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一 遺跡の分布

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 札幌市内における縄文時代早期の存在が、初めて明らかにされたのは昭和四十七・四十八年に行われた豊平区西岡のT七七遺跡の発掘調査であった。焼成の良好な貝殻条痕文(かいがらじょうこんもん)、沈線文土器(ちんせんもんどき)が少量得られ、縄文時代早期に属する土器が札幌にもあることが確認された。その後発掘調査の進展に伴い、比較的多数の遺跡の存在が知られるようになってきているが、ほとんどは小規模な物である。
 縄文時代前期に属する遺跡については、比較的早くからその存在が知られ、昭和十二年頃の報文には、豊平区平岸周辺の地域の遺跡の紹介のなかに、厚手の尖底土器(せんていどき)、手持石杵(てもちいしぎね)(北海道式石冠(せきかん))の出土が記載されている。また、昭和四十年代になると西区発寒の発寒小学校裏(N一八遺跡)で同種の土器が発見されていることが報じられている。しかし、最近の発掘調査ではほとんど検出されることがなく札幌市内における前期の実態は不明のことが多い。
 現在市内では、縄文時代早期に属する土器等が検出された遺跡総数は二三カ所ほど確認されている。また縄文時代前期の遺跡は、非常に少なく一〇カ所程より確認されていない。