続縄文時代の石器組成は、鉄製品が徐々に移入されていたこととあいまって、利器としての石器の主要な部分が段階的に鉄製品に置き変わっていく過渡的な状況であることが大きな特徴である。鉄器の普及の度合は、恵山式土器、後北式土器の各段階に伴出する石器組成・器型の変化を比較検討することにより計ることができる。
恵山式土器の二期以降と後北式土器の三期(B式土器)までの石器組成は共通性がある。しかし、後北C1式土器に伴出する石器群は若干趣きが変わる、共通項は石鏃の存在程度となり、石斧、敲石、ナイフ等は減少し、形が定型的でない状況となる。ナイフは不定形な剝片の一部に細かな加工を施した削器が増加する等が指摘される。ラフな加工の削器は、鉄器の足りない部分を補ったもので、長く続いた石器を利器の主体とした石器文化がここで目立った変化がみられるようになったものである。
後北C2・D式土器では石鏃、簡単な加工が施された削器類、石斧程度の組成となる。縄文時代からの伝統である石器を主体とした石器文化が、より一層変質してきたことがわかる。北大式土器に至っては、石器は円形削器と称されるものより見られなくなり、特殊なものを除きほとんどの道具が鉄器に置き変わったものと考えられる。