北海道の考古学が学問としての形態をとりはじめるのは、やはり第二次大戦以降である。
戦後の混乱期が過ぎ、昭和二十五年三月、文化財保護法が施行されてから、考古学的調査が活発となる。その嚆矢ともいうべき調査が昭和二十七年、北海道大学構内で行われた。
昭和二十七年、北大遺跡が北大調査団によって発掘される。この遺跡は北海道大学構内、農学部付属農場内の標高一〇メートル前後の台地に直径六~七メートルの円形を呈する窪地が多数見られ、明らかに竪穴住居跡とわかるもの七三軒、不明瞭なもの一〇軒の合計八三軒が見られたという。このうち八軒が発掘されたが、そのうちの一個から若干の土器と石製品を得たのみで、他はまったくなかったという。火山灰の降下年代等から四〇〇年~五〇〇年ほど前の所産によるもので、産卵期のサケ、マス等を捕るための一時的な仮小屋的な性格のものと報告者は述べている。