ビューア該当ページ

農耕の出現

309 ~ 310 / 1039ページ
 なお、擦文時代の植物性食料については、野生植物も利用しているものの、栽培植物の種類が急増するといわれる。具体的には、栽培植物は花粉だけしかみつかっていないソバ属も加えると、ソバ、オオムギ、コムギ、コメ、アワ、キビ、モロコシ、ヒエ属、緑豆、シソ、ベニバナ、ウリ科、ホオズキ属などが確認されており、一方野生植物としてはオニグルミ、ミズナラ(カシワ)、ササ、ヤマブドウ、サルナシ、マタタビ、キハダ、オオカメノキ、エゾニワトコが食用に利用されている。栽培植物のなかで、ソバ属花粉は確実な例としては縄文晩期初頭以降の遺跡でみられるが、擦文以前はその北限は石狩低地帯までで、擦文時代になってより北方の日本海沿岸や日本海に河口をもつ河川沿いの遺跡からも産出するようになる。コメは、擦文時代初期のサクシュコトニ遺跡から一粒、同末期の札前遺跡から三粒出土したのみで、これについては、本州から移入されたものと考えられるが、オオムギ・コムギについては、サクシュコトニ遺跡からの産出量は食料残滓としては多いもので、かなりの規模で栽培されていたことを示すといわれる。
 以上の事実から、擦文時代の作物の組み合わせは本州の農耕文化とのかかわりが強いものであり、サクシュコトニ川遺跡から産出した栽培植物遺存体をみるかぎりでは、擦文時代の前半期において植物性食料に占める栽培植物の役割は高く、かなりの規模で農耕が行われていた可能性が指摘されている。