ビューア該当ページ

最近の発掘調査

331 ~ 332 / 1039ページ
 戦後になると発掘調査の件数も増え、それにともなって発見される古人骨の数も増加してきた。昭和三十年代に入って、札幌医大解剖学教室が発掘調査にたずさわるようになると、ますますその傾向が強くなったように思われる。
 おもな発掘人骨を発見された順に列挙すれば、次のとおりである。
 森町尾白内貝塚の続縄文時代恵山期の人骨、稚内市大岬のオホーツク文化期の人骨、登別市鷲別貝塚の縄文中期人骨、稚内市オンコロマナイ貝塚および江別市坊主山遺跡の続縄文後北期の人骨、釧路市東釧路貝塚の縄文早・前期の人骨、豊浦町小幌洞窟の続縄文恵山期の人骨、釧路市緑ケ岡遺跡の縄文晩期人骨、伊達市有珠善光寺遺跡の縄文晩期、続縄文恵山期および擦文期の人骨、豊浦町礼文華貝塚の続縄文恵山期の人骨、千歳市ウサクマイ遺跡の擦文期の人骨、斜里町宇登呂(うとろ)の続縄文時代の人骨、虻田町高砂貝塚の縄文晩期の人骨、同入江貝塚の縄文前期から後期にかけての人骨、乙部町三ッ谷貝塚の縄文後期の人骨、伊達市北黄金貝塚の縄文前期の人骨、室蘭市絵鞆遺跡(えともいせき)の続縄文恵山期の人骨、島牧村栄磯岩陰の縄文晩期の人骨、別海町共春遺跡の縄文晩期の人骨、南茅部町臼尻B遺跡の縄文中期の人骨、苫小牧市美沢遺跡の縄文後期の人骨、伊達市南有珠六および七遺跡の続縄文恵山期の人骨、礼文町船泊遺跡の縄文後期の人骨、常呂町栄浦第一遺跡の続縄文時代の人骨。
 これらの人骨資料は、すでに論文や報告書として公表されているものもあるし、現在研究中のもの、あるいは手つかずのまま大学の研究室に眠っているものもある。今日の研究者は、新しい資料を求めて遺跡の発掘を行うのはもちろんのことであるが、未公表の資料を再発掘することにも眼を向けていく必要があるように思われる。