厚別川の支流三里川の左岸の標高六二~六六メートルの台地上に位置する。遺跡の東側を流れる三里川との比高差は、約二メートル程である。遺跡は、三方を比高差二〇~三〇メートルの高さの丘陵に囲まれ、三里川に張り出した幅六〇メートルのテラス状の台地に存在する。三里川は、遺跡のすぐ北側で伏流水となる。
中期、後期、続縄文時代の複合遺跡であり、後期中葉から後葉にかけてこの遺構、遺物が発見された。遺構は、中葉のものが遺跡の北側から、後葉のものが遺跡の南側から発見されている。中葉の遺構としては、竪穴住居跡一軒と一〇個の墓が発見され、そのうち、五個から土器が出土した。墓の周囲からは、焼土一六カ所が発見された。後葉の遺構は、続縄文時代の遺構と混在しているために、正確にその数を確定することが困難であるが、少なくとも墓一〇個を数えることができる。後期の竪穴住居跡の発掘例は、市内では本遺跡が初めてである。
遺物は、土器・石器の他にオロシ金状土製品と呼ばれる土製品に加え、市内で初めての土偶の小破片も発見された。