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後期更新世

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 昭和四十年代に入ってから、札幌市の住宅団地の造成は、南の台地や北の低地にむかって、急速に進展する。とくに、札幌副都心計画にもとづく工事の一環としてはじまった、もみじ台団地の造成は、文字どおり、自然改造ともいえるほど大規模なものであった。たしかに、そこの自然は破壊された。だが、それは野幌丘陵周辺を取り巻く台地の歴史を調べるのにはこの上もない機会となったのである。
 札幌は、もみじ台の例をみるまでもなく、元来、扇状地と台地の上に広がった街である。いいかえれば、台地と扇状地、そして後述する平野こそ、われわれの日常生活を支える大地なのである。それだけでなく、これらの大地は、遠く二万年前までさかのぼる先史時代から、人びとの活動の舞台であったことも忘れてはならないであろう。また、この台地や扇状地をつくる地層や自然遺物は、現在ともっとも関連深い後期更新世(約一三万~一万年前)の地史を語っているのである。
 野幌丘陵の西側から北西側にかけては、丘陵面より一段低い台地が広がっている。つまり、上野幌・下野幌・もみじ台団地や江別市の大麻団地がある台地である。これらの台地の形成過程や当時の古地理をもみじ台団地の地質資料から眺めてみよう。