現在の
北海道大学の新寮部分にあった遺跡で、旧琴似川の一支流のサクシュ
コトニ川沿いに立地する。調査の結果、三つの文化層が検出された。第一文化層からは、擦文中期後半から後期前半の大型甕、須恵器の大甕と焼土が一カ所みつかっている。第二文化層は、擦文前期の時期で、竪穴住居跡五軒、土壙六カ所、集石遺構七カ所、炭化物マウンド一カ所を含む焼土と炭化物集積一三九カ所(七三ブロック)が確認されている(図4)。遺物は、大から小の甕、坏、須恵器の坏・壼、土製支脚、土製紡錘車、土製玉、土製羽口、金属製品、骨製銛先などの人工遺物と同時に、サケ科魚類を中心とした魚骨、栽培植物の種子(オオムギ、コムギ、キビ、アワ、シソ、アサ、アズキ、ウリ、コメ等)などの動植物遺存体も検出されている。なお、轆轤(ろくろ)製の土師器(はじき)の坏に「夷」と解される文字が刻まれた資料も出土している。第三文化層からは、続縄文後期の後北C
2-D式土器が出土した。
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