当時は、一般に氷河時代とよばれるように、寒冷な気候が地球を支配する時代であった。北海道においても、脊梁山脈は氷河におおわれ、火山はさかんに噴火を繰り返し、山麓の針葉樹林帯を除くと、火山灰地と泥炭地からなる草原の卓越した荒涼たる風景が展開されていた。
当時の年平均気温は、現在よりも七~八度も低く、札幌付近の気候は、現在のサハリン中部のポロナイスク、東シベリアのイルクーツクくらいであったと考えられている。
氷河期にかかわる重要な問題として、氷河の発達や後退により、世界的な規模で引き起こされる海水面の変動がある。寒冷期における氷河の発達は、海水面の低下をもたらし、陸地を拡大させることになる。氷河期の最盛期である約二万年前には、海水面が現在よりも一〇〇メートル以上も下がったと考えられている。現在の津軽海峡の水深は一三〇メートル、宗谷海峡は六〇メートル、間宮海峡は一〇メートルである。このことから氷河期の最盛期には、間宮海峡はもちろんのこと宗谷海峡も陸橋で大陸と陸つながりとなっていた。津軽海峡においても、冬期間などは結氷により、人類の移動にさしつかえない状態であったことが考えられる(図1)。
図-1 氷河期の日本列島(ウルム氷期、2万年前)
このような自然環境を背景として、東シベリアのバイカル湖周辺で後期旧石器文化を担う人たちが、さらに東方への移動と拡散を行うなかで、沿海州から、間宮、宗谷の両陸橋を渡って、北海道に北東アジア系の後期旧石器文化をもたらしたのである。