恵山式土器群は、甕、深鉢、鉢、浅鉢、台付き甕・鉢・浅鉢、壼等豊富な器型・器種があり、数型式に細分され編年的序列も多くの研究者によって考えられている。恵山式土器は現在のところ、四期に分類され、編年的序列を示すことが一般的となっているようである(図3)。
図-3 恵山式土器(1~6:二期,7~11:三期,12~15:四期)
〈一期〉
東北地方北半の縄文時代晩期の終末期の土器「砂沢式土器」に後続するとされる二枚橋式土器に並行する土器群が恵山式土器の最古の土器と考えられている。二枚橋式土器が東北地方北半最古の弥生式土器であることは、広く知られており、青森県下北の瀬野遺跡では水田跡が発見されている。二枚橋式土器は肩が大きく張り、頸部が直立して口縁が大きく外へ開く甕型土器、口縁の開きの小さい短頸の甕、大きな波状口縁を有する鉢、大きな波状口縁を有する台付き浅鉢等の器種・器型がある。体部文様は、やや幅広の平行沈線文帯、波状工字文(流れ工字文)、沈線文帯の上縁につけられた横位の短沈線列が特徴的文様となる。
札幌市内はもとより、石狩低地帯においてはこの種の土器は発見されていない。道南部(渡島半島・噴火湾沿岸)にのみ、分布している土器群である。このことは、恵山式土器の発生が東北地方北半の弥生式土器によることを示している。
〈二期〉
甕型土器の器型では、外反する口縁、頸部が長く直立に近く立ち、この部位を無文帯として幅広く残すようになる。肩の張り出しは一期に比較すれば若干弱まる。文様要素は一期のそれを継承したものであり、波状工字文などは連続性が欠如し形骸化している。短沈線列は、列点文化し沈線文の間にめぐらされるようになる。器種は一期同様に豊富であるが、台付き甕・鉢は台部が簡略化し、数が減る傾向にある。分布範囲は飛躍的にひろがり、石狩低地帯にまで進出してくる。札幌では、K一三五遺跡・五丁目地区第三文化層から検出した土器、K四八二遺跡第Ⅲ群土器がこの時期の土器である。
東北地方北半では、二枚橋式土器に後続する土器として、田舎館式土器の古い段階のもの、宇鉄Ⅱ式土器と称される土器があげられる。
〈三期〉
甕型土器の器型では、胴部と頸部の区別が明らかでなくなり、一連のカーブをもって描かれるようになるが、肩が最大径をなす等二期の甕型土器の特徴を強く残したものといえる。口縁の外反は強いもの、弱いものの二種があり、頸部はやはり長く内傾気味となるものもある。器種では、甕、深鉢、浅鉢、壼程度となり、台付きの鉢・甕はまったく姿を消す。文様は、口縁部、頸部のくびれ、肩部のそれぞれの部位に数本から十数本の沈線文を束にしてめぐらすことが主となる。口縁・頸部と体部の文様帯を分離させる原則は一・二期を通して継承されるが、長く直立した頸部は無文帯とはせず、縄文を地文として施文する。ただし、ほとんどの場合縄文を施文した後に指、ヘラ等で丁寧に磨き縄文を擦り消すことが行われている。
札幌ではS一五三遺跡第九一号ピット、第七九六号ピット(いずれも土壙墓)に副葬された土器、N二九五遺跡第二~五号竪穴住居跡床面出土の土器群、第一三号ピット(土壙墓)の壙底面に副葬されていた二個の土器がこの時期の土器である。東北地方北半では、田舎館式土器の新しい時期に相当する土器群があげられる。
〈四期〉
恵山式土器の最も新しい段階を構成する土器群である。甕型土器の器型では、頸部、肩部の区分が明らかでなくなり肩が丸味を帯び、大きく張り出すようになる。胴の上の方から頸のくびれ部分が主要な文様帯の一つとなり、沈線文で上下をはさんだ横走帯縄文が波状に描かれたり、横走帯縄文が数段めぐらされたりする。沈線文も主要な文様要素の一つであることに変化なく、頸部のくびれ部分を中心として数本~数十本めぐらす場合も多くある。器種の構成では、甕、壺、浅鉢、鉢、深鉢のみで、一・二・三期に比較して極端に減少する。
石狩低地帯では、後述する後北式土器群に密接に関連する。札幌ではN二九五遺跡第二五号ピット、第三六号ピット(土壙墓)の壙底面に副葬されていた土器群がこの時期の土器群である。
四期の土器の様相は、石狩低地帯、特に江別・札幌・石狩においては恵山式土器二・三期の土器の在り方とは趣きを違え、明らかに移入品といった形で出土する場合がほとんどである。