大正期に入ると、今度は京都大学の清野謙次が各地の貝塚の発掘を行い、膨大な量の石器時代人骨を収集することになる。彼はこれらの資料をアイヌおよび現代日本人骨と比較し、日本石器時代人と現代日本人との距離は、前者とアイヌとの距離とほとんど変わりがない、という結果を得た。清野は、この結果にもとづき、日本には古くから日本石器時代人種なる独特の人種が存在し、これが一方では大陸からの影響を受け現代日本人に変化し、北方ではアイヌになったという、日本石器時代人=原日本人説を打ち立てたのである。この清野説は、その後金関丈夫らにより多少の修正が加えられ、混血説もしくは渡来説として、今日の日本人起源論の中に脈々と生き続けている。