『日本書紀』斉明紀には、阿倍比羅夫が今日の北陸地方から東北地方へと舟で軍勢をひきいて北上し、おそらくは北海道(渡島と表現されている)へも達したとみられる長征の記事がある。西暦六五七年から六六〇年にかけてのことである。そのとき、阿倍比羅夫の一行は、いまの秋田県や青森県、そして渡島でも蝦夷に出合う。渡島では〝肅愼(みしはせ)〟という人たちと交戦したという記事がある。
この肅愼は、後に説明するオホーツク文化人の可能性がある。いずれにせよ、この時期は北から南下する北方系文化、南から北上する古墳文化が接触、衝突をくり返して新しい文化を複合していったと見ることができる。