川当路
雇
池田秀幸 勧業科 区書記兼郡書記,斎藤実昭 郡書記兼区書記 武田矩常
雇
池田秀幸 出納科,区書記兼郡書記 斎藤実昭 同 大西粂之丞 同 松田寿三郎
雇
新札幌市史 第5巻 通史5上
(進駐軍労務傭員)
写真-4 進駐軍労務者募集広告 職種は日
雇
い作業員や、進駐軍部隊・事務所で勤務する通訳やバーテンダー,また進駐軍が直接
雇
用したり、請負業者に業務と労務員募集を一任する方法もとられた。,一方、二十四年一月、請負業者に一任されていた間接
雇
用労働(P・D労務)制は廃止された。,=ポケットマネー
雇
用種別 直傭労務者(L.R労務者) 間接
雇
傭労務者(P.D労務者)
雇
用形態 常傭,・日
雇
い 常傭・日
雇
い
雇
用・ 被
雇
用関係 政府→北海道へ委任,直接
雇
傭(札幌・真駒内両渉外労務管理事務所取扱
新札幌市史 第2巻 通史2
(労働者救済会)
暇アラス(中略)其自活ノ途ヲ与ヘ尚ホ且保護スヘキ義務ヲ担フ周旋屋等ニモ不良不親切ナルモノアリテ近クハ
雇
役者,ヘ故意ニ被害ヲ被ムラシムルコト往々アルノ巷説ヲ聞ケリ仍テ有志ノモノ協力シ北海道固着ノ悪弊ヲ洗除シ博ク
雇
役者,この文言からすれば救済会の目的は、労働者へ自活の道を開かせ保護し、
雇
役者=
雇
用主が斡旋業者から不利益をこうむらないよう
新札幌市史 第3巻 通史3
(同業組合の職工・徒弟管理)
印刷業組合では(一)については、「組合内(甲)に勤務し居るものにして乙に使
雇
を申込みたるときは乙は(甲,)の承諾を受くるを要す」とし、職工の移動に際しては必ず旧
雇
主の承諾を必要としている。,にして特に解
雇
すべき者」として、 一、同盟罷工を企図し又は之に雷同加盟したる者。,(一)に関しては染物業組合、畳職営業組合でもみられ、鉄工業組合では
雇
用する職工に本籍地、氏名、年齢、現住所,、
雇
主名、等級、給料などを記載した手帳を発行し、「此手帳を所持せざる職工は一切
雇
入れない定め」とし、(
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌製糸場の開業と工女呼戻し)
それと同時に勧業課東京試験場の工女二七人ほどを札幌製糸場に
雇
い入れることが決定した。 ,その結果富岡の六人の工女については、七月二十四日東京試験場
雇
入れの工女二二人と一緒に開拓使の官船玄武丸,9月23日(北大図) ところで、器械製糸の開業にあたり勧業課では、富岡模造の器械製糸は東京試験場
雇
入,それのみならず、東京試験場
雇
入れ工女のうちに、たとえば一等蚕業婦新妻みななど三人が屯田兵家族であったり,身 職 歴 1 芳賀むら 指揮婦 工女世話方 銭 8年札幌製糸場在場 9年8月勧業課東京試験場より
雇
入
新札幌市史 第5巻 通史5上
(企業整備合理化と行政整理)
一人)が四三人の人員整理を発表し、七月には、三井木材札幌支社が道内一八事業所で一〇三二人中二六四人を解
雇
した,二十四年七月、政府の「行政機構刷新および人員整理」(定員三割削減、国鉄二割)方針に基づき国鉄が大量の解
雇
通告,また二省に分割された郵政・電通関係でも、八月に道内全体で郵政九五〇人・電通三五〇人に解
雇
通告が行われ、,昭24・5・1)、北海道議会は道職員二五四人削減の定数条例を可決し、九月十日、組合委員長ら五六人に解
雇
が,をうち(全道庁十年史)、さらに同年十一月、道内で小・中・高校計二六人(うち札幌市一人)の教員が解
雇
された
新札幌市史 第5巻 通史5上
(就業人口の増大と組合組織率)
一方、多様な形態の
雇
用拡大が組織化を上回る速度で進み、ILO87号条約批准に伴う国内法改正で公務員の管理職脱退,は、四十五年には一〇〇万人を突破して三・二倍となり、就業者数も一一万人から四七万余となり、四・三倍(
雇
用者数四,
雇
用労働者に占める女性の割合は、公務では一六・六パーセントから一三パーセントに後退したが、他業種での
雇
用,しかし、
雇
用労働者数に対する推定組織率は、二十五年の五一・九パーセントからほぼ一貫して低下し、金融保険業,表-12 昭和45年札幌市の産業別男女別
雇
用労働者数 種別産業
雇
用労働者総数 男女別人員 男女別比率
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌本道の建設)
札幌本道の建設 ところが四年、お
雇
外国人たちは札幌を北海道の首府として建設するならば、函館札幌間の車道,その道路は、お
雇
外国人の建言をとりいれて、表面を砂利で舗装するマクアダムス式舗装道路を予定した。,この建築には鹿児島の串木野や東京などから人夫職人を多数
雇
い入れて行われた(新北海道史第三巻)。,札幌本庁からは開拓使の決定事項として、鹿児島から
雇
ってきた串木野人夫一一〇〇人を越冬させることを、銭函
新札幌市史 第2巻 通史2
(本府の建設の開始)
一方石狩周辺でも職人人夫を
雇
い入れる。十月十五日人足小頭友次郎が営繕手代として
雇
われた。,亀吉は十月二十三日から
雇
われている。,この時期に人足の小頭となる由松・平吉・善助は、日付ははっきりしないが、十月中にはすでに
雇
われている(御金遣払帖,また三年一月になると場所請負人の廃止や鮭漁の終了と共に、厚田浜益など諸郡から人足として場所の出稼人が
雇
われた
新札幌市史 第2巻 通史2
(本府建設とアイヌ労働)
継立、あるいは開拓使所轄地間の新道開削工事や人馬継立などに、アイヌの人びとが人足や人夫としてたくさん
雇
い,、勇払、美国、沙流、釧路といった遠方のアイヌまでが「札幌御造営人夫」として、営繕あるいは運送方として
雇
われ,たとえば、沙流郡のアイヌ一一人は、三年一月より「札幌御造営人夫」として札幌で
雇
われていたが、同年三月、,この場合、
雇
い入れる側とアイヌ間で言語不通によるトラブルも発生している。,また、三年に平田開拓使掌が上川地方を見分した折、アイヌを先導役や粮米運輸の人足に
雇
い入れているように、
新札幌市史 第5巻 通史5上
(中小零細組合の急増と紛争議)
中小零細組合の急増と紛争議 昭和三十年代以降、石炭産業や繊維産業再編の中で、特に札幌ではその他産業の
雇
用,その後も企業別組合や、札幌保育労組・札樽運輸労組などの合同労組結成が進んだが、同時に民間中小では、
雇
用主,による組合結成排除や加入阻止、賃上げ・待遇改善要求などの団交拒否や組合員解
雇
、組織介入などの不当労働行為事件,翌年以降も、札幌一般労組加入の印刷所組合員脱退勧誘や、病院書記長解
雇
、電気商会組合員解
雇
、プラスチック,工場の団交拒否や組合脱退勧告、洋服工場委員長の解
雇
問題など、合同労組での紛争議が続発した。
新札幌市史 第7巻 史料編2
(四 明治五年)
四 明治五年 八四 札幌御用米として仙台米買上、小樽廻しの件(二月三日) 八五 諸職人
雇
入並に諸品買入,に教師館建設の件(六月一四日) 八七 営繕其他入用別段御出方に付回金の件(七月二二日) 八八 御
雇
諸職人手明
新札幌市史 第3巻 通史3
(女子駅員)
事務以外の駅の出札係や電信係といった、いわゆる現業業務への女子の進出は、四十三年の北海道鉄道管理局
雇
員採用規程,採用条件は、一六歳以上、身体強健、高等小卒以上を
雇
員とし、それ以外は傭人とした。,七年、平均二年半といったところで、駅夫は二五、六歳の配偶者のいる家計補助的というのが多かったようで、
雇
う
新札幌市史 第5巻 通史5上
(米軍撤退と全駐労札幌支部解体)
二十八年に入ると米軍撤退問題が浮上し、同年四月以降、全駐労のストライキや抗議デモの甲斐なく五三二人が解
雇
され,二十九年七月には米陸軍第一騎兵師団が千歳三三〇人、札幌米陸軍病院一七人・真駒内一八八人など五四七人の解
雇
を,通告(道新 昭29・8・1)、さらに八月六日、千歳一五六人、真駒内八五人など計二五二人の解
雇
を通告した,五一一四人のうち三一六九人、札幌では三八九人中一八一人、真駒内一九七九人中一二四七人が十月十四日までに追加解
雇
通告
新札幌市史 第5巻 通史5上
(企業倒産と人員整理)
二十八年一月、北海製紙が休業中の札幌工場閉鎖と従業員一一〇人整理を発表し、退職手当増額などを条件に七三人解
雇
(,四月には帝国石油が二一二人中三六人(うち女子一一人全員)を解
雇
、雪印薬品は八一人中三二人(うち女子一七人全員,女子八人中六人)、酪農連では七五人中六二人(女子一〇人全員)、鳥居製薬でも二八人中一一人(女子一五人中九人)が解
雇
されるなど
新札幌市史 第5巻 通史5上
(レッドパージ)
され、同月十四日、全道庁労組は、「時間中に共産党員として党活動を行った」として同労組書記局員三人に解
雇
を,かつて「五三名事件」に見舞われた道新では、さらに三六人に解
雇
通告が行われ、日経連はパージのモデルとして,同札幌支店一〇人、日通道支社四人・同札幌支社四人、印刷関係八人(興国印刷四・中西印刷一・文栄堂印刷三)が解
雇
され
新札幌市史 第3巻 通史3
(麦酒工場の女工)
札幌工場での女工数は季節によって増減があり、十年夏の場合をみてみると、夏場の繁忙期には約一〇〇人の臨時
雇
の,臨時
雇
・女工ともに職工の妻たちが多く、もっぱら小遣い稼ぎが目的であった。,これに比べ常
雇
の女工は、一日九〇銭で、一年中仕事量の減少する時期でも休まず出勤し、日給七〇銭くらいに三
新札幌市史 第7巻 史料編2
(三 明治四年)
運送方の件(一月三〇日) 七四 南部秋田辺より買上農家運賃の件(二月四日) 七五 南部より杣木挽
雇
入,に付吉見清彦書面(二月七日) 七六 中川源左衛門より札幌営繕方
雇
職人に付入費不足の件(三月四日)
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌本庁舎の竣工)
現在では、図面の寸尺の記入から、ケプロンなど御
雇
外国人のデッサン(口頭か絵図など)を参考にして、日本人技術者,して、札幌から「本庁ヲ始御役邸ニ至迄西洋作御取建御約定」のために、東京でさらに二〇〇〇人ほどの職人を
雇
って,注文通りの大工棟梁らが
雇
われたかどうか確認できないが、遠藤氏の指摘通り札幌本庁舎の設計は、その構想にお,
雇
外国人が関与した可能性はあるが、設計そのものは日本人技術者であると考えても無理はないと思われる。
新札幌市史 第2巻 通史2
(区内職業別表)
業別 男 女 農作 69人 10人 和服裁縫師 16人 49人 官吏 243人 -人 農作日
雇
,247 21 洋服裁縫師 32 - 教員 26 5 漁業
雇
2 - 縫箔 1 - 神官 7 -,22 小間物商 32 - 桶工 28 - 屠畜 5 - 小間物行商 22 4 麺屋 4 - 日
雇
,1 - 貸布団 11 2 曲物師 1 - 餅屋 9 - 鼈甲職 1 -
雇
人受宿
新札幌市史 第5巻 通史5上
(基地建設とタコ部屋解体)
雇
用主は鉄道工業配下の土工部屋新野組で、部屋頭や幹部五人が逮捕された。,日本の遊廓や、繊維工場・炭鉱などにおける前近代的
雇
用実態の調査に着手していたGHQ労働課は、軍政部保安課,からの情報を受けてただちに、日夜「棍棒で監視しながら、強制労働をさせているという」
雇
用「慣行の是正除去,、炭鉱地域や土木工事場の寄宿舎や周旋業者の名簿作成のほか、請負人や請負金の内容、労働者と工事請負人の
雇
用契約実態,はいったん壊滅したが、その後、経済成長期にはいると組夫制度や暴力団組織と結合した「手配師」などにより、類似の
雇
用形態
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌の人員削減)
あわてた開拓使は、会津降伏人の移住のために石狩で兵部省に
雇
われていた木挽を調達することにした。,そのため移民の中からその関係のものを
雇
うことと、札幌や小樽で
雇
うことを許可する指令が、小樽の岩村判官からきている
新札幌市史 第2巻 通史2
(黒田指針の具体化)
一定不易の大綱とその方法を樹立するため、大臣・納言の実地巡見と、風土の適当する外国から開拓に長ずる者の
雇
用,黒田清隆』より) この建議に対して政府は、まず三年十一月十七日諸外国の開発の実情視察と外国人
雇
用,上実地検分御決定ノ事 一 大臣納言巡見相済候迄ハ是迄ノ通長官へ御委任ノ事 一 開墾ニ長シ候外国人
雇
入,ノ儀次官へ御委任ノ事 一 次官出張外国人
雇
入実地検知ノ上屹度見込相立候ハヽ定額費ノ外増方可被仰出事,農務長官の職にあったホレス・ケプロン、ならびにその推挙によるアンチセル、エルドリッジ、ワーフィールドの
雇
用
新札幌市史 第5巻 通史5下
(労働組合組織率の推移と組織化対策)
道内各地域の過疎化と対照的に、人口、
雇
用者数ともに増加を続けた札幌市の労働組合員数の全道に占める割合は,四十五年の二四パーセントから六十年には三〇パーセントを超え、平成十二年には、総人口(三二・一パーセント)や
雇
用者,組織率の高い官営事業所や、三〇〇人規模以上の民間事業所の正規
雇
用者などに対し、市内の九五パーセントを占,総人口 (人)
雇
用者数 (人) 総人口 (人) 全道に占める割合 (%)
雇
用者数 (人,北海道及び札幌市の推定組織率は各年組合員数を国勢調査による
雇
用者数で除した百分率。
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌製糸場等)
それでも座繰・器械製糸工女、製綿工女を繭生産高に応じて
雇
い入れていた。,月給でもっとも高い職種は、木挽職、指物師、経師職の二〇円、次いで農作(業)年
雇
男で一一円、畳職一〇円の,では、石工の八五銭がもっとも高く、洋服仕立七五銭、建具職七〇銭の順で、逆にもっとも低いのは農作(業)日
雇
女,10円00銭 5円00銭 月女 6.00 5.00 4.00 5.00 4.00 3.00 農作日
雇
, 40 30 45 40 30 杭夫 日 70 60 50 70 60 50 日
雇
人夫
新札幌市史 第5巻 通史5上
(民間組合再編と紛争議)
だが手稲鉱山労組(四二二人)は二十五年、鉱業所閉鎖阻止と引き替えに一五八人の大量解
雇
に調印したのち解散,東宝映画劇場(三二人)では二十五年七月、日映労組東宝支部札幌東宝劇場職場(一一人)の団体交渉要求に対抗して解
雇
通告,でも二十六年九月、共産主義者が企業を崩壊に瀕せしめたとして、札金労中山機械支部に対し組合幹部六人の解
雇
を
新札幌市史 第2巻 通史2
(【主要参考文献・史料】)
北海道史編纂資料』(北大図)、『札幌県勧業年報』、『北海道庁勧業年報』、ユネスコ東アジア文化研究センター編『資料お
雇
い,北海道毎日新聞』、高倉新一郎『アイヌ政策史』、俵浩三『北海道の自然保護』、『札幌事始』(さっぽろ文庫七)、『お
雇
い
新札幌市史 第3巻 通史3
(職員と機構)
また札幌支庁の職員のうち、属、事業手から一七人が札幌区役所事務取扱を嘱託され、
雇
員の一七人は支庁を退職,して区役所
雇
員に採用されることになった。,区書記以下付属員定員規定」が可決され三十三年のはじめから施行されるが、その際の定員は三五人(書記一三人、技手二人、
雇
員二,ところが三カ月足らずで書記二、
雇
員五人の増員を区会に提案して批判を受けるが、最終的には認められた。,表-4 区役所の職員数 職 合計 主事 技師 書記 技手 書記補(
雇
) 嘱託 傭員 技術員 臨時傭員
新札幌市史 第1巻 通史1
(人口の減少)
第一に、「動員されるアイヌ」のところでも触れたように、
雇
の強化などにより生活環境が悪化したことが考えられる,秋味漁時は、まず和人網引場に
雇
われ、その後自分持網場で漁をし、秋末になってやっと各自の故郷に帰りつき、,飯料とりと軽物出産に精を出し、さらに年内中には春鯡漁の
雇
に河口に下らねばならなかった。,この際、人別帳に入れられ、
雇
にとられるのを拒否して、トカチ方面へ逃れた例も紹介されているところをみると,、イシカリ場所の使役、すなわち場所請負人阿部屋のそれが「非義、非道」な
雇
の仕方であるあまり、アイヌ側の
新札幌市史 第4巻 通史4
(退職する少年少女)
二パーセント)、「病気」(二一人、八・九パーセント)、「本人ノ都合」(一八人、七・六パーセント)、「
雇
主,しかし、この数値は「主ニ
雇
主側」の調査結果であるだけに、「
雇
主側」の責任に繫がるようなケースは、「家事
新札幌市史 第4巻 通史4
(失業者あふれる)
解
雇
がもっともさかんであった昭和五年における企業の解
雇
状況を見ると、次のようになっており、女性の解
雇
が
新札幌市史 第1巻 通史1
(運送と通信)
陸路の継ぎ送りの場合も、荷物持ちの人足を
雇
えば、やはり人足料はとられた。,さらに馬を
雇
えば馬賃も徴収されることになる。 ,佐倉藩士の一行が安政四年(一八五七)七月五日に、イシカリから銭箱にむけ馬を
雇
おうとしたが、「未だ荊馬にて
新札幌市史 第4巻 通史4
(人口構成)
・単独・使用人と別の分け方をしており、昭和五年の
雇
主と単独を合したものが大正九年の業主に相当し、大正九年,そして全有業人口に占める業主(
雇
主・単独)と使用人(職員・労務者)それぞれの割合だけをみるならば、大正九年,と昭和五年でさほど変化はみられない(昭和五年の分類の「
雇
主」とは「
雇
人を使用しまたは家族の補助を受けて,自己の業務を営むもの」、「単独」とは
雇
人も家族の補助もなく「一人にて自己の業務を営むもの」、「使用人」,札幌市の地位別有業人口 大正9年 昭和5年 業主 10,204人( 27.5)%
雇
主
新札幌市史 第1巻 通史1
(開拓使の設置と在住制の終末)
また慶応三年の『在住御
雇
・御
雇
医師・同並明細短冊』では八九人の在住が数えられるが、同文書はかなり剝離が
新札幌市史 第5巻 通史5下
(パート一一〇番)
パート一一〇番 パートタイマーは、通年
雇
用では人件費がかさむという企業と、物価上昇に対する家計補助を,四十六年から五十七年に全道の女性パートタイム労働者は四万六〇〇〇人から一五万四〇〇〇人に、女子
雇
用労働者,(資本金一〇〇〇万円以上)に実施したパート労働調査によると、全体の半数(小売業の九割)が女性パートを
雇
用,組織が要求を続けたパートタイム労働法(短時間労働者の
雇
用管理の改善等に関する法律)の成立は平成五年(一九九三
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