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道南西部の亀ヶ岡式系土器

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 第Ⅰ期―大洞BないしB-C式に比定できる土器である。道南部では、松前町高野遺跡で出土した、口縁部に沈線文を区画し、磨消文、波状文、三叉状入組文などが施された深鉢、台付鉢、壼、ダルマ形などの器形の土器がある。突瘤文は消失するが三角形列点文はまだ多用される。近年、木古内町札苅遺跡の津軽海峡線関連の調査では、突瘤文がまだ残存する高野遺跡よりはやや古い段階の土器(札苅B式)も検出されている。上ノ国町竹内屋敷の上ノ国式土器は、横S字文から発展したラフな羊歯状文や爪形文、刻目文などがあり、晩期前葉末に位置づけられている(写真13)。

写真-13 上ノ国式土器
(北檜山町太櫓川尻遺跡)

 道央部の千歳市美々四遺跡のM-5マウンドから検出された丈の低い注口土器や広口壼は大洞B式そのものとの指摘もある。それに三叉文の施された深鉢や爪形文など前代の御殿山式土器の影響が色濃く残った土器とともに出土しており後期から晩期への移行の様相を示している。
第Ⅱ期―大洞C1式に比定できる土器で、沈線や刺突文、爪形文、羊歯状文、刻目文、雲形文、三叉文などが付された各種の土器がある。木古内町札苅(国道改修部分)、南茅部町大船、上磯町久根別、函館市日吉一、松前町上川などの諸遺跡で津軽海峡に面した地域に多くみられる。またこの時期の精製の壷形や皿形などの精製土器は道央部まで搬出されている。その例として苫小牧東部遺跡群の共和、柏原一六遺跡や植苗タプコプ、余市町大谷地遺跡などがある。
第Ⅲ期―大洞C2式に比定できる土器で、従前に引き続いて渡島半島を中心に濃い分布を示す。台付鉢や浅鉢にみられる波状の口縁、口縁下のB状突起、雲形文や工字文風の文様が特徴である。七飯町聖山、函館市女名沢、上磯町添山、木古内町札苅(写真14)、尻岸内町日ノ浜の各遺跡が代表的である。渡島半島から北では、蘭越町港大照寺、泊村渋井、同照岸洞窟、小樽市桃内、石狩町シビシウスなど日本海沿岸にひろがる一群と太平洋にのびる虻田町高砂、室蘭市イタンキ、白老町社台一などの遺跡があり、それぞれ地方色がうかがえる。

写真-14 大洞C2<古>式土器(木古内町札苅遺跡)

第Ⅳ期―大洞A式に比定できる土器で、沈線と浮文の装飾が多用され、横位に連続する工字文が発達する。従来、日ノ浜式と呼ばれた尻岸内町日ノ浜遺跡や近年、聖山Ⅱ式として提唱された七飯町聖山遺跡をはじめとして、木古内町札苅(2号住居跡)や上磯町添山、函館市女名沢、八雲町山越五遺跡などが主要な遺跡である。日ノ浜式土器の壷や鉢などの精製土器は、道央・道東北部のタンネトウL=ヌサマイ文化圏にも移出され、道央部の長沼町タンネトウ、追分町豊栄一、千歳市ママチ、厚真町共栄などで在地系の土器とともに出土している。また札幌市白石区のS二六七遺跡では、晩期の遺構は発見されなかったが、日ノ浜式の台付浅鉢(写真15)がタンネトウL式土器とともに出土している。道東北部では、釧路市ヌサマイ、同緑ヶ岡、稚内市オニキリベツ遺跡でも日ノ浜式の朱塗りの壷が出土している。

写真-15 札幌市S267遺跡出土の台付鉢

 一方、津軽海峡をこえて、青森県三厩村宇鉄、木造町亀ヶ岡、岩手県北上市九年橋遺跡などの諸遺跡にも日ノ浜式土器が出土している。
 日ノ浜式あるいは聖山Ⅱ式など晩期後葉の土器に後続する土器は、まだまとまったかたちで出ていないが、尻岸内町日ノ浜8号や森町尾白内などで硬化した工字文の付された壷や鉢など大洞A'式に対比できる資料も出土している。