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土器の発明

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 約一万年前になると、長かった更新世の氷河時代が終わり、完新世の開幕となった。気温は上昇し、ほぼ現在と同じ気候の時代に入ったのである。ちょうどこの頃、世界の各地で人類の文化史上、重要な出来事が勃発した。それは、農耕や牧畜の開始であり、もうひとつは、弓矢や丸木舟、土器など新しい技術、それにイヌの飼育などが始まったことである。これらの社会的、文化的事象や技術革新は、世界各地で一斉に行われたということではなく、いくつかの地域で個々に発明あるいは創造されたものが、相互に影響しながら急速に世界各地に広まっていったものとみられる。
 日本列島もまた、こうした汎世界的な現象にはおくれをとることはなかったが、農耕と牧畜だけは無縁であった。しかし、弓矢とともに土器製作技術は、世界でも最も古くから行われ、約一万二〇〇〇年前の土器が九州において製作され、旧石器時代末期の様相をもつ細石刃石器群とともに使用されたことがわかっている。
 イギリスの高名な考古学者チャイルドは、〝土器の発明は人類が化学的変化を応用した最初の事件であった〟と述べた。これは、火熱によって粘土を水にとけない物質に作り変えるということ、材料をどこにでもある粘土を用いて、容器としての形態を実現したことに歴史的重要性を見出したのであった。
 明治十年、東京の大森貝塚で発掘した縄目のつけられた土器にE・S・モースがコード・マークド・ポタリー(Cord marked pottery)という用語を使って以来、日本の新石器時代の土器を総称して縄文土器とよんでいる。