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目次
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第二編 先史の札幌
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第四章 続縄文時代
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第二節 遺跡の分布
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紅葉山砂丘の遺跡
◇K四八二遺跡(北区新琴似・発寒川河川敷)
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石狩町の紅葉山三三号遺跡の外縁部にあたる地区で、大正時代に行われた発寒川の改修工事で分断されたものと考えられた。
遺跡は、砂丘の内陸側の低湿地と接する部分にある。土器・石器の検出される層位は深くしかも徐々に低湿地の下にもぐりこむようになり、標高では一メートル以下になる。
土器は
石狩低地帯
では、最古の恵山式土器、大狩部式土器がともに多量に得られている。当時の食糧の一部であろうか、低湿地に接しているため、普通は腐ってしまい残らない鹿の骨、クルミの殻等が多量に残っていた。