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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第1巻 通史1 (鮭漁の発展と変わる漁法)

鮭漁の発展と変わる漁法 文政四年(一八二一)、蝦夷地全島が松前藩に返還されたが、前回と異なって家臣の / 鮭漁の発展と変わる漁法
新札幌市史 第1巻 通史1 (場所請負漁業の終末)

終末 イシカリ改革は漁業のあり方を直接変革しようとするものでなかったとはいえ、イシカリの生産基盤が鮭漁,② 秋、イシカリで鮭漁をする。 ③ イシカリアイヌが生産した干鮭の集荷をする。  ,その鮭漁はどのようになされていたのだろう。,安政期のイシカリ鮭漁獲高のうち、七七パーセントほどがいわゆる和人の取りしきった引場からで(アイヌを雇う,これらから推計すると、イシカリ全鮭漁高に占める阿部屋直営の割合は四六・五パーセントにすぎない。
新札幌市史 第1巻 通史1 (山田家の出稼形態)

ここで働き八月一日ユウフツに帰ったことになっているが、それは書類上のことで、多くは八月以降イシカリで鮭漁,イシカリで鮭漁をおえ、ユウフツにもどるのは十月下旬、その内何人かが翌年の準備に残留し、越年した者もいたらしい,すなわち、図5のように、山田が請負ったユウフツでは、場所内のアイヌを他場所に出稼させて鯡、鮭漁をいとなみ,イシカリの出稼鮭漁はこのサイクルの一環をなしていたわけである。
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリ見聞)

この年は閏月があったから八月上旬は太陽暦の九月中旬にあたり、秋の気配が日ましに深まり鮭漁が始まる時期をむかえていた,次に、成石はイシカリ川およびその支流での鮭漁が始まる時期の様子を書き伝えてくれた。,アイヌがイザリブトで川に杭を打ち鮭漁の準備をする様子も興味深い。
新札幌市史 第1巻 通史1 (共同体意識の成長)

共同体意識の成長 住人の集会の場として、毎年八月のはじめ、鮭漁を目前にして大寄合がもたれた。,内容は鮭漁のルールをはじめ役鮭のきまり等漁業のすすめ方が中心で、それに町内の生活規則などがつけ加えられ
新札幌市史 第1巻 通史1 (山田家の出稼)

天保後期からのイシカリ鮭漁高の上昇は、東蝦夷地の先進漁法を身につけた山田の出稼に負うところが大きいといえよう,その上流、サッポロブト(現茨戸付近)の上よりエベツブトまでは山田が新規に開いた引場が多く、「鮭漁場数多
新札幌市史 第6巻 史料編1 (〔村山家資料〕)

当卯年鯡場出稼番人夷人名前書幷鯡網員数書  文化十一戌年 文政元寅年 御用通諸品直段定帳   場処境小名里数 秋味鮭漁業高見込, 〔御通行御用状譴之御人足 日々雇土人介抱書上 覚〕  〔春鯡出稼ヶ所幷人数書上 覚〕  〔秋味鮭漁場
新札幌市史 第1巻 通史1 (シノロ番所)

シノロ番所は、鮭漁の臨時の番所か、または荒井金助、中島彦左衛門などの主導による開墾、大友亀太郎による御手作場
新札幌市史 第1巻 通史1 (北島志の完成)

、地勢四通八達、若拓二其地一而用レ之、真可下以建二国府一控中夷地上也  さらに北島志巻三物産の項で鮭漁,レ之、凡是二魚、島中以為二常食一(明治三年彰考館刊本による)  この時期、水戸藩の識者はイシカリの鮭漁,まず、イシカリ鮭漁への着眼は光圀の快風丸派遣に象徴されるように、早くからの伝統ともいえる経緯を持つから
新札幌市史 第1巻 通史1 (在住の兼務)

これらの外、業務としては臨時的ではあるが、重要なのは、鮭漁に関するものである。,すなわちイシカリ改革の行われた安政五年の八月頃、鮭漁に関する場所担当役人が定められたが、このうちホリカモイ
新札幌市史 第1巻 通史1 (蝦夷地紀行)

また、イシカリ川の通船、鮭漁にふれ、綿入着用という記述もおもしろい。
新札幌市史 第1巻 通史1 (蝦夷闔嶋の大川)

鮭漁にも注目しているが、出産物を蝦夷地と本州との交易品としてとらえているのが彼の着眼の特色である。
新札幌市史 第2巻 通史2 (種川の設定と鮭・鱒の保護)

一方、開拓使では鮭の保護と増殖にのりだし、豊平・発寒・琴似・篠路川における鮭漁の引網を禁止していた。
新札幌市史 第1巻 通史1 (漁法の工夫)

和人の鮭漁法は大半が網によったが、支流では零細出稼人の擉(やす)による鍵引漁も認められた。,これをウライと呼ぶのに躊躇するが、明治初年までこうした施設による鮭漁がなされたのである。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリ・サッポロの検分)

大津浜グループがイシカリの鮭漁業に着手した年、その実態をたしかめ藩としての対応を考えるための実地検分である,鮭漁期の十月七―十二日をイシカリ滞在とし、大津浜グループの漁業の実態をつかもうとしたのである。
新札幌市史 第1巻 通史1 (田草川伝次郎)

折々鮭漁小屋あり。是はイシカリ川口よりサツポロ迄之間川丈け百里余之蝦夷集り鮭漁の所のよし。,皆鮭漁せる様子にて鮭多く竿に掛て置。
新札幌市史 第1巻 通史1 (勝右衛門のその後)

勝右衛門はイシカリの鮭漁経営の失敗から、鯡や昆布を含めた多角経営の必要を感じ、再び水戸藩を通して場所請負人
新札幌市史 第6巻 史料編1 (編集にあたって)

については、安政五年まで石狩場所の請負人であった村山家の史料のうち札幌に関連の深いもの、安政五年から石狩の鮭漁場
新札幌市史 第1巻 通史1 (漁獲高)

阿部屋から独立した前支配人の円吉はイシカリで鮭漁とともにこれの漁獲を願い出て許されるが、採算がとれないとなげいた
新札幌市史 第1巻 通史1 (産業)

中でも漁業(鮭漁)については、官もそれを認めており、村山家資料中の「石狩場所改革方取計之儀申上候書附」
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリの機能)

(竹四郎廻浦日記) さらにこの石狩場所は蝦夷地において有数の鮭漁の地であったが、その運上金は金二二五
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリの開発)

されているように、イシカリは古くから西蝦夷地と東蝦夷地とを結ぶ重要な交通の起点であり、また石狩川河口域は鮭漁
新札幌市史 第2巻 通史2 (授産事業)

七年八月には、発寒・琴似・篠路の三河川の鮭漁引網・ウライ網が禁止となり、豊平川といえども夜中引網一切禁止
新札幌市史 第1巻 通史1 (稲荷丸と山田家出稼荷物)

山田家は後述(第三節)のようにイシカリで手広く鮭漁をいとなみ、ここの場所請負人阿部屋に二八役又は三七役
新札幌市史 第1巻 通史1 (新漁場の割渡し)

新漁場の割渡し 役所の機構とともに緊急を要したのは、鮭漁を希望する者への網引場割渡しである。  ,このように改革三年目にしてイシカリの鮭漁場は飽和状態になり、さらに生産力を高めようとするならば、出稼人
新札幌市史 第1巻 通史1 (同心・足軽)

これは、鮭漁をひかえ漁場への出役か、またはシノロ番所の成立ともみられる。
新札幌市史 第1巻 通史1 (収納金)

三七、二八役に依ったため、生産者はきわめて重い負担をしいられることになり「最大不幸とす」(石狩郡河海鮭漁獲徴税沿革
新札幌市史 第2巻 通史2 (本府の建設の開始)

また三年一月になると場所請負人の廃止や鮭漁の終了と共に、厚田浜益など諸郡から人足として場所の出稼人が雇
新札幌市史 第1巻 通史1 (疱瘡の犠牲)

まって、一一〇余統の網を使って漁をするのだが、文化十四年では二三統の漁しか行われず、オショロアイヌの出稼鮭漁,、松前奉行の事情調査の過程では、次に掲げるような、請負人側が、アイヌの病死者が続出するなかで、さらに鮭漁
新札幌市史 第1巻 通史1 (出稼の諸相)

また、鮭漁でにぎわいはじめる安政五年八月十一日、勝右衛門が浜名主として市中に廻文した一節には次のように,この中にも時季的に鮭漁とかかわった人は多かったであろう。
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリ改役所の設置)

ほかに秋の鮭漁期は多くの勤番人が必要となるから、在住などを臨時に雇い入れ、金銭と鮭で報酬を払うことになった
新札幌市史 第1巻 通史1 (出稼人の交代)

(前略)石狩は鮭漁一式にて、平地凡五、六拾里の中央に大河有之。船々入港、至て地広、西地の中央に有之。
新札幌市史 第4巻 通史4 (婦人見学団)

15.10. 1 200 北海道美術展覧会(中島公園) 11 15.10.15 100 石狩(石狩川下り,鮭漁見学
新札幌市史 第1巻 通史1 (勝右衛門の漁業)

写真-14 ホリカムイにおける鮭漁 (明治の写真だが、改革時の和人引網をしのばせる)  新規の
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリアイヌの入会権)

となり、家業が成り立たなくなったので、ムイザリ乙名のヌカンランケに財宝を差し出して、ムイザリ川での干鮭漁業権
新札幌市史 第1巻 通史1 (秋味の請負)

また、「石狩跡買」といって制限一杯をとった後、なお鮭漁があればこの権利を買う方式、したがって漁期を延長
新札幌市史 第1巻 通史1 (御救交易)

イシカリでの御救交易の状況については、串原正峯の『夷諺俗話』に、「今年イシカリ川にて鮭漁御用交易ありしか
新札幌市史 第1巻 通史1 (移住の自由)

これをみると、阿部屋、山田、孫兵衛、吉五郎(梶浦屋の名代)の四人は改革直前、すでにイシカリで何らかの形で鮭漁
新札幌市史 第1巻 通史1 (『土人由来記』)

大川通ニて小網引立飯料魚漁事致し来、秋ニ至り候得は、小川々々へ登り鮭を取ルニシコツへ参り、小川々々之鮭漁
新札幌市史 第6巻 史料編1 (解題)

安政五年(一八五八)石狩改革にともない、箱館奉行所は彼に出稼として鮭漁場を割り当て、石狩川筋江別より上流域
新札幌市史 第1巻 通史1 (安政五年の調査)

当地の在住やオタルナイ辺への出稼の者たちの鮭漁を禁ずるものである。
新札幌市史 第1巻 通史1 (商品流通にのった鮭)

表-8 天明6年頃松前蝦夷地塩引鮭見積高 鮭漁場 石数 疋数 イシカリ川 30,000石 150万疋
新札幌市史 第1巻 通史1 (嶋田熊次郎)

①から鮭漁に話題が及ぶことは多いが、嶋田にはそれがみられない。
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリ・サッポロと水戸藩)

エベツブトより上流域の開発権、そこから日本海岸への新道開削、そのためのアイヌ差配権、イシカリ浜及び下流での鮭漁経営
新札幌市史 第1巻 通史1 (網漁法の導入と塩引鮭)

とあり、また、同じ近藤の『総蝦夷地御要害之儀ニ付心得候趣申上候書付』(以下『書付』と略記)にも「イシカリ鮭漁
新札幌市史 第1巻 通史1 (番所の設置)

安政五年八月には、秋の鮭漁にそなえ表1のような場所割がなされている(五十嵐勝右衛門文書より作成)。
新札幌市史 第1巻 通史1 (動員されるアイヌ)

し、塩引類も生鮭を直接購入して加工する方式をとってきたのに対し、イシカリ川下流域沿岸には請負人直営の鮭漁場
新札幌市史 第2巻 通史2 (遊廓地の決定)

近隣の小樽・石狩には、近世末までに「売女小屋」がすでに存在し、春の鰊漁や秋の鮭漁の時には人口がふくれあがったといわれている
新札幌市史 第7巻 史料編2 (一 社会・生活)

    市在人民願伺宛名の義(九月一九日) 二七 官員への贈品を禁ず(明治六年九月七日) 二八 諸川鮭漁引網差許
新札幌市史 第1巻 通史1 (擁護の地)

石狩川鮭漁凡一万二千石目、此仕入代金凡六千両、蝦夷榀凡六千石目、此仕入代金凡四千両、何レモ運賃共積立合金五万両程是松前蝦夷地今之分量
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