遺跡は、豊平川の支流穴の川に面する標高一四〇メートル内外の傾斜地に立地する。昭和六十一年に宅地造成に伴い発掘調査が実施された。調査の結果、縄文中期後半から後期初頭頃の竪穴住居跡六軒、焼土一カ所、土壙一〇個、それに時期不明の溝状遺構が二六個みつかっている。
住居跡は、いずれも外形は楕円形から不整五角形を呈するもので、内四軒には石組炉がみとめられる。時期は、第五号の床面から円形刺突文のない余市式土器の半完形品が検出され、当該期の所産と考えられるが、他は覆土中から余市式をはじめとして中期後半から後期初頭の土器片が出土したのみである。