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新札幌市史 第1巻 通史1
(飛驒屋伐木図)
飛驒屋
伐木図 この伐木図(武川家文書 写真3)は、飛驒国出身の材木商
飛驒屋
久兵衛が、イシカリ山の伐木,しかし、
飛驒屋
がイシカリ山に実際に関わった年代が確認されるのは、宝暦二年からのようである。,写真-3
飛驒屋
伐木図(部分) 武川家文書 岐阜県下呂町教育委員会蔵 この地図は、イシカリ川流域とその,それより先は、
飛驒屋
の手船に積み込まれ、江戸・大坂へ移出され、積み残しは、イシカリの「木場」に貯木されていた /
飛驒屋
伐木図
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリ山請負)
飛驒国出身の材木商
飛驒屋
久兵衛がそれである。 ,
飛驒屋
久兵衛は、はじめ同じ材木商栖原角兵衛の下請けとして、奥州南部で檜の伐木に従事していた。,また明和四年(一七六七)には、
飛驒屋
の旧雇人南部屋嘉右衛門が運上金のほか、年に米一万俵上納を条件に
飛驒屋
請負中,この場合
飛驒屋
が、「蝦夷檜葉幷椴惣山」(明和四年八月二十五日付覚
飛驒屋
旧記)あるいは「類木共」の留山,しかし安永二年、藩直営の名目で再び
飛驒屋
が請負うことになった。
新札幌市史 第1巻 通史1
(場所請負へ)
場所請負へ 蝦夷檜山請負の権利をまったく失った
飛驒屋
は、当然のことながら、これまでの運上金の先納分、,そうこうしているうちに明和七年(一七七〇)には、
飛驒屋
が伐り出した貯木分の材木を新宮屋に渡してしまうといった,ところで
飛驒屋
は、イシカリ山請負のかたわら、イシカリの夏商の下請を行っていた形跡がある。,しかもこの文書が
飛驒屋
側にあるところから、表向きは二人の請負人であっても、実際の経営権は
飛驒屋
が握っていたとも,表5は、宝暦八年より
飛驒屋
が山請負を返上する明和六年(一七六九)の前年までの、
飛驒屋
のイシカリ場所における
新札幌市史 第1巻 通史1
(南部屋浅間嘉右衛門)
南部屋浅間嘉右衛門 蝦夷檜山伐木事業を一手に支配していた
飛驒屋
久兵衛の元使用人南部屋浅間嘉右衛門(安永八年,、徒士格勘定下役に任じられてから浅間嘉右衛門と名乗ったという)は、安永八年、藩主松前道広に取り入り、
飛驒屋
,しかし、翌九年、
飛驒屋
が嘉右衛門の不法について幕府に公訴状を提出して公訴したため、天明元年(一七八一)
新札幌市史 第1巻 通史1
(「しやつほろ」夏商)
「しやつほろ」夏商 イシカリ山請負を行っていた
飛驒屋
が、明和六年(一七六九)に山請負一切を返上、藩への,それより少し前の明和二年(一七六五)、
飛驒屋
がまだイシカリ山請負を盛んに行っていた同じころ、阿部屋は「,阿部屋は、後に
飛驒屋
が請負ったソウヤ場所の下請けを行うにいたるが、「しやつほろ」場所に関しても
飛驒屋
との,当時
飛驒屋
がイシカリ場所の下請にどの程度関わっていたのかは明確ではないが、前述した明和三年の
飛驒屋
関係
新札幌市史 第1巻 通史1
(阿部屋の台頭と没落)
阿部屋の台頭と没落 「しやつほろ」場所夏商を手に入れた阿部屋は、
飛驒屋
が安永四年(一七七五)、前述したような,しかも、下請を行うに際し、藩と
飛驒屋
との契約では一九〇両(貸金の引当にとっているので、実際上の
飛驒屋
からの,上納はない)のところ、阿部屋は二八五両を
飛驒屋
に上納することにしたので、かなり上乗せしてソウヤ場所の経営権,寛政元年(一七八九)にクナシリ、メナシ地方でおこったアイヌの蜂起事件は、
飛驒屋
の請負っていた場所支配を,イシカリ十三場所内でしめる権益は、そう大きくはないが、藩主直領の場所経営、大網を導入しての大規模経営など、
飛驒屋
没落後
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(出典一覧(明治以前))
(『新北海道史』史料1所収) 33
飛騨屋
武川家文書「惣元立指引目録」(岐阜県下呂町教育委員会蔵,熊野屋忠右衛門前々由来書(函館市中央図書館蔵) 41 旧記抄録(『松前町史』史料編1所収) 42
飛騨屋
旧記,(道図蔵) 43
飛騨屋
武川家文書「安永八亥年訴訟書留帳」(岐阜県下呂町教育委員会蔵) 44, 48 松前旧事記(北大蔵) 49 蝦夷地一件(『新北海道史』史料1所収) 50
飛騨屋
武川家文書,日本庶民生活史料集成』4所収) 60 石狩場所請負人村山家記録(河野常吉文書 道図蔵) 61
飛騨屋
武川家文書
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
北海道郷土研究資料』第五、「元禄御国絵図」『新撰北海道史』第二巻、坂倉源次郎「北海随筆」『北門叢書』第二冊、『
飛驒屋
伐木図
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
滋賀大学経済学部史料館蔵)、「蝦夷商賈聞書」『松前町史』史料編第三巻、『松前西東在郷幷蝦夷地所附』(北大図)、『
飛驒屋
旧記
新札幌市史 第6巻 史料編1
(解題)
言うまでもなく、村山家は最初日本海北部の蝦夷地漁業に従事し、のち
飛騨屋
の場所の仕事をし、その没落後を引,だから初期の活動は
飛騨屋
の名で行っていたと思われる。
新札幌市史 第1巻 通史1
(豊平川の誕生)
もともとツイシカリ川は、当時の正確な地図がないので確かなことはわからないが、前掲の「
飛驒屋
伐木図」でいうならば
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌近傍の林相)
「モイレトウ」ノ間平林(開拓使事業報告 第一編) この地域の林木の伐出しは宝暦五年(一七五五)の
飛騨屋
武川久兵衛
新札幌市史 第1巻 通史1
(皆川周太夫)
このため、実際に踏査したアブタからサッポロ川上流に出る、いわゆるアブタ道(この呼び方は、
飛驒屋
の伐木図
新札幌市史 第1巻 通史1
(新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)
イシカリ「場所」と鮭 秋味の請負 十三場所と夏商 二 宝暦・明和・安永期 (1)
飛驒屋
,快風丸の報告から 元禄御国絵図 二 一八世紀・一九世紀はじめ 『北海随筆』
飛驒屋
伐木図
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