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生産活動と鉄器

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 縄文時代より伝統的に続けられてきた諸生産活動(狩猟、漁撈、採集等)は、自然に依存した一方的な収奪であった。続縄文時代に至ってもその状態に基本的な大きな変化はなかったものと考えられる。
 しかし、石器によりささえられてきた生産活動は、鉄製品の採用により生産量を飛躍的に増加させた。生産量の増加は、結果として人口の増加現象を生みだし、これに伴い生産圏が拡大した。その結果各集団間との摩擦・資源の枯渇など、それまでの社会構造にはみられなかった矛盾、問題が徐々に出現した。
 鉄製品は、それまでの石器製作とはちがい、特殊な技術の積み重ねによりはじめて形となる。恵山文化期、後北文化期には北海道内において鉄を生産した痕跡は発見されていない。全ての鉄器は製品・半製品の状態で運び込まれたものであろう。後北C1式土器以降には全道的規模で鉄器が普及し、搬入のシステムも想像以上に確立していたものと推定される。このことは、生産、消費が狭い範囲の中で独自に完結されていた続縄文社会が、鉄器を入手する必要性により、より進んだ経済社会のなかに組み込まれていかざるをえなくなった結果として変質し、内部的に崩壊しはじめていったことが示されている。