用排水路の掘削にともなって用水土手も築造されている。慶応二年施行分には三種あり、
①根取三間、築留八尺、高さ五尺平均腹付(弁慶わく九間、高さ六尺、幅六尺小段)の土手が二九間で、要した人足六五人、工費銭一一〇貫五〇〇文。
②高さ五尺、根取二間、築留五尺杭留の土手が二五間で、人足三五人、銭五九貫五〇〇文。
③高さ三尺、根取六尺、築留四尺の土手が八〇間三尺で、人足四五人、銭七六貫五〇〇文。
以上土手の築造は延一三四間三尺、これに要した人足は延一四五人、工費銭二四六貫五〇〇文であった。
右のほかに土手構築に関連・付随する作業と見られる、「用水土手わく」一組(人足九人、銭一五貫三〇〇文)、「用水路苅払い」(人足一五三人、銭二六〇貫一〇〇文)、「用水堀木根抜き」(人足四七人、銭七九貫九〇〇文)、「新古堀手入れ手直し、低土手上土台」(人足一一〇人、銭一八七貫文)、「用水入口大川留門手直し」(人足三〇人、銭五一貫文)などが、多く用水土手の項目に含まれて記帳されている。これらを加算すると、慶応二年の土手関連工事には、人足延四九四人、その工費銭八三九貫八〇〇文を要したことになる。
次いで慶応三年の土手関連工事は、
①小土手(幅四尺、高さ三尺)四〇〇間、その人足四五人、工費銭七六貫五〇〇文。
②土手(幅八尺、高さ三尺)一二間、その人足六人、工費銭一〇貫二〇〇文。
となっており、小規模土手の延四一二間が築造され、その要した人足延五一人、工費銭八六貫七〇〇文であった。右のほか土手関連工事と見られるものに、「大堀欠崩部分手直し」(大工八二人、銭一三九貫四〇〇文)、「用悪水路四千間余ノ所苅払い」(人足一二〇人、銭二〇四貫文)、「用水入口堀割並大川堰留わく等ニ相掛り」(人足六六人、銭一一二貫二〇〇文)等があり、それらを加算すると、慶応三年の土手関連工事には、大工・人足延三一九人、費用銭五四二貫三〇〇文となる。
土手関連工事は慶応四年には見られないので、以上の慶応二・三年施行を合算してみると、構築土手の延長五四六間三尺(約九九四メートル)、関連工事を含めて人足延八一三人、工費銭一三八二貫一〇〇文を費やしたのである。