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伴出土器

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 道東北では、石刃鏃に伴ってほとんどの場合土器が検出されており、浦幌町新吉野遺跡、共栄B遺跡、富良野市東山遺跡では、絡条体圧痕文を主文様とする浦幌式土器が、常呂町朝日トコロ貝塚では、竹管文を口縁部に並列させたトコロ一四類土器を、女満別町豊里遺跡では押型文土器をそれぞれ伴出している。石刃鏃文化の盛行した時期は、伴出した土器の状況を見れば竹管文・半截竹管文・絡条体圧痕文が特徴的となる土器、浦幌式土器の時期ということが可能である。
 トコロ一四類土器は竹管文を施文具としており、釧路町テンネルから発見されたテンネル式土器と共通性がある。両者は時期的には近似した時期、ということが可能である。テンネル式土器には、少量ながら絡条体圧痕文の施文された土器の存在が知られている。
 確実に石刃鏃に伴う浦幌式土器は、絡条体圧痕文が特徴的に施文されている。テンネル式土器には、現在のところ石刃鏃が伴った例は確認されていないが、テンネル式土器、浦幌式土器はきわめて接近した時期のものであり、石刃鏃文化は縄文時代早期の長い期間にわたり存続したのではなく、テンネル式土器、浦幌式土器といった限定した時期にのみ大陸から流入した文化で、縄文早期平底土器群の土器型式に対比すれば、微隆起線文を特徴とする大楽毛式土器以降、東釧路Ⅱ・Ⅲ式土器以前に位置するものとの論が主流を占めている。