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新札幌市史 第3巻 通史3
(馬車(馬橇)と人力車)
馬車
(馬橇)と人力車 明治三十九年には、
馬車
は乗用
馬車
三台、荷
馬車
一七三台、馬橇は乗用は不明だが、馬輓荷橇一五三台,大正十一年には、
馬車
は乗用
馬車
一九台、荷
馬車
七四一台、馬橇は乗用は五〇台、馬輓荷橇四九五台、人力荷橇五二五,
馬車
の馭者や人力車夫は、不正運賃請求で新聞記事となっている(例えば道毎日 明33・2・23)。,また
馬車
や馬橇は、交通事故を起こしそうな乱暴な操作が問題となっている(例えば北タイ 大3・12・14),新聞紙上では四十四年頃から話題となるゴム車輪(北タイ 明44・4・6)は、四十五年からは区内の人力車や乗合
馬車
/
馬車
(馬橇)と人力車
新札幌市史 第3巻 通史3
(軽川石狩間の馬車輸送)
軽川石狩間の
馬車
輸送 手稲と石狩の交通路は、明治二十一年に軽川花畔間の排水渠の開削とともに作られていた,この連絡道路は手稲と石狩間の交通上重要で、新聞の記事から四十年代には
馬車
輸送の様子をうかがうことができる,四十四年七月十二日軽川石狩間の
馬車
運賃値下げ広告では、軽川石狩間の五〇銭を三〇銭へ、石狩茨戸間を二〇銭,この広告は石狩
馬車
組合の名称で出されている(明44・7・12)。,この区間は大正十一年に
馬車
鉄道が敷設されている。 / 軽川石狩間の
馬車
輸送
新札幌市史 第3巻 通史3
(馬車・人力車・自転車)
馬車
・人力車・自転車
馬車
鉄道以外に主に市内の輸送にかかわる輸送機関は、
馬車
(冬は主に馬橇)、人力車,写真-4
馬車
・自転車・人力車(停車場通) /
馬車
・人力車・自転車
新札幌市史 第3巻 通史3
(市街馬車鉄道の敷設計画)
市街
馬車
鉄道の敷設計画 明治三十五年五月、札幌石材合資会社社長藪惣七は、石材を運搬しようという目的で,、平岸村字穴の沢より山鼻村を経て札幌区南一条西一一丁目を横断する
馬車
鉄道の敷設を道庁へ出願した。,同月十五日臨時区会で一度議論され、同月二十八日区会で追加議案として、
馬車
鉄道敷設願が議案として提出された,常設委員会でも、賛成意見に対し
馬車
鉄道が区の美観を損なうなど反対意見がでて、さらに審議することにした( / 市街
馬車
鉄道の敷設計画
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌茨戸間の馬車鉄道)
札幌茨戸間の
馬車
鉄道 明治四十一年二月三日、石狩町大字生振村村会議員鳥羽熊三郎ほか一四人が、北五条西一丁目,を起点(大正期の地図では北七条東一丁目まで軌道があったように描かれている)とし、篠路村大字茨戸に至る
馬車
鉄道敷設,それに先立ち十一月二十七日札北
馬車
軌道株式会社創立事務所は、北三条西一三丁目四番地で創立事務を行うことを / 札幌茨戸間の
馬車
鉄道
新札幌市史 第3巻 通史3
(馬鉄から電車へ)
札幌で
馬車
鉄道の端緒となったのは石山での軟石採掘で、明治三十七年に助川貞次郎、藪惣七、福井正之、高瀬金太郎,の四人が各一万円ずつ出資して札幌石材
馬車
鉄道合資会社を設立した。,やがて、平岸村字穴の沢(現南区石山)から藻岩村山鼻(現中央区南二西一一付近)にいたる間七・二マイルの
馬車
鉄道敷設,人を乗せる客
馬車
は一二人乗りで、料金は一区三銭、一日三往復となっていた。,大正元年八月、増資とともに札幌市街
馬車
軌道株式会社と名を改め、区内枢要な地域に次々と馬鉄路線を敷設し、
新札幌市史 第3巻 通史3
(車道・人道と左側通行)
車道・人道と左側通行 三十五年山口札幌警察署長は、荷
馬車
営業者の横着のため荷
馬車
取締りについて方針を
新札幌市史 第4巻 通史4
(屎尿処理)
一方、札幌警察署では会社汲取をいったん許可したものの撤回したので、これに対し業者は「死活問題」と汲取
馬車
四,市では臨時
馬車
二五台、常置
馬車
七二台の計九七台を全市に動員、全市を九浄化区域に分け、一定台数の汲取
馬車
新札幌市史 第3巻 通史3
(石材の運搬軌道)
石材の運搬軌道 穴ノ沢の軟石と八垂別の硬石は初め馬に駄載して運ばれ、やがて
馬車
で運んだという。,需要が増大し運搬量が増加したため、明治三十七年石切山から石材を搬出するための札幌石材
馬車
鉄道合資会社が
新札幌市史 第3巻 通史3
(石山山鼻間の軌道敷設)
敷設をはじめた(小樽新聞 明41・10・13)が、やっと四十年七月十八日、札幌区外の穴の沢と山鼻の間は
馬車
鉄道敷設,四十二年六月石山札幌間の鉄道
馬車
の試運転を始めた(北タイ 明42・6・14)。
新札幌市史 第3巻 通史3
(公営汚物処理)
が跡をたたず、警察署で厳重注意をする程度であったが、三十四年十月より各衛生組合の請負で、塵芥・汚泥を
馬車
,三十五年十月より三十六年九月までに搬送された塵芥は
馬車
台数にして二万七〇〇七台、汚泥は六二五台にものぼった,これまで自費で塵芥処理にあたってきた区民は、ひたすら区役所の収集用
馬車
が回って来るのを待ったが、初期にはたった,表-26 札幌区汚物処理量(明41~大11) 年 塵 芥 汚 泥
馬車
台数 重 量
馬車
台数 重 量
新札幌市史 第5巻 通史5上
(屎尿処理)
一方、
馬車
に頼っていた屎尿回収には、二十二年からトラックが導入され、二十六年には
馬車
五八台・自動車が一二台,桶を馬橇(ばそり)に積み回収する冬季の汲取
馬車
も、三十七年には完全に姿を消した。
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌軌道会社)
札幌軌道会社 札幌茨戸間を走る札幌軌道株式会社は、
馬車
鉄道で営業を行っていたが、大正十一年ガソリン機関車,その他
馬車
・馬橇などによる運送なども行い、貨客の輸送会社として経営に努力している。
新札幌市史 第3巻 通史3
(左側通行)
それに札幌駅と中島公園間等に電車が開通し、さらに人力車、
馬車
が往来し、札幌警察署でも交通取締上なんらかの,まず大正十年一月一日を期して、人力車・橇・
馬車
屋に対して左側通行の励行を通達するとともに、夜間通行に際
新札幌市史 第4巻 通史4
(木製品)
昭和八年の調査報告書によると「本市ニ於ケル木材工業中其ノ主ナルモノヲ挙グレバ農具、洋家具、建具指物、製材、
馬車
馬橇荷車,五〇坪以上のものを列挙すると、製材二三三五坪、スキー九五坪、
馬車
馬橇荷車八五坪の三業種だけである。,製品の市外移出率(昭和五~七年平均)は、農具九一パーセント、スキー七四パーセント、
馬車
馬橇荷車六六パーセント
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌石材馬鉄会社の設立と軌道計画)
札幌石材馬鉄会社の設立と軌道計画 札幌石材
馬車
鉄道合資会社は、はじめ三十四年二月に大通西四丁目に資本金四万円,そのため
馬車
鉄道を敷設することにした。
新札幌市史 第3巻 通史3
(豊平月寒馬鉄計画)
豊平月寒馬鉄計画 明治四十四年一月、札幌区安達力三郎他六人より、豊平橋を起点とし、月寒坂下に至る
馬車
鉄道敷設
新札幌市史 第3巻 通史3
(北海道石材の馬鉄)
札幌郡平岸村字石山から豊平村を経て札幌区北五条西四丁目までを本線とし、月寒第二五聯隊兵営までを支線とする、
馬車
鉄道敷設計画,同日議員協議会では、「
馬車
鉄道は主として区内枢要の道路線に貨物を運搬する目的にして市街の体裁を損する」
新札幌市史 第3巻 通史3
(踏切等の設備)
また四十三年に西五丁目線に岡橋を設けることにし、
馬車
を除くほか一般の通行ができるようにした(北タイ 明
新札幌市史 第3巻 通史3
(札北馬鉄の営業)
この札北
馬車
鉄道株式会社は明治四十五年一月二十九日の総会で、札幌軌道株式会社に社名を変更した(北タイ
新札幌市史 第3巻 通史3
(市街化の大字豊平村)
湯屋三、旅人宿二、木賃宿一、下宿屋一、鍛冶工場八、馬具職三、菓子製造業二、大工職六、石工三、人力車乗合
馬車
業二,、
馬車
追業一一、日雇業一四、雑業二一(道毎日 明33・6・1)。
新札幌市史 第2巻 通史2
(市中商業地の景況)
三丁目は千歳街道より銭函街道へ、そして札幌元村、篠路方面へ抜ける街道筋に当たって、南一条通にも増して
馬車
,一方黒田長官は、十一年ロシアより
馬車
、馬橇及び馬四頭を求め、三人のロシア人を雇って工業局で諸職人にその,「その時直伝をうけて、今日も
馬車
橇の製造を専業にしている人は南一条東二丁目、〓越竹次郎」(さっぽろ昔話,)とあるように、この頃この地区に
馬車
や馬橇など輸送器具の製作が根づいてきていた。
新札幌市史 第8巻1 統計編
(総説)
交通機関は,札幌とその他の地域を結ぶ鉄道,市内の連絡機関となる人力車・
馬車
や馬鉄・電車・バス,そして個人的交通機関,札幌石材
馬車
鉄道合資会社は,1910年(明43)から当時の札幌区内に
馬車
鉄道を開通させ,11年札幌市街鉄道株式会社,札北
馬車
軌道株式会社は,1910年1月北5東1~茨戸間を開業し,12年札幌軌道株式会社と社名変更し,34,それには,人力車・荷車や
馬車
・牛車,それの冬季用である人力橇や馬橇,そして現在にまでつながる自転車・自動車
新札幌市史 第4巻 通史4
(諸施設の整備)
たとえば「塵芥の都」札幌と酷評されたり、汲取
馬車
のデモ行進などが起こった(第七章三節参照)。
新札幌市史 第3巻 通史3
(茨戸市街と本村市街)
札幌区と茨戸太を結ぶ馬鉄は、四十三年六月二十三日に札北
馬車
鉄道株式会社が設立され、十月に石狩街道に線路敷設工事
新札幌市史 第2巻 通史2
(交通網の整備)
だがなかなか市民の要望通りには改修されず、沼地のようになっている道路に
馬車
が沈み込んでいるなどの新聞記事
新札幌市史 第3巻 通史3
(労働者と社会主義)
物価騰貴が始まり、労働者の生活が苦しくなり、ごみ集めの
馬車
追いをはじめとして、いろいろな労働者が争議を
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌自動車合資会社)
札幌自動車合資会社 大正十三年十一月、札幌乗合
馬車
自働車合資会社が設立された。
新札幌市史 第4巻 通史4
(大正期の公園の整備)
そしてそれらの両側に
馬車
や自動車が自由通行でき、かつ人が散歩をできるようにする。
新札幌市史 第4巻 通史4
(塵芥処理)
大正十一年当時の札幌市の場合、二万四一三戸の台所から出る塵芥は、東橋下流はじめ五カ所の塵芥捨場に三三台の
馬車
新札幌市史 第3巻 通史3
(新札幌市史 第三巻 通史三/総目次)
新築 踏切等の設備 白石停車場の新設 定山渓鉄道の敷設 二
馬車
鉄道, 札幌市街の軌道敷設 (二)札幌茨戸間馬鉄 札幌茨戸間の
馬車
鉄道, (三)豊平方面の馬鉄 北海道石材の馬鉄 豊平月寒馬鉄計画 三
馬車
,・人力車・自転車
馬車
・人力車・自転車
馬車
(馬橇)と人力車 軽川石狩間,の
馬車
輸送 自転車の普及 四 輸送路の整備と飛行機の登場 札幌茨戸間の運河
新札幌市史 第5巻 通史5上
(北海道放送(HBC)の設立と開局)
北海道新聞ニュース 05 奥様手帳 25 あかるい家庭 30 母と子のおやつ 「バンビの誕生」「夢のお
馬車
,」ほか 12:00 北海道新聞ニュース 15 昼のひととき 「急げ幌
馬車
」「山小屋の灯」ほか 13
新札幌市史 第3巻 通史3
(藻岩村の成立)
は五一一戸で約半数を数えていたが、会社員・官公吏・教員一〇七戸、商業一〇一戸、製造業一一二戸、雑業・
馬車
追業一六一戸
新札幌市史 第2巻 通史2
(同業組合の勃興)
家根屋職組合、人力車営業人組合、菓子商組合、青物乾物商組合、車夫馬丁家僕懇親会、湯屋組合、薬種商組合、
馬車
貨物運搬組合
新札幌市史 第2巻 通史2
(山鼻村の成立と伏見の開拓)
石切山道はいまの国道二三〇号(通称石山通)で八垂別の硬石、石山の軟石を運搬するために開削された道路で、
馬車
道
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌本道の建設)
そのため開拓使は、函館札幌間に
馬車
道を建設することにした。
新札幌市史 第4巻 通史4
(軽石軌道)
軽石軌道 大正十年軽川と石狩との間に
馬車
鉄道を敷設して、一般の貨物や旅客を運搬することを目的として、
新札幌市史 第5巻 通史5上
(馬頭観世音信仰)
馬頭観世音信仰 馬頭観世音信仰が普及したのは、祭礼執行の母体となる農事組合や荷
馬車
組合の成立とも関連
新札幌市史 第4巻 通史4
(電車の買収方針)
また札幌市は、区制施行後から市街地に
馬車
鉄道や電気軌道を公営で敷設する方針を持っていた(市史第三巻一章及
新札幌市史 第3巻 通史3
(明治四十年の公園計画方針)
池を新設し大梅林を設け大小の曲線歩道を開き紅白の梅樹を疎植し林下に花卉秋草等を散植し四時の観覧に供し
馬車
道,常緑木を密植し遊泳池を見透さゞるに務め 以上三区を通して公園の外部を一廻すへき長延約二十余町幅員七間の
馬車
道
新札幌市史 第3巻 通史3
(労働者懇親会と北海道労働組合)
「役員は赤白の帽子に赤襟、白袴に草鞋を穿ち数旒の旗を押立て先導には楽隊、後ろには数箇の酒保を満載せる
馬車
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌電気軌道会社の事業)
札幌電気軌道会社の事業 大正七年の北海道博覧会を期して、電気軌道会社では市内の
馬車
鉄道を電車に切り替
新札幌市史 第2巻 通史2
(財政支出)
土木費はもっぱら道路の修繕であったが、これは
馬車
の普及にともない堅固な
馬車
道が必要とされてきたためである
新札幌市史 第3巻 通史3
(穴ノ沢の軟石と石造倉庫)
山鼻村(屯田兵村)からマコマナイを経て石山まで、直線の
馬車
道を九年十月下旬着手し同年十二月上旬落成させるのである
新札幌市史 第2巻 通史2
(アンチセルの札幌本府論)
ないことを指摘し、続いて、札幌近傍に一つとして良港がなく、その上冬季は氷海となって船舶の航行はできず、また
馬車
新札幌市史 第5巻 通史5上
(道路整備の重点化)
こうした道路の舗装事業に対して、自動車や荷
馬車
など道路を損傷する恐れのある交通機関に対しては、「道路損傷負担金制度,この制度は、前年度の道路維持修理費の三分の一以内を自動車や荷
馬車
の所有者に賦課するもので、初年度は三〇〇
新札幌市史 第3巻 通史3
(区制諸問題調査建議)
同第九項については、計画中絶中の
馬車
鉄道の将来の出願への対応のために調査することである。,ノ踏切ニ空架橋ヲ設置セシムル件 是ハ当会ニ於テ炭礦会社ノ設計ヲ是認スルヤ否決定スル事 九 将来市街
馬車
鉄道特許
新札幌市史 第3巻 通史3
(軽川市街)
、小売商大小十余戸、旅舎三戸、其西部ニ学校アリ、東部ニ戸長役場アリ、巡査駐在所・郵便受取所・劇場一、
馬車
屋四
新札幌市史 第2巻 通史2
(区内職業別表)
杜氏 4 - 書籍商 4 - 餝職 2 - 土方 233 - 油商 5 - 版摺職 6 - 牛
馬車
追
新札幌市史 第3巻 通史3
(製麻会社の共済会と「掖済事業」)
四十四年の場合、ビール、酒、食物などを満載した五台の
馬車
を先頭に、楽隊の演奏の中を何本もの旗を翻しながら
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