紅葉山砂丘の西端側に立地する遺跡群で、当時の海岸線はすでに現在の位置あたりまで後退していたものと考えられる。両遺跡は隣接し、ともに砂丘の内陸側に沿って縄文中期の竪穴住居跡と土壙が混在してみつかっている。
N二九三遺跡からは、竪穴住居跡と考えられる遺構三軒と、自然の営力による落ち込みを含めて、四八個の土壙が検出されている。出土した土器はトコロ第六類と伊達山式などが主体を占めている。
N三〇九遺跡は、円筒上層式(サイベ沢Ⅴ、Ⅵ、Ⅶ類)の資料がまとまって出土した遺跡で、昭和四十九年の第一次調査では竪穴住居跡六軒、土壙が五二個、昭和五十一年の第二次調査では、竪穴住居跡の可能性の高い規模の大きい例も含めて都合一四個の土壙が確認されている。