東北地方北部と北海道の渡島半島域において、亀ヶ岡文化が最盛期から衰退期に向かっていたころ(大洞C1~C2式)、北九州にあった水稲耕作と金属器をもった弥生文化が北上を開始した。この文化は予想した以上の速度で東北地方北部まで到達する。それは、日本海流を利用した舟運によるもので、能登半島あたりを中継基地として一挙に北上したものと考えられる。青森県弘前市郊外の砂沢遺跡や同県田舎館村垂柳遺跡では、水田跡が発見されている。前者は弥生時代前期の二枚橋式土器、後者には弥生時代の田舎館式土器を伴っている。また西日本前期弥生式の「遠賀川式系土器」が青森県南郷村や八戸市の周辺から発見されている。