イシカリには、これまで豊漁と航海の安全を祈願する、弁天・稲荷・妙鮫法亀の各社、竜神社などの神社があった。しかし、安政五年正月に申請された八幡社の建立は、これまでの神社の性格とはおおいに異なる政治的性格の強いものであった。
箱館総社八幡宮神主菊池大蔵(出雲守、重賢)は、箱館奉行所に対し、イシカリに八幡宮の末社を勧請することを願い出ている。それによると、八幡宮を「東西蝦夷地惣鎮守といたし立祠造営」するもので、「天下泰平、国家安穏、五穀豊穰、四夷摂伏、漁業充満、船々海上安全」の祈願を目的としていた。また位置は、イシカリ領字サッポロ山麓で、地所一二〇間、社林一五町を願い出ている。ただし、この位置の指定はすでにこれ以前に箱館奉行からなされていたようである。