縄文時代晩期の北海道は、後期にひきつづいて、現在とあまり変わらない気候がつづいていたようである。後期に減少した遺跡は、晩期には、海岸部を中心にふたたび増加する傾向にある。気温の低下による生活上の悪条件を技術の向上によって克服することができるようになったものと考えることができる。
縄文時代後期中葉から後半にかけて、全道的に斉一性のみられた文化も、晩期に入るとふたたび西と東の異なった文化圏に分かれる。
まず、道南西部では、東北地方北部に本拠をもつ亀ヶ岡式土器文化圏に組み入れられる。
亀ヶ岡式土器の編年の基準になった岩手県大洞貝塚の分類をもとに、北海道の亀ヶ岡系土器を四期に分けて説明していこう。