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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第1巻 通史1 (ルートの選定と飯田豊之助)

ルートの選定と飯田豊之助 ルートの選定は、「書付」にも「場所詰の者共え取調申付置」とあり、イシカリ詰,の役人が選定にあたったが、松浦武四郎の『西蝦夷日誌』には、「去年(安政四年)、飯田某(豊之助)と計(はかり,)て開」くとあるように、飯田豊之助が担当した。,飯田豊之助は安政三年(一八五六)十二月十七日からはじまった、村垣範正の奉行廻浦に手付(てつけ)として随行,島義勇(団右衛門)の『入北記』にも、「新道は飯田豊之助一人の働にて出来候趣」と記している。 / ルートの選定と飯田豊之助
新札幌市史 第4巻 通史4 (円山町の誕生)

円山町の誕生 藻岩村では、昭和十三年二月二十六日に飯田誠一村長から村議会に対して、藻岩村を円山町と改称,全村ノ面積四十六平方粁(キロメートル)ナルヲ以テ一平方粁ニ付、実ニ三百四十一人強ノ人口ノ密度ヲ有ス。,がないかを懸念した模様であり、飯田町長は「市の併合には何等支障なき旨」の意見書を提出したので、四月一日,に認可となり十五日より実施となった。,この日には飯田町長を先頭に三五〇〇人の町民が「愛国行進曲」を高唱しながら、札幌神社に参拝して昇格奉告祭
新札幌市史 第4巻 通史4 (学田地の解放問題)

この嘆願書はしばらく無視されたため、円山町となった昭和十四年四月二十七日、小作側は再び飯田誠一町長に請願,学田地ヲ自作農創設維持法ニヨリテ特売、自作農トナシ下サル様請願セルモ、未ダ特売ノ恩典ニ浴スルニ至ラズ、実ニ,                              斎藤銀蔵                   円山町長 飯田誠一殿
新札幌市史 第4巻 通史4 (円山町の札幌市への合併)

これを受けて、十二月十三日に飯田町長から正式に議会に対して合併につき諮問がなされた。,飯田町長は合併によって水道、下水道、電車、橋梁、学校などの施設が整備されて町民の福利増進がなること、町,住民三〇人は十五年五月に陳情書を出し、 合併ノ取決メハ吾等飽ク迄反対スルモノニ非ラザルモ、少ク共其ノ実施期間,皇紀二六〇〇年記念事業として行われた札幌市との合併は、十六年三月二十五日に内務省より認可され、四月一日から実施,なお、合併後は円山に札幌市の出張所が設置され、初代所長には元町長の飯田誠一が任命された。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (『新墾』『凍土』)

子、鍋山隆明、山名康郎、中平一馬、後藤寿雄、中田弘、太田紅二、伊藤静人らで、あとで宮田益子、五十嵐木実が,して円山絹子、石井愛子、矢島京子、落合四郎、本田錦一郎、中城ふみ子、松川愛子、大久保興子、宮田千恵、飯田安子
新札幌市史 第4巻 通史4 (『時雨』の創刊)

写真-5 『時雨』『暁雲』  大正十年には一月に小納迷人が『北』を発刊し、雑詠選者に飯田蛇笏を迎,して「軒雪会」を起こし、九月に青木郭公の「落葉松吟社」、十一月に西原晒々の「月次会」、野口卜居の「紅実吟社
新札幌市史 第4巻 通史4 (文化団体の叢生)

会員間の研究ばかりでなく、今迄以上に幌都楽壇の一方に先駆となって音楽の向上、殊に大衆への普及、音楽会の実行運動,代表的室内三重奏団」と『北海道年鑑』(昭3)に紹介される北光トリオは、大正十二年の大震災後に、田上義也・小川隆子・飯田実,(飯田が東京に帰った後、石井春省に代わる)をメンバーとして出発している。,「飯田氏のセロ独奏チヤイコフスキー作〈アンダンテカンダビレ〉と最後の三重奏べートーベン作〈アレグロ、コンブリオ
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌音楽協会)

中心メンバーは、関東大震災を契機に札幌にきて昭和二年まで滞在するチェロ奏者の飯田実、札幌混声合唱団でバス,創刊号の窪田實「『札幌ストリング.クアルテット』報」では、「アーマチュアの団体は一にメンバーが融合し得
新札幌市史 第4巻 通史4 (関東大震災後の札幌の文化)

田上義也は昭和四年に回想している、 六年前の(北光)トリオ創設当時の本気さだ、震災に追はれたセロの飯田,(実)と僕は小川隆子夫人のピアノにかじりついてよく弾いた、冬から春───夏から秋にかけて三人は吹雪の夜,異常なる力が我々を動かしてゐたのだ───札幌の静かにして気短な自然の荘厳さにはべートウベンの感動の写実が
新札幌市史 第1巻 通史1 (詰合役人の刷新)

元三郎にかわり、六月十五日に飯田豊之助がイシカリ詰の下役出役となる。,村垣範正の信頼の厚かった人物で、荒井金助を補佐して、イシカリ改革をすみやかに実行することが期待されていたのであろう
新札幌市史 第3巻 通史3 (社会問題研究会)

前田英吉は安政六年(一八五九)に丹波氷上郡下竹田の湯長谷藩代官依田家に生まれたが、父の死去により父の実家,橘仁(果樹園経営)、飯田雄太郎(画家、札幌農学校講師)、忍鶴太郎(木材業者)、中村信以(書店経営)、桟敷新松
新札幌市史 第4巻 通史4 (民衆文化論の登場)

たとえば、大正十五年六月に菅野省三・石井春省・飯田実・東末吉・田上義也らが「民衆的な大音楽団」を創立しようともくろんだ,大正十三年三月に正力松太郎が社長に就任して以来、家庭面・宗教欄・ラジオ版などを創設し、文芸欄やスポーツ記事を充実し
新札幌市史 第4巻 通史4 (例言)

札幌は市制を施行し、区は市にかわり、名実ともに本州並の自治体となった。,一 この時代に、行政史料や新聞資料、さらに諸団体が発行する図書・パンフレット等々、実に多くの史・資料が,そのためこれら膨大な史・資料の把握と史実の検討に多くの時間がとられ、紙数の関係もあって詳細な事実関係を,千秋庵製菓株式会社、札幌拓殖倉庫株式会社、大丸藤井株式会社、株式会社二二商会、株式会社工成舎、マリヤ手芸店株式会社、飯田美津子
新札幌市史 第3巻 通史3 (日露戦争と協同伝道)

また美以教会の石沢達夫(みちお)が教会の青年会で非戦論の議論をたたかわせ、同教会の飯田雄太郎(札幌農学校画学講師,札幌では第一次世界大戦の勃発や準備不足も感じられて、翌四年六月二十六日~二十九日に実施された。,いぶかかじのすけ)(明治学院総理)・植村正久(東京・富士見町教会牧師)・江原素六(貴族院議員)・森村市右衛門(実業家,このほか狸小路などでは路傍伝道も実施された。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (三十年代の一般地域劇団)

昭和五十年代以降、稽古場整備、法人化、付属演劇研究所開設、劇団後援会結成など組織の充実を図り、演出家飯田信之
新札幌市史 第4巻 通史4 (昭和五~七年頃の札幌の大衆文化)

そうしたなかで、土橋武夫が開発したトーキーが実用化され、松竹蒲田作品、監督五所平之助、主演田中絹代・渡辺篤,実際、第七章表10「昭和七年新春の映画界その他の興行」でふれたように、正月興行(四日まで)の目玉はトーキー,タイムス』からひろうと、「在満同胞慰安の夕」では、大津絵節のほか、札幌放送局から追分節(唄坂東信子・尺八飯田徳十郎
新札幌市史 第1巻 通史1 (新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)

後半期の文化 細石刃技法   第二節 札幌の旧石器文化…162        遺跡と資料 石器の実年代,と人口の減少        動員されるアイヌ 雇の実態と代償 人口の減少   第二節 蝦夷地開拓論,    二 蝦夷地の調査        『野作東部日誌』 市川十郎の『蝦夷実地検考録』 目賀田帯刀,二 サッポロ越新道の計画        新道の必要性 ハッサム道 新道切開之儀申上 ルートの選定と飯田豊之助,の移住        慶応二年の移住 慶応三年の移住 慶応四年の移住   第四節 御手作場経営の実態
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