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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第3巻 通史3 (札北馬鉄と沿線住民)

札北馬鉄と沿線住民 ところが春の営業再開直後、沿線住民である鉄道以北有志が、軌道を敷設した道路の整備上,の問題など札北馬鉄の経営の仕方について七項目を決議した。,一 、石狩街道札幌茨戸間馬鉄の両側鉄軌面と道路面と平坦に幅三間以上相当の砂利を敷き完全に修復する事 二,、軌道内外馬鉄敷地内は監督官庁の命令書中第三条第三項に基き充分の監督を官庁へ請願する事 三 、雪中軌道内,の営業時間外は一定の場所を定め客車貨車を牽き入れしめ通行の妨害を為さしめざる事 六 、馬鉄の馬丁及工夫 / 札北馬鉄と沿線住民
新札幌市史 第3巻 通史3 (馬鉄から電車へ)

馬鉄から電車へ 明治期の札幌にとって、人の足として、また荷物の運搬に重要な役割を果たしていたのが馬であった,に改組され、定山渓方面の開発が進むにつれ、乗客をはじめ木材・雑穀などの輸送も増加、本業を石材採掘から馬鉄,大正元年八月、増資とともに札幌市街馬車軌道株式会社と名を改め、区内枢要な地域に次々と馬鉄路線を敷設し、,馬鉄が区内を走るようになり便利になったものの、糞尿の処理に苦慮する一面もあった。 / 馬鉄から電車へ
新札幌市史 第3巻 通史3 (札北馬鉄の営業)

札北馬鉄の営業 営業を開始した札北馬鉄の様子は、沿道付近村落からの雑穀野菜等の運搬、石狩川汽船との連絡 / 札北馬鉄の営業
新札幌市史 第3巻 通史3 (北海道石材の馬鉄)

北海道石材の馬鉄 明治三十九年七月、宮城昌章前豊平村長他数名が、札幌郡平岸村字石山から豊平村を経て札幌区北五条西四丁目,札幌区内に敷設する分については、札幌石材馬鉄同様に四十一年四月の常設委員会で、軌道敷設につき公益上の支障有無,その後、区内への馬鉄敷設許可を得て十二月に融雪直後から軌道敷設工事を開始しようと、札幌区へ起工申請を行 / 北海道石材の馬鉄
新札幌市史 第3巻 通史3 (豊平月寒馬鉄計画)

豊平月寒馬鉄計画 明治四十四年一月、札幌区安達力三郎他六人より、豊平橋を起点とし、月寒坂下に至る馬車鉄道敷設 / 豊平月寒馬鉄計画
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌石材馬鉄会社の設立と軌道計画)

札幌石材馬鉄会社の設立と軌道計画 札幌石材馬車鉄道合資会社は、はじめ三十四年二月に大通西四丁目に資本金四万円 / 札幌石材馬鉄会社の設立と軌道計画
新札幌市史 第3巻 通史3 (区会での軌道不許可)

区会での軌道不許可 区内の軌道については、四十年七月には馬鉄軌道敷設出願について、区公益上支障の有無諮問,この調査で北海道石材は不許可となったが、四十二年二月二十六日札幌石材馬鉄に対しても、体面上と区の風致保存
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌市街の軌道敷設)

札幌市街の軌道敷設 四十三年一月二十五日、札幌石材馬鉄は市街馬鉄線敷設を総理・内務両大臣に請願した。
新札幌市史 第3巻 通史3 (街路への散水)

その後大正二年には衛生組合から区長に対し、馬鉄会社に区内の馬鉄線路内へ散水させることを交渉するよう要請
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌茨戸間の馬車鉄道)

については確認できなかったが、融雪期となった翌年三月十日「積雪の為め暫く車両運転を休止し居たる札幌茨戸間の馬鉄,写真-3 札北馬鉄株式会社札幌停車場(北6東1辺)
新札幌市史 第3巻 通史3 (口絵)

中段の北方への道路と、下段の南方への道路はともに西3丁目通であり、この通りに馬鉄軌道が走り、その脇に時計台
新札幌市史 第3巻 通史3 (新札幌市史 第三巻 通史三/総目次)

白石停車場の新設        定山渓鉄道の敷設     二 馬車鉄道の敷設      (一)市街馬鉄,       市街馬車鉄道の敷設計画 石山山鼻間の軌道敷設        札幌石材馬鉄会社の設立,と軌道計画 区会での軌道不許可        札幌市街の軌道敷設      (二)札幌茨戸間馬鉄,       札幌茨戸間の馬車鉄道 札北馬鉄と沿線住民        札北馬鉄の営業      (,三)豊平方面の馬鉄        北海道石材の馬鉄 豊平月寒馬鉄計画     三 馬車・人力車・自転車
新札幌市史 第8巻1 統計編 (【交通】)

定山渓鉄道の各駅別乗降客貨荷物数 第258表 北海道鉄道の駅別乗降客貨荷物数 第259表 札幌石材馬鉄
新札幌市史 第3巻 通史3 (茨戸市街と本村市街)

札幌区と茨戸太を結ぶ馬鉄は、四十三年六月二十三日に札北馬車鉄道株式会社が設立され、十月に石狩街道に線路敷設工事
新札幌市史 第3巻 通史3 (市街馬車鉄道の敷設計画)

写真-2 停車場通を走る市街馬鉄
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌電気軌道会社の事業)

このような市街地の路線延長に対し、この会社の古くからの路線であった札幌市街から石切山穴の沢までの馬鉄路線
新札幌市史 第3巻 通史3 (定山渓鉄道)

当時札幌から温泉に行くには一日がかりで、馬鉄で石山まで、それから先は山道を歩くほかなかった。
新札幌市史 第3巻 通史3 (西四丁目通(停車場通)の景観)

大正期に入って、五年西四丁目通に馬鉄軌道が開通し、七年から電車に改まり賑わいを呈するようになる。
新札幌市史 第4巻 通史4 (職人から労働者へ)

馬鉄は電車に変わり、タクシー・トラック運転手が出現した。
新札幌市史 第2巻 通史2 (軟石・硬石の採掘)

採石の運搬のために石山道に馬鉄を敷設する計画も二十四年にあった(同前 二十四年三月五日、五月五日付、その
新札幌市史 第8巻1 統計編 (総説)

交通機関は,札幌とその他の地域を結ぶ鉄道,市内の連絡機関となる人力車・馬車や馬鉄・電車・バス,そして個人的交通機関,市内軌道とバス  第259~263表は,現在の札幌市内に営業した馬鉄や電車の軌道と,バスなど市内交通機関
新札幌市史 第3巻 通史3 (さまざまな問題)

は、まず札幌駅と第一会場の中島公園へ来観者を輸送する手段として、札幌電気軌道株式会社がこれまでの市街馬鉄
新札幌市史 第3巻 通史3 (近代都市)

札幌市街の電灯はその数を増して農業地域にも拡大し、馬鉄は電車に変わり、定山渓鉄道や北海道鉄道(現JR千歳線
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌区の除雪行政)

によると、除雪作業は明治四十三年は停車場人(力)車組合に、四十四年は五十嵐某に、大正元年度は札幌市街馬鉄敷設許可条件
新札幌市史 第4巻 通史4 (市内商工業者の階層と地理的分布)

東一丁目は石狩街道だが、明治四十四年から昭和九年の札沼線開通に伴う廃止まで馬鉄が通り、一日に貨車四回、
新札幌市史 第3巻 通史3 (図版・写真・表組一覧)

    写真-1 白石停車場構内(大10年頃 白石村誌) (377頁) 写真-2 停車場通を走る市街馬鉄,(文資) (379頁) 写真-3 札北馬鉄株式会社札幌停車場(北6東1辺 交通史写真帖 札幌市交通局)
新札幌市史 第8巻1 統計編 (新札幌市史 第8巻Ⅰ 統計編/総目次)

474 第258表 北海道鉄道の駅別乗降客貨荷物数(1926~35年)…476 第259表 札幌石材馬鉄
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