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遺跡の性格と立地

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 市内の遺跡の性格を見ると、そのほとんどが墳墓遺跡であり、集落跡の良好な発見がまだ一例も見られない。特に野幌丘陵では、周囲の開発もそれ程進捗していなかったため、広域にわたる発掘調査が可能であったにもかかわらず、集落跡と思われる遺跡を一カ所も発見することができなかった。この事実から、当時の人が墓地と集落を遠く離れた場所に営んだものであるか、台地以外の地域、たとえば、現在の常識では一般的に集落の立地に適していないとされる、沖積地などに集落を営んだとも考えられる。前者であるとすれば、札幌をはじめ周辺市町村での発掘調査が、かなり進んでいるにもかかわらず、いまだ晩期の良好な集落が発見されていないことから、集落と墓域の距離が数十キロメートル以上も離れた場所を想定しなければならず、やや困難な解釈となる。北部低地の北栄遺跡の存在と考えあわせると低地部に集落が営まれたとも考えられる。後期・晩期の人々は、日常生活の場としての集落の多くを沖積地に移動しながら、墓域のみが古い習慣のもとに台地部に構築した可能性も充分考えられる。いずれにせよ、この問題の解決は、今後の調査の進展を待つ以外にはなさそうである。